バチン、盛大な音が部屋に鳴り響く。その瞬間、部屋の時が止まった気がした。
誰もが、私に注目した。目の前の篠田先生は、何をされたのか理解していなかったのか、啞然としていた。
私は、誰かが口を開く前に、篠田先生の胸倉を掴み、叫んだ。

「あんたが、……あんたたちの所為じゃん、そもそも‼ 篠田先生、私の母親と不倫してる癖に偉そうな口聞いてんじゃないわよ‼あと、あんたも、今まで男とっかえひっかえしやがって。あんたの所為で、私がどれだけ窮屈な思いしたか知ってる? 知らないよね。あんたは、男にしか興味ないから。私、見たんだから。篠田先生とうちのお母さんがキスしてるとこ。私見たんだから。それに、さっきから先生達さ、染矢君の事悪者にしてるけど、違うから。教師が噂丸のみにして、生徒の主張信じないとか、馬鹿なの? まず自分の所の不倫教師指導しなよ‼ 染矢君の事、何も知らないじゃん。特に、篠田先生。彼の事基本心配しておきながら、放置でしたよね?先生なら、生徒のくだらない噂も訂正できましたよね? どんな仕打ちを家族から受けていたのか知らない癖して、勝手な事言ってんじゃないわよ‼」

一気に言った私は、息切れしていた。お母さんは完全に委縮していたし、篠田先生はまだ起きた事を理解していないようで、目を白黒させていた。他の先生たちも、何なら染矢君も抑えられた頭を横にして、目を見開いていた。最初に我に返ったのは、意外にも彼の父親だった。
私の事を睨みながら、染矢君を放すと、私の胸倉を掴んできた。どうやら、私の言った事に逆上したらしい。
そして、近づかれて気付いた。酒を飲んでいる事に。
ただ、その男が何かを言う前に、

「おい、オヤジ。ここ学校だぞ‼ お願いだから、辞めてくれ‼」

と止めに入ってきた。が、怒鳴り声をあげながら染矢君の腕を振り払おうとしてきた。
軽い乱闘状態になり始め、周りの先生達も止めに入り、もみくちゃになる。そして、染矢君の拳が

彼の父親の頬に当たった。

すると、今度は標的を変えたのか、急に私の事を離すと、止めていた先生たちも振り払い、染矢君の方へと大声をあげながら、方向を変えた。

けれど、染矢君は目を瞑りながら、殴り返していた。グーで。意外と力が強かったのか、その男は気絶していた。

今度は皆がポカン、となった。染矢くんは手を閉じたり開いたりさせると、私の方を見て、信じられないという顔をしながら、

「俺、今、殴った?」

今の乱闘と彼の一言に、逆に私は徐々に冷静になっていった。
とんでもないことになった事を、段々と認識しながら、

「うん……殴った。」

と、返した。


この事件から、私たちの日常は目まぐるしく変わった。

まず、私が他の先生達の前でも言った事により、篠田先生はあの後そうとう問い詰められたらしい。
更に、噂は広まりそれは篠田先生の奥さんにも伝わり、怒り狂った奥さんと篠田先生は離婚することになった。篠田先生は精神的に参ったのか、学校を休職する事になった。
ただ、生徒の間でも噂が出回っている事から、復帰しても先生を続けられるかどうかは分からない。


私は私で、初めてお母さんと喧嘩している。といっても、私が一方的に無視しているだけかもしれない。そして、自分の意思を示す様に、私はお母さんの好きだった長い髪を切った。
向こうも、あの一件以来反省したのか、男遊びは一切しなくなり、家に居る事が増えた。
私と遭遇する事も増え、目が合うたびにどう接すればいいか分からない、という風に目を逸らし、必要以上におどおどしていた。面と向かって言い争いが出来る様になるのは、まだまだ先な気がしている。
けれど、少なくとも前よりかマシと思えた。

染矢君とは、なんだかんだチャットで連絡を取り合ったり、学校で話したりする仲になっていた。
お互いの事を知っていることもあり、居心地は良かった。

「ふーん。そっちもそんな感じなんだ?」

染矢くんと話す中で、彼の家庭についての近況も聞くようになった。
どうやら、同じ様に、喧嘩というか互いに無関心を貫くようになったらしい。
向こうは、息子に殴り返された事が、ショックだったそうだ。

「でも、前よりかマシ。けどさ……変な寂しさがある。」

「私も。そういうのがあるとさ、親だったんだなぁって思うよね。腐っても。」

「言えてる。」

この感覚はお互いにしか分からないと思う。こっちを見ながらヒソヒソとする声が聞えてくる。今度は、染矢君じゃなくて、私のお母さんと篠田先生の話が、噂のトレンドだった。

「言いたいことがあんなら、直接言えばいいじゃねぇか。」

「別に、いい。私が悪い訳じゃないんだし。それに、もう気にしてない。それよりも、染矢君はどうするの、自分の噂。」

「まぁ……ぼちぼち分かるヤツから話してく。でも、今はいい。」

「何で?」

「だって委員長が気にしてねぇし。自分の噂。」

すると、窓から風が吹き込み、私の髪を攫った。今日は、無理に引き受けたプリントは机の上に無い。
だから、バラバラになって拾う事もなかった。彼が、気付いたように言う。

「話題変わるけど、髪、悪くないじゃん。」

「今更、言う? でも、ありがと。」

笑って答える。
そこに居たのは、只の“私”だった。