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 あーあ、本当は今日が俺の命日だったはずなのになぁ。でも泣いている彼女はアノ子に似ていて放っておけなかった。

 「あとちょっとだけ待っててね」

抜けるような空の青さを眺めながら呟いた。

♢♢♢

「有紗はアイスはカップ派?コーン派?」
「カップ。純粋にアイスだけの味を楽しみたい」

 図書館からの帰りにコンビニに寄った私たちはアイスを片手にお喋りをしていた。主に翔の質問に私が答える、という感じだけど。

 翔と初めて出会ってから一週間が経過していた。「有紗に毎日会わなきゃ死んじゃう。あっ、俺は有紗のものだから好きに使っていいよ」というので毎日図書館で勉強を教えてもらっていたのだ。私だけ勉強するのは嫌だから広瀬君も学校の課題を持ってきてほしいと頼めば、代わりに翔って呼んでって言われた。

 一週間の間一緒にいても翔について分かったことは少ない。

 いつも何かしら笑っていることと、私の高校よりもさらに偏差値の高い私立高校に通っていることぐらいだ。 

「有紗ー、遊びに行こうよ。毎日勉強ばっかり」
「勉強は学生の本分だよ」

 昨日、いや、二日ぐらい前からもう何度もしてるやり取りだった。確かに夏休み中の課題は翔の分かりやすい解説のおかげでもうほとんど終わっている。でも翔とどこかに行くのを踏みとどまっているのには理由があるのだ。

「せっかくの夏休みなのにー」
「だって翔とどっか行くってそれって、なんか」
「デートみたい?」

 図星だった。思わず無言になる。

「え?」

 冗談のつもりだったのか、翔が私の反応に過剰に反応した。
 うっ、だって中学までは仕事で忙しい母の代わりに家事をしてて遊ぶ暇なんてなかった。母が再婚してからやさぐれ気味の私は恋に興味がなかったわけで。

「へぇ、そうなんだ。やだぁ、有紗ちゃんってば可愛い」
「なんなの、その口調!?」
「照れて怒っちゃうとこも可愛い」
「……」
「そういうことならやっぱり遊びに行こうよ。今時、男女の友達でどっか行くなんて珍しくもないんだから。それに俺もあと三週間しか有紗といられないしね。死んじゃうから」
「あのさ、本当に死んじゃうっていうなら翔がやりたいことしなくていいの?」
「一週間前に死ぬ予定だったからもうやり終わっているんだよね。だから有紗の行きたいとこ教えて」

 爽やかに笑いながら死を口にしている翔はどういう気持ちなんだろう。別に彼の言っている運命とやらを信じているわけじゃない。  
 翔のことが分からない。

「翔が一緒ならどこでもいいよ」
「え、まさかの告白ですか?」
「違う」
「だよね。喋るカタツムリに遭遇したみたいな顔してるし」

 よく分からないことを言う広瀬翔という人間を知るために私は彼と出かけることにした。


♢♢♢

 次の日、私たちは日本一高い電波塔に来ていた。高いところに行きたいという翔のリクエストだ。

「すご!人が小さいな。やっぱりこんなでかいと影も大きいな。日照権とか大丈夫なのかな」
「どうだろうね。ねぇ、混んでるんだからあんまり先に行かないで」

 夏休み中で子連れの家族が大勢いた。その中を器用に進んでいく翔についていくのは一苦労だ。

「ごめん、ごめん。有紗小さいもんな。子供たちに紛れちゃいそう」
「そんな小さくないって!」
「あはは。でも本当に人多いな。迷子にならないように掴んどくわ」

 さらりと手を繋がれる。確かにこれなら迷子にならないと思ってそのままにしとく。

 途中でぎゅむぎゅむと手のひらを指で押されるのはなんだろうか?でも反応するもの面倒くさい。

「どうした?元気ない?あ、もしかして高いとこ駄目だった?」
「高いところは平気だけどどうして?」

 怪訝そうに顔を覗き込まれる。一瞬跳ねる心臓を抑えながらなんてことないように答えた。

「だっていつもより元気ないじゃん。普段なら手を掴んだら怒るでしょ」

 さっきのぎゅむぎゅむは反応確認だったらしい。図書館で勉強している時もそうだったけど翔は観察力が鋭い。私が勉強に飽きたタイミングを正確に読み取る。だからきっと私が今日、元気ないのもばれてる。

「実は昨日、妹と喧嘩しちゃって」

 この一言だけで止めようと思ったのに。

「うん」 

 翔があの優しい声で頷くから止まらなくなった。



♢♢♢

「有紗、洗濯物片付けちゃって」
「分かった」

 夕飯を食べ終えてすぐに部屋に戻ろうとした私をお母さんが呼び止めた。
 洗濯物が畳まれて置かれている場所に行くとそこに見覚えのあるものがあった。

「なんでこれがここに?」

 それはウサギのの人形だった。私の机に飾られていたのにどうしてリビングにあるんだろう。不思議に思いながらも手にとる。ウサギの腹から白いものが出ていて、それは中に詰められていた綿だった。頭が一瞬真っ白になる。

「有紗ちゃん、明日ってお家いる?」

姫香がトコトコと私に近づいてきた。

「あ、それ遊んでたんだけど壊れちゃったの」
「え?これ私の部屋にあったよね?」

姫香がびくっと体が震せて一歩後ろに下がった。それで自分の声が普段よりも低くなっていることに気づいたけど止められない。なんで、とどうして、が頭をぐるぐると渦巻いていた。

「あ、だってママがウサギの人形が欲しいって言ったらこれ渡してくれたから」
「姫香もウサギの人形が私のだって知ってたよね」
「う、う、知ってたけど、ひっく、ママァ!」

姫香に怒ったのは初めてだった。ついに姫香が泣き出してしまって、あ、やっちゃったって思った。

「姫香、ごめ……」
「ちょっと有紗、姫香泣かさないでよ。お姉ちゃんでしょ。自分が姫香より何歳年上だと思ってるの?」


「分かってるけど」
「それにウサギの人形だってもうボロボロなんだから捨てればいいのに」

 お母さんのその一言でブチっと何かが切れる音がした。この人形はお母さんが私が寂しくないようにって買ってきてくれたやつでずっと大事にしてた私の全てが否定された気分になった。

「もういいよ!」
「どこ行くの、有紗!」
「有紗ちゃん、あの、ひめかね……」
「姫香も!何で人のもの壊しといて謝れないの!?そもそも私、姫香のお姉ちゃんじゃない!」

 そう怒鳴って部屋に閉じこもった。ドア越しに姫香の泣き声が聞こえたけど今更謝ることも出来なかった。



♢♢♢

「それで今日もお母さんに何も言わずに家出てきちゃった」

 話していくうちにますます自己嫌悪に陥る。どうして私はこうなんだろう。有紗ちゃんっていつも笑ってくれる姫香を散々遠ざけて、挙句の果てにあんなひどいことまで言ってしまった。こんな自分が大嫌い。下唇を嚙み締める。

「有紗はすごく優しい子だよね」
「なんで?今の話聞いてた?私、すごく自分勝手でひどい姉なの」
「有紗はきっと今までたくさんのことをお母さんとか新しい家族のために我慢してたんだよね。それが爆発して時々強烈な言葉で出ちゃうんだよ。もう少し普段から思っていること、感じていること口に出して向き合ってみたらいいんじゃないかな。逃げないで。大丈夫。有紗の言葉はきっと届くよ」
「そんな簡単に言わないで」

 翔はまるで私の全てを見透かしているように微笑んでいる。ドキッとした。でも正論を素直に受け入れることが出来るほど私は大人ではなくて反論してしまう。

「簡単になんて言ってないよ」

翔は何かを諦めたようにはにかむ。

「俺は有紗に笑顔でいてほしい。勝手な願いかもしれないけど、そうしないと死んでも死にきれないからさ」

 そう言って窓から地面を眺める彼の横顔があまりにも綺麗でそれでいて悲しげで心が揺れる。

「分かった。ちょっとだけ素直になってみる」
「うん。それがいいよ。いなくなってからじゃ遅いから」
「ねぇ、翔は」

 どうして死んじゃうのって聞こうとしたけど遮るように手を引っ張られる。

「ほら、行こう。せっかくの初デートだからね。楽しまなきゃ」

 彼は無邪気に笑う。

 何も知らないと思っていた彼のことが少しだけ分かった。きっと彼は隠し事をしている。そして彼は過去に誰かに想いを伝えられなくて後悔をしたのかもしれない。翔の言う通り、お母さんと姫香に帰ったら自分の気持ちを正直に打ち明けてみよう。翔が残り少ない人生で教えてくれたことだから。