そばにあを

千里と別れた後、俺には行きたい場所があった。花屋さんで花を買って、電車に揺られること数時間。たどり着いたのは、人通りの多い駅のホームだった。隅っこには不自然にぽっかりと空白が空いていて、そこには色とりどりの花達が置かれていた。俺もそこに、跪いて花を置く。
鈴香さん基本的に男前だけどビビりだし、気が強いように見えて繊細だし。・・ああ。怖かったんだろうなあ。彼女の笑顔を思い出して胸が苦しくなる。

鈴香さんが亡くなった後、彼女が働いていた会社は経営側の判断で幕を下ろした。鈴香さんに助けられた同僚は、少しでも自分や鈴香さんと同じようなことを経験する人が減るようにと、自らの力で新たな相談窓口を開設したそうだ。

『ありきたりな言葉かもしれませんが、彼女の死を無駄にしたくないんです。』

インタビューでそう語った彼女の目は潤んでいて、けれど、強い光を灯していた。彼女には2人の子供がおり、鈴香さんは子供達ともよく遊んでくれたらしい。

『私は、強い人になります。彼女のように。』

そう語る彼女の瞳は、どこまでも澄んでいた。

一緒に働いていた先輩たちはどうなったのか分からない。鈴香さんの死から何かを感じたのかもしれないし、何も感じず、また同じようなことを繰り返しているのかもしれない。それは分からない、分からないけれど。鈴香さんの死から始まった何かがある、救われる人がいる。優しくて強い彼女は、それをなによりも喜ぶんじゃないかな、なんて。
鈴香さんは亡くなった日もいつもと変わらない様子だったらしい。いつものように辛そうな様子など一切見せずに、明るく笑って。その笑顔の下にどれだけの不安を隠していたのだろう。

『要くんに出会えてよかった。』

そう言った鈴香さんの優しい笑顔を思い出す。

「・・・俺も、鈴香さんに出会えて良かったよ。ありがとう。」

この声は、彼女に届いているだろうか。



駅の近くの人通りの少ない路地裏に、たくさんの花が供えられていた。少し薄暗いそこには先客がいた。まだ30代に見えるその男の人は、俺の姿に気づくと静かに頭を下げた。俺も頭を下げて、木の側へと近づく。拓海さんが亡くなった後、今までの校長先生が辞職し、新たな先生が就任した。

『私の願いはたった1つです。ここにいる皆さんに、ずっと笑っていてほしい。ただそれだけです。そのために自分が何が出来るかを考えていきたい』

新たな校長は、教員、保護者、生徒たちの前でそう語ったという。亡くなった生徒、拓海さんの事について触れた時は、涙ながらに話をしていたそうだ。

「・・・彼は、勉強が得意じゃなかったんですよ。」

その男性はゆっくりと口を開く。拓海さんの学生時代を知っているのだろうか。

「それどころか生活態度も悪くて。毎日注意ばっかりしてました。」
「・・・それは何となく想像つきます。」

俺の言葉に彼はははっ、と笑う。拓海さん、時々ヤンキー感出てたもんなあ。彼はゆっくりと息を吐いて、でも、と言葉を繋げる。

「昔から、誰よりもまっすぐで優しい子でした。」
「・・・それも、想像つきます。」

俺の言葉に今度は悲しそうに微笑む。不器用な拓海さんの優しさは、今まで多くの人を救ってきたのだろう。
しばらくの沈黙の後、それでは、と俺に頭を下げて立ち去ろうとした男の人の背中を呼び止めてしまった。言わなければいけない事がある気がした。

「・・・拓海さんは。」
「はい。」
「拓海さんは、数学の、先生でした。」
「…はい。」
「生徒のことが大好きな、数学の先生でした。」

彼は少し不思議そうな顔をした後、なにかを懐かしむように笑った。

「はい。」

そう答えた後、もう一度彼は俺に頭を下げた。俺もそれに答えてから、手を合わせて目を瞑った。

『生きろよ』

そう言って微笑んだ拓海さんを、俺は一生忘れない。



拓海さんのクラスのいじめの加害者たちは「そんなつもりは無かったと」繰り返し語ったという。そう言って泣いて、亡くなった子の両親の下へ謝りに通っているらしい。まだ一度もお線香をあげさせてもらえた事はない。玄関にすらあげてもらえたこともない。でもそれでも、通い続けているらしい。許してもらえないのなんて当たり前だ、それだけの事を自分たちはしたんだ、と。彼らは決めたのだ。自分たちの過ちを認めて、でもそれでも進んでいくと、決めたのだ。

拓海さんに知らせてあげたいな、そう思ったけど、きっと彼の事だ。すぐ傍で見守ってあげてるんだろうな。なんて。