数年後
 湊士は少し前まで生ける屍だった。凌悟はもちろん、昴も手伝ってくれたのは意外だった。しかし、
「ちょっとでも隙を見せたら、奪っちゃうぞ♪」
 そういってからかっていた。からかっていた割には、目は本気で湊士の背筋を凍らせた。
 さらに、夏休みや冬休みといった長期休みは、呼んでもいないのに後藤勘九郎が出張ってきて、図書館で猛勉強。さらには、美白の親友だという沙耶と名乗る女の子も手伝ってくれた。
 それ自体はありがたかった。しかし、全員クセがあり疲労も倍以上たまった。

『凌悟の場合』
「わっかんねー。これどうすんの?」
「どれだ……? ってはあ!? こんなん基礎じゃねえか! 教科書に穴空くくらい読み込め!」
「うへえ……」

『昴の場合』
「えーっと。これは、ここを代入して、そしたらこうなって……」
「……あの、昴さん?」
「なに? 改まっちゃって」
「俺との距離、近くないっすか?」
「えー、ちゃんと適切な友人関係の距離じゃない」
「そうじゃなくって! リアルの距離! 近いってどう考えても!」
「これくらい普通だと思うけどなあ……」

『後藤の場合』
「ふむ、君は基礎学力が足りてないね。よかろう。ちゃんと解けば我が生徒会秘蔵の白雪君の写真を贈呈しようじゃないか」
「マジ!? めっちゃ頑張る!」
「ただし間違えた場合、生徒会の仕事を手伝ってもらう」
「え? 聞いてないし……ってなんだこれ!? むっず! 解けるわけねえ!」
「おお、残念だ。では貸し1ということで」
「……最初からこれが狙いか」
「いやなに。うちのばあさまがうるさくてね。君がいてくれるとよい緩衝材になってくれそうだ」
「やっぱ俺、この人苦手……」

『沙耶の場合』
「はあ!? こんなのもわからないわけ!?」
「……申し訳ございません」
「ったく、みしろんとの約束だから仕方なく! 面倒見てあげてるんだからね! 感謝しなさい!」
「はい……」
「次、間違えたら死より恐ろしい目に合ってもらうわ」
「怖っ! 何されるんだ!?」
「まあ軽いジャブから行きますか。あたしはみしろんに、頭ぽんぽんを日常的にしてもらっていた!」
「ぐわぁぁぁぁぁ! 俺もまだされたことないのにぃぃぃぃぃ!」
「さらに!」
「もうやめて! 俺のライフはゼロよ!」
「わかったらしっかりしな!」
「はい~……」

 以上。こんな調子だった。まあ、そうは言っても、おかげさまで宮ノ王大学の試験をなんとかパスすることができた。
 俺だけじゃない。なんと全員進学先が一緒だった。
「いや、サンドバッグは必要だから」
「実はまだ諦めてなかったりしてー」
「君は良い駒になる」
「約束のためだったけど、からかうと意外とおもしろいんだよね~。さすがみしろんの見込んだ男!」
 全員言いたい放題である。
 今日は入学式。家で鏡を見ながら、慣れないネクタイと格闘する。
「早くしないと遅刻するわよー」
「わかってるって!」
 ようやく支度が終わり、駅へと向かう。高校の時からおなじみの路線。電車も同じだが、2駅先まで向かうことになる。
 電車を待っていると、ホームがざわつく。何事かと思えば、そこにはすんげー美人がいた。
 その彼女は、俺の後ろに立つ。
「また忘れてる」
「え?」
 後ろから声がして、振り向く。さっきの美人さんが湊士を睨みつけていた。
「君さ、ほんとに私のこと、好きなの?」
 デジャヴがする。前にもこんなこと、言われたような……。
 そこで湊士は思いだす。しかし、見た目ががらりと変わっていて、全く気付けなかった。
「いた、ちゃんと好きだよ」
「ほんとかなー?」
「そっちこそ。ファーストキス、沙耶にあげたんだって?」
「ちょ!? それはいいなじゃい! ノーカンよ。ノーカン」
 久しぶりに話せて嬉しい。話したいこと、いっぱいあるんだ。
「一応宮ノ王には受かったみたいね」
「……まあね。地獄みたいな日々だったよ」
「まったく……しょうがないから大学生活は私が面倒見ます」
「え?」
「なに? 嬉しくないの?」
「まさか。とても、嬉しいです」
 湊士が大げさにリアクションすると、彼女はふふっと笑った。
「海外生活ってどうだった?」
「んー、その辺はみんなが揃ったら話すね」
「あれ? みんないるって知ってたんだ」
「まあね。一応、沙耶とはスマホで連絡取り合ってたし」
「えー、贔屓じゃん。俺にも教えといてよ」
「それは無理ね」
「なんで?」
「だって、教えたら勉強に身が入らないでしょ?」
 全く持ってそのとおりだった。
「全部お見通しかあ」
「まあね。これが私。幻滅した?」
「いや、惚れ直した」
 そう言い返されるとは思っていなかったらしく、ちょっと驚いていた。やったぜ少しは見返したかな?
「あっ、それ……」
 湊士は彼女がカバンに付けていたアクキー見目をやる。
「ああ、これね。すごく助かった」
「助かった?」
「くじけそうなとき。寂しいとき。落ち込んだとき。そういうとき、このアクリルキー見たら元気出るのよ」
「そりゃ、プレゼントしてよかったよ」
「でもさー? なーんか忘れてない?」
「え?」
 なにか忘れているだろうか。湊士は懸命に思い出そうとする。
「あーあ、口元が寂しいなー」
 言われてハッとする。いや、確かに唇は帰ってからという約束だが、みんなみてるここで?
「はーやーくー」
 最初に抱いた「儚い」といった雰囲気はもうなく、ちょっとした大人の仲間入りを果たしていた。
 まったく、俺の彼女はわがままな子だったのか。だけど、それも含めて愛おしい。
 湊士は美白の肩をつかみ、ゆっくり口づけをした。そして、
「おかえり、美白」
「ただいま、湊士」
 電車がやってくるアナウンスが流れる。毎年ダイヤが変わって、まさにこの時間は運命というものだろう。電車が一番ホームに入ってくる。
 その時の時刻は、7時16分を指していた。
                                     (了)