(美白パート)
 美白は家から飛び出し、沙耶の家にいた。
 事情を知った沙耶はずっと美白の頭を撫でるだけだった。
「……つらいよね」
「…………」
 返事はない。だが、眠っているわけでもなかった。
「明日、学校どうする?」
「……休む」
「……わかった。けど昼には家に帰ってあげて。おばさん、心配してたよ」
「……うん」
「……なんか食べよ? お腹、空いたでしょ?」
「……うん」
 今の美白は、「うん」しか言わない人形のようだった。
 沙耶は、美白が少しでも落ち着くようにと、抱き着いて眠った。
 しかし、美白は眠ることができなかった。ショックはそれだけ大きく、心に大きな穴が開いたようだった。
 翌朝。
「じゃあ、あたしは学校行くから」
「うん」
「……一人でへーき?」
「大丈夫。ちょっと落ち着いた」
「そっか。じゃあ、また」
「うん」
 沙耶は心配そうにしていたが、一人になる時間もいるだろうと、学校へ行った。
 美白は朝は沙耶のベッドにくるまっていたが、沙耶が学校から戻って、まだいたら迷惑だろうと帰ることにする。
 帰りの電車は誰も乗っていなかった。まるで空っぽの自分の心を映すかのように。
 家に着くと、母親に泣いて抱き着かれた。相当心配をかけたようで、「ごめん」と短く謝る。
 父は仕事に行ったようだった。かえってそっちの方がよかった。顔を見ると、また口論になりそうだったからだ。
 美白は自室でベッドに倒れ込む。
「何て言えばいいんだろう……」
 自分から告白しておいて、断らなければならない。
 今の美白はそういう状況だった。
「怒られるかな? 泣かれるかな? それとも殴られるかな?」
 いろんな妄想が、頭の中でぐるぐる回る。
 ――なんで断るんだよ!
 ――そんな……。ぐすっ。
 ――この! 俺の心を弄んだな!
 いろんな妄想が出ては消えを繰り返していた。
「はあ……。いっそ殴られた方がいいんだけど……」
 そんなことする人でないことは分かっていた。
 ほぼ間違いなく、「そっか。しゃーないよな」と言って気を使ってくれるのだろう。そのことが、逆に美白を追い詰めていた。
 そうこう考えていると、いつの間にか眠ってしまった。
 翌日。
 母から今日も学校を休んだらと言われたが、家にいたくなかったので学校へ行った。
 しかし、時刻は7時2分。いつもよりかなり早い。
 これは湊士に会いたくないが当た目の措置だった。
「なんて声をかけたらいいかわかんない……」
 美白は相当精神を追い詰められていた。
 学校に着くと、沙耶が駆け寄ってくる。
「よかった! 学校、これたんだね」
「うん」
「家には帰った?」
「うん」
「そっか」
 そこで二人の間に沈黙が流れる。こんなことは初めてだった。
 重苦しい空気が漂う。
 その雰囲気はクラスにも察せられた。
 昼休み。あるうわさが耳に入った。
 なんでも、白雪美白は彼氏に騙された。他には彼氏を一方的に弄んだ。という内容だった。
 これには沙耶も激怒し、噂の出所を探ろうとしたが、無駄だった。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ」
 そんなはずなかった。
 誰だって後ろ指さされて嫌な気分にならないわけがない。もちろん美白も例外ではない。
 白雪美白はどこにでもいる、ただの女子高生なのだから。
 沙耶はなるべくうわさが耳に入らないように、美白を屋上へ連れていく。
「ここなら安心、かな」
「ごめんね。私のせいで」
「みしろんが悪いわけないじゃん! てか、今回のは誰も悪くないよ」
「……そうだよね。帰ったらパパにも謝らなくっちゃ」
 食欲がないのか、美白の昼食は菓子パン1個とイチゴオレだけだった。
「きつかったら、前みたいに保健室で休んでいいんだよ」
「うん。ありがと」
 この日、美白は早退した。沙耶は心配でしょうがなかった。いっそ湊士に協力してもらおうかと考えたが、それはダメだと思った。
 これは二人の問題で、解決するなら湊士が気付いて、湊士が声をかけてあげるべきなのだ。
 横から入ってはいけない。
「頼むよ……。みしろんを助けて……」
 初めて湊士にお願いする沙耶。しかし、そんな声が届くはずもなく。その声は冬の冷たい風にさらわれてしまった。
 もうすぐ約束のホワイトデーと言うとき、美白は珍しく寝坊した。
 もう時間がないことで、夜泣きじゃくったため起きたらもう10時を回っていた。
 もそもそと準備する美白。
 そして電車の乗り込み、ガランとした車内で席に座っていた。
「おや、あんたは確か……」
 美白に向けて話しかけてくる人影。その正体は、以前、病院まで連れて行ったお婆さんだった。
「おお、やっと見つけた!」
「あっ、こんにちは」
「はい、こんにちは」
 挨拶もそこそこに、お婆さんは美白に話しかけた。
「聞いたよ。お嬢ちゃん、例の坊やに告白したんだってね」
「――っ! なんで、それを?」
 そのことは湊士と沙耶しか知らないはずだった。
「なぜもなにも、昨日電車で坊やに会ってね。それで事の詳細を聞いたのさ」
「そ、そうでしたか……」
 美白はまたも暗い表情になる。正直今は、湊士のことを考えたくない。
「……ふむ。なにか訳ありだね? この婆さんでよければお話し聞かせてくれないかい?」
「えっ?」
 確かに、沙耶には遠慮であまり本心を言えなかった。湊士に直接言おうとしたが無理だった。だったら行きがけのこのあ婆さんに、愚痴の一つ、聞いてもらおうと考えた。
「実は――」
 美白は語り始める。湊士に告白したこと。しかし問題が起きたこと。その問題は、解決できないこと。
「――以上です」
「なるほどねえ……」
 美白が語り終えると、お婆さんはぽつりと言葉を発する。
「あの坊やかお友達に協力はしてもらえないのかい?」
「はい……。父がダメだと」
「そうかい……なら、その父に条件を付けたらどうだい?」
「条件?」
「いいかい? あんたはまだ若い。でもいづれ大人になっていく。その時、わがままを言えばいいんじゃよ」
「わがまま……」
「お嬢さん、これまでそういうこと、言ったことないタチだろう? いいんじゃよ。わがままは若者の特権じゃて」
 お婆さんの話を聞いて、美白の心には希望の灯がともった。
 そうだ。今が無理でも、いつかなら――
「ありがとう、お婆さん!」
「いいんじゃよ。達者でな」
 美白はお婆さんと別れて、学校へ向かった。もうその目には絶望はない。
「希望はつかみ取るんだ。自分の手で!」
 美白は前を向いて歩いた。今まで下しか見なかったからか、光がまぶしかった。
 学校に着くと、沙耶が駆け寄ってくる。
「もう、心配したよ!」
「ごめん。寝坊しちゃった」
「それならいいんだけど……」
 美白の安全が確認できて、泣きそうになる沙耶。
「……なんかさ。気のせいだったらごめん。ちょっと明るくなった?」
「うん。もう下を見ない。前だけ見るよ」
「う、うん。ならいいけど……。あっ、そういえば……」
 沙耶からうわさの件について、聞かされる。
「みしろんのあのうわさ、もう広まっちゃったみたい」
「そっか」
「……いよいよ、だね」
「うん。でも大丈夫」
「え?」
「生きてさえいれば、私が頑張れば、私がわがままになれば、また会えるよ」
「どういうこと?」
「そのままの意味!」
 そう言って久しぶりに美白は笑った。その笑顔に曇りの一点もなかった。
「でもさ、あいつにはなんて言うの?」
「悲しくならないように、寂しくならないように、ホワイトデーじゃなくって、3月19日に伝えるよ」
「……わかった。みしろんが決めたなら、もう何も言わない」
「うん」
(ごめんね。ホワイトデーには会えないよ。でもまた会えるから)
 美白は心に中で、そう呟いた。