電車に揺られる。普段着ないドレス姿を見られるのは恥ずかしかった。早く誰かと合流したかった。
 駅の中で目を凝らして、二人の姿を探すが、中々見つけられなかった。
「「葵~!」」
 後ろから声がした。聞き覚えのある声だった。私は振り向くと、探していた二人の姿だった。
「久しぶり、菜緒、陽菜」
「え、何年振り?」
「七年ぶりくらいかな」
「思い出も語り合いたいところだけど」
「とりあえず行こうか」
「うん」
 スーツ姿の人やドレスを着た人たちがいて、きっと彼らも同じ場所に向かうんだろうなと思った。
 私たちは駅から数分のとこにあるチャペルの中へ移動した。受付を済ませるとすでに中に入ることができた。そこは真っ白な空間に覆われていて、木でできた長椅子が何列にも並べられていて半分くらいの席が埋まっていた。菜緒と陽菜とその長椅子に並んで座る。
「あーなんか私まで緊張してきたわ」
「なんで菜緒が緊張してるの?」
「私も緊張してる」
「葵まで!?」
 徐々にチャペルは参列者で埋まっていく。久しぶり!とところどころで再会が起きているようで、時々どっと騒がしくなる。見慣れた顔がちらほらと見える。
「本日はお忙しいなか晃さんと美玖さんの結婚式にご列席頂きまして――」
 人が入り終わると、壇上の端に立つアナウンサーのような声をした女性の司会者が言った。
「始まるね」
「もうすぐ来るよ」
「うん」
 菜緒と私はさらにそわそわとし始める。陽菜も徐々に緊張感をまとい始めていた。
「それでは新郎のご入場です。正面入り口にご注目ください。大きな拍手でお迎えください」
 教会の後ろの扉が開いた。タキシード姿の晃先輩が立っていた。湧き上がるような拍手が会場に響き渡る。晃先輩は歩き出す。さわやかな笑顔で手を振って、相変わらずそのたびに黄色い声援が沸き起こる。
「かっこいい」
「ほんとね」
 晃先輩は壇上の中心に立った。
「さあ、次は美玖だよ」
「美玖の晴れ姿楽しみだ」
 司会の女性がまた喋り始めた。
「それでは続いて新婦がお父様とご入場です」
 もうすぐ美玖が来る。ジェットコースターの頂点が近づいたときのような高揚感が私の中で燃えている。
 扉が開いた。
 ウエディングドレスを身に纏った美玖がそこに立っていた。
 綺麗。無意識に私は小さく声に出してしまったと思う。あまりの美しさに見惚れてしまった。美玖はお父さんと腕を組み、ゆっくりと一歩ずつ進む。私はその姿から目を離せない。きっと私だけじゃない。そこにいるすべての人がバージンロードを歩く美玖の姿を見ている。
 美玖はそんな視線に手を振りながらまっすぐ進む。壇上に上がって美玖と晃先輩は向かい合った。二人の世界ができあがった。誰も立ち入ることのできない。美しい空間が広がっている。誰が何と言おうと揺るぐことのない確固たる二人の世界。
 二人は誓いの言葉を言い合って、お互いが喋ってるときはお互いのことを見つめた。そして二人は誓いのキスを。照れたように笑う美玖の横顔を見ていた。腕を触れ合い、お互いの目を見つめ合っている。愛し合っているんだな、と二人の目を見て思った。
 併設された披露宴会場は白い清潔感のある空間に円形のテーブルがいくつか並べられている。私は菜緒と陽菜と指定された一緒に座って、先に座っていた数人に挨拶をする。見たところ見覚えはない。三年生のころのクラスメイトだろうか。結局そのあと待っている間は、菜緒と陽菜とばかり喋った。その途中、一人の女の子と何度か目が合ったがその顔にはやはり見覚えはなかった。
 司会の挨拶のあと入ってきた美玖は相変わらずきれいだった。
 ケーキ入刀で食べさせ合う姿を見て私が知らないこの七年間の月日に何があったか分かってしまう気がした。
 しばらくの寒暖の後、お色直しがあり、写真撮影をした。その間私の緊張はだんだんと高まる。もうすぐ私の出番だ。
「続いては友人代表、小坂葵さんのスピーチです」
 心臓の鼓動を感じながら私は壇上に登る。眩い照明に照らされた。テーブル席は逆光で私からは見えない。私は深く深呼吸をして、スピーチを読み上げた。
「晃さん、美玖さん、ご結婚おめでとうございます。ただいまご紹介にあずかりました、小坂葵と申します。僭越ながらお二人の友人代表としてお祝いの言葉を述べさせていただきます。また普段お二人のことを晃先輩、美玖と呼んでいるので、本日も親しみを込めてそう呼ばせてください。晃先輩とは高校のバレー部での先輩、後輩という関係でした。晃先輩はバレー部のエースで、ここぞというときに必ず点を決めてくれる心強い人でした。背が高くてイケメンでスポーツもできる。なのに驕ることもなく優しくて気遣いができる人です。私はそんな彼を心から尊敬しています。そして、美玖と私の出会いは高校一年生の時でした。人見知りで人付き合いの苦手だった私はうまくクラスに馴染めませんでした。美玖はそんな私に気づいてみんなと仲良くできるように話題を振ってくれたりしました。いろんなところに遊びに行きました。遊園地行ったり、学校帰りにタピオカ飲みに行ったり、晃先輩との惚気話だって聞かされました。テスト勉強も一緒にして結局喋りすぎて赤点ぎりぎりとったりもしたよね。でもその全部が素敵で大切な思い出になったよ。私の高校生活は美玖のおかげで本当に楽しかった」
 私は美玖の方を向いた。彼女も私のことを見ている。私の目から涙が溢れる。彼女の目からも涙が溢れる。そしてその目を見て言う。
「美玖のことが今でも大、大、大好きだよ」
 言えた。やっと美玖に伝えられた。だからもう言える。
「二人が嬉しいこと、辛いこと、この先あるかもしれません。でも二人なら幸せな家庭を築くことができると思います。末永くお幸せに!本日は誠におめでとうございます」
 お礼を言って、壇を降りたとき拍手に紛れて「私も大好きだよ!」と美玖の声が聞こえた。

   ○

 二次会を抜け出して、暗い街の中を彷徨っていた。ずっと坂を下っていた気がする。
 酔いのせいか、二次会の会場での記憶が定かではない。ただ、いつもよりお酒を飲んだような気がする。大学生のころ気づいたことだが、どうやら私は酒癖が悪いらしい。普段からお酒をよく飲むわけではないが、酔っぱらったときに、おかしくなると同じゼミの友達が言っていた。今日はその酒癖を存分に発揮したらしい。
 頬が火照り暑い。夜風が首元を通り抜けるのが気持ちがいい。規則的に並ぶ街灯の下を私はふらふらと歩いた。みんな心配しているだろうか。でも、今はもう少しこのまま一人でいたい。
 ウエディング姿を見て、ずっと泣きそうだった。というか泣いた。でもその涙は、美玖に恋人ができたときと同じものではなくて、彼女が幸せになったという喜びの感情だった。私は美玖の幸せを心から願えるようになった。好きな人の幸せを願える。
 ずるかったかな。でも、やっと言えた。好きだって伝えられた。
 今になってやっと美玖の幸せを心から願える。私の恋をようやく終わらせることができた。
 これがきっと本当の恋の終わりだ。
 恋の終わりは案外静かだ。
 美玖の両親が泣いていたなとふと思い出した。大切な娘の晴れ姿。私は見せることはできないかもしれない。そう思ってお母さんのことを思い出す。
 久しぶりにお母さんに電話を掛けたのはきっと、酔っているせいだと思う。
「もしもし、お母さん」
『電話なんて珍しいわね』
 久しぶりの電話越しに聞いたお母さんの声は弱弱しく感じた。
「来週末実家帰るね」
『本当?突然ねえ。でもうれしい。葵の好きなもの作って待ってるわ。何が食べたい?』
「ハンバーグ食べたい」
『分かった』
「あとさ」
『なに?』
「その時に大事な話あるから」
『そう』
 お母さんはそう言って、待ってるわ、と付け加えた。
 私は一つため息をついて空を見上げると夜空の中に大きな満月が浮かんでいた。美玖と見た月を思い出す。これからは一緒に月を見たい。好きな人としてじゃなく、親友として。ただ今日だけは一人で空を眺めて恋の終わりに浸っていよう。
「葵ちゃん!」
 背後で声がして、思わず飛び上がった。
「ごめん。驚かせちゃったかな」
 披露宴で私と同じ席に座っていて何度か目が合った女の子だった。
「葵ちゃん、私のこと覚えてる?」
 私の名を知っている女の子の顔を揺れる脳の中で記憶を辿ってみるが、どうにも思い出せない。だけど見たことあるような気がしないでもない。披露宴の時私を見ていたのはきっと、向こうは私のことを覚えていたからだろう。
「やっぱり覚えてないか」
 女の子は残念そうに俯いた。
「すみません」
「いいのいいの。あんまり喋ったことなかったし。私、遠藤美咲っていうんだけどそれでも思い出せないかな」
 えんどうみさき。頭の中で反芻する。どこかで聞いたことがあるような気がする。僅かな見覚えと聞き覚えを手繰り寄せていくと、一つ記憶が蘇った。
「ああ!同じ中学の!」
「あ、やったー!思い出してくれた!」
 唯一同じ中学から同じ高校に入学した同級生の名が遠藤美咲だった。唯一知っていた顔と名前が見事に記憶を引き当てた。
「三年生の時美玖ちゃんと同じクラスだったから私も呼ばれてさあ」
「そうなんだ」
 と言っておきながら、会話に困った。喋りかけてくれた彼女のことを私は何も知らない。だから何を話せばいいか分からなかった。すると美咲が喋りだした。
「実はね、あそこにいる男子がさ」
 美咲が顔を向けた方を見ると、坂の上の方から男子が一人こちらに手を振っていた。こちらも同じ席に座っていた人たちだった。
「私が葵ちゃんの同級生だって言ったら。喋りたいから外に探しに行こうって言うんだよ。自分一人で行けって話だよね」
 美咲は人懐っこそうで、友達が多そうな感じがした。
「あ、ごめん。葵ちゃんと話したくないわけじゃないんだよ。私も中学のころからずっと話してみたかったし。ダメかな?」
 手を合わせてお願いする姿が、美玖と重なった。
「あいつが高校時代葵のこと好きだったみたいで、あいつのためにも一緒に今から二次会戻らない?」
 今日は一人になりたい気分だった。
「ごめん。もう少し今は一人になりたいの。それに男に興味ないから」
 つい言ってしまったけれど、焦りはなかった。酔いが回っているからかもしれない。まあ、これで変な女だと思ってくれればいいや。
「それ、本当?」
 美咲は目を見開いて私の方を見つめていた。
「あ、いやごめん。何でもない。私、酔ってるみたい」
 男の元へ坂を上って行った。美咲は男を押して、二次会の会場へと坂を上っていった。
 その背中を目で追いかけていたら、振り返った美咲と目が合った。私はすぐに逸らした。何故か心臓の音が速くなった。
 気にせず私は彼女たちに背を向けて坂を下った。そのとき空を見上げると、やっぱり月が綺麗だった。
 もう一度、坂の上を振り返ってみた。彼女たちの姿はもうない。
 一人になりたい気分のはずだった。
 そのはずなのに、空に輝く月は一人で見るにはもったいないほど綺麗で、この月を誰かに見せてあげたいと思った。
 思い立って私は、真っ直ぐ坂を駆け上った。
 君の背中を追って。