その気持ちは、少なからず俺を癒してくれたよ。
 なんというか包み込まれたような気がするんだ。
「あの、榊原君、一つお願いがあります」
 帰り道、俺たちは新潟駅に向かって歩いていた。
 夏の夕暮れ。
 蒸し暑いけど、爽やかな放課後だった。
「お願いって何?」
「あの、お互い名前で呼び合いませんか?」
「名前か......、そうだね。付き合ってるわけだし」
「じゃあ、悠真君、あ、言っちゃった」
「瞳ちゃん......」
「嬉しいです。私、ホントに幸せです」
 その笑顔を見ると、どこかほっこりする。
 でもなぜだろう?
 これが嬉しいのかよくわからないんだ。
 緊張しているのかな?
 時間が経てば、このうっくつとした悩みは消えていくのだろうか?
 俺は、そればかり考えていた。

 自宅――。
 瞳ちゃんと、カフェで軽くお茶をしてから、そのまま別れて帰宅した。
 俺はふと、仏教とは何か考えてみた。
 一体、なぜこのように思ったのか?
 それはよくわからないよ。
 だけど、そこには俺の求めている答えがあるような気がしたんだよね。
 仏教とは簡単に言うと――。

「不条理なこの世の中を幸せに生きるための教え」

 と、言えるだろう。
 そして、開祖であるお釈迦さまは、まず「人生は苦」であると定義づけた。
 そう、人生は苦しいのだ。
 お釈迦さまは悟りを開いて諸行無常という心理に至る。
 でもさ。
「苦」って一体何だろう?
 それも簡単だ。
苦とは「思い通りにならないことを、思い通りにしようと思うことで起こる悩み」になる。
 人は誰しも、こんな風に考える。

・出世したい
・お金を稼ぎたい
・素敵な人と結婚したい

 けどさ、大抵の人は、その夢はかなわないよね。 
 同時に、その思いが満たされない時、俺たちは焦りや苛立ちを覚えるんだ。
 それにさ、「希望」「夢」なんてもののは、美しいこと言葉に包まれているけれど、一皮むけば、自分の都合で勝手に描く「欲」に過ぎないのだ。
 この「欲」が意外と厄介だよね?
 人間には、誰しもがこの欲を持っている。
 例え聖人君主に見たいな人間がいたとしても、どこかで欲を持っているのだ。
 美沙だってそう。
 彼女は僧侶を目指している。
 これは輝かしい「夢」かもしれなけれど、やはり「欲」に過ぎないのだ。