「悪い本性っていうのは、なかなか変わらないし、それは、蛇やサソリみたいなものなの。だからね、たとえどんなにいいことをしたとしても、煩悩の毒が混じっているので、それは偽りよって意味ね」
「何か救いがないな。いいことしてるのに、煩悩っていうなんて」
「いい? 煩悩の毒っていうのは、自己中心的な生き方のことを指すのよ。例えば、あたしたちは、心の中で色んな人を、いい人、悪い人、嫌な人と、当てはめているわ。それはあんただってわかるでしょ?」
「まぁ、そうかもね、それが人ってもんだと思うけど」
「そう、だけどね、それは巡りめぐって自分を守るためなのよ」
「自分を守る?」
「えぇ、あたしたちは、自分の考える枠の中に、他人を当てはめて考える。でも、少しでもその枠から外れると、とんでもない想いを心に抱いて人を傷つけるケースだってある。だけど、それが人の姿なの。そして、親鸞聖人は、そんな人の心を見事に見抜いている」
「そういうもんかね......」
「そう、あたしたちは、阿弥陀さまの姿を鏡にするべきね」
「阿弥陀さまねぇ、そんなの誰にでもできるわけじゃないと思うけど......」
「だからよ」
「だから?」
「そう、だから親鸞聖人は言ったの。煩悩の毒に冒され、自己中心的な生き方しかできないと、常に思い続ける必要があるとね。そうすれば、人にもっと優しくできる、自己中心的な生き方を改められる。あたしはこの言葉から、そんな教えを聞いたような気がするわ」
「流石親鸞聖人ってことか......。確かに、俺たちは自己中心的だよ。それが正しいと思っている。でも、それを受け入れ、気づく姿勢が重要なんだな?」
「そういう話。ためになるでしょ?」
今日もまた一つ勉強になる。
俺は少しずつだけど、親鸞聖人という僧侶に惹かれつつあった。
今までの俺なら、こんな言葉をささやかれても、きっと無視していたと思う。
でも、ひたむきな美沙の姿勢を見ていると、どういうわけか応援したくなるのだ。
「それじゃ、後でパソコンで打ち込んで、新聞部に送信しておくよ」
「うん。そうしておいて。少しずつ、親鸞聖人の教えを広めていっているような気がするわ」
俺たちはその後、軽く雑談をして、そのまま帰ることにした。
「途中まで一緒に帰ってもいいけど」
と、澄ました感じで美沙は言ってきた。
俺たちは途中まで帰り道が一緒だ。
「何か救いがないな。いいことしてるのに、煩悩っていうなんて」
「いい? 煩悩の毒っていうのは、自己中心的な生き方のことを指すのよ。例えば、あたしたちは、心の中で色んな人を、いい人、悪い人、嫌な人と、当てはめているわ。それはあんただってわかるでしょ?」
「まぁ、そうかもね、それが人ってもんだと思うけど」
「そう、だけどね、それは巡りめぐって自分を守るためなのよ」
「自分を守る?」
「えぇ、あたしたちは、自分の考える枠の中に、他人を当てはめて考える。でも、少しでもその枠から外れると、とんでもない想いを心に抱いて人を傷つけるケースだってある。だけど、それが人の姿なの。そして、親鸞聖人は、そんな人の心を見事に見抜いている」
「そういうもんかね......」
「そう、あたしたちは、阿弥陀さまの姿を鏡にするべきね」
「阿弥陀さまねぇ、そんなの誰にでもできるわけじゃないと思うけど......」
「だからよ」
「だから?」
「そう、だから親鸞聖人は言ったの。煩悩の毒に冒され、自己中心的な生き方しかできないと、常に思い続ける必要があるとね。そうすれば、人にもっと優しくできる、自己中心的な生き方を改められる。あたしはこの言葉から、そんな教えを聞いたような気がするわ」
「流石親鸞聖人ってことか......。確かに、俺たちは自己中心的だよ。それが正しいと思っている。でも、それを受け入れ、気づく姿勢が重要なんだな?」
「そういう話。ためになるでしょ?」
今日もまた一つ勉強になる。
俺は少しずつだけど、親鸞聖人という僧侶に惹かれつつあった。
今までの俺なら、こんな言葉をささやかれても、きっと無視していたと思う。
でも、ひたむきな美沙の姿勢を見ていると、どういうわけか応援したくなるのだ。
「それじゃ、後でパソコンで打ち込んで、新聞部に送信しておくよ」
「うん。そうしておいて。少しずつ、親鸞聖人の教えを広めていっているような気がするわ」
俺たちはその後、軽く雑談をして、そのまま帰ることにした。
「途中まで一緒に帰ってもいいけど」
と、澄ました感じで美沙は言ってきた。
俺たちは途中まで帰り道が一緒だ。

