なんともいえないもやもやを抱えたまま、午後の授業が始まった。
 五限目の体育は、男女ともに体育館で行われることになった。男子がメインフロアでバスケ、女子は二階のサブフロアで卓球だ。
 本当は女子はグラウンドでソフトボールをする予定だったが、午前中に降った雨のせいでグラウンドが荒れていたため、急遽卓球へと変更された。
 こんな風に、いつもは体育館とグラウンドで男女別に体育の授業があるため、私は体育の時の渡世を見たことがなかったのだ。でも、今日は雨によって同じ体育館。階は違えど、目が届く範囲に渡世がいる。
男子も女子がいることを意識しているのか、やたら気合が入ってる者が多いように思える。女子も女子で、メインフロアを気にしてそわそわしてる者が……。同級生の青春している姿を横目に、私は気だるげにラケットを振った。
 自分の番が終わり、暇になった私は何の気なしにメインフロアにいる男子たちを見た。私の目線は勝手に渡世を探し始め、すぐに体育館の隅でジャージを着て座り込んでいる渡世を捉えた。
 渡世はぼーっとした表情で、激しく動くボールをただ見つめている。そんな渡世の姿を、私は同じようにぼーっと見つめていた。
 ふと、渡世が目線を上げた。すると、ばっちりと視線が合ってしまった。

 ――やばっ!

 私が渡世を見ていたことがバレたと思い、恥ずかしくなってふいっと顔を逸らす。そのまま逃げるように女子たちの群れの後ろへ行こうとした、その時だった。

「渡世!」

 男子生徒が、大きな声で渡世を呼んだ。
私はすぐに振り返る。さっきまで退屈そうに座っていた渡世が、顔を抑えて横たわっている。

「わっ……大丈夫かな渡世くん」
「なになに?」
「男子たちがふざけて投げ合ってたボールが、渡世くんの顔面に直撃してた」
「マジで? 痛そー……」

 様子を見ていた女子たちの会話で、なにが起きたかすぐに理解できた。その瞬間体は勝手に動き出し、私は階段を駆け下りていた。
 心配した男子たちが次々と渡世の元に駆け寄る。私もその輪へ飛び込むと、クールな渡世の顔から似合わない鼻血が垂れて、体育館の床を赤く濡らしていた。

「大きな傷はなさそうだな。……保健委員、念のため渡世を保健室に――」

先生が声を上げると、保健委員が動くより先に、私は渡世の手を引いていた。

「大丈夫!?」

 声をかけると、渡世は黙って私を見つめた。大丈夫なら大丈夫くらい言ってほしいが、なぜか渡世は黙っている。

「ほら行くよ。保健室」

 私は渡世を起き上がらせて、そのまま一緒に保健室へ向かった。言い忘れていたが、私は保健委員でもなんでもない。だけど、渡世を助ける役目は保健委員より私にあると思った。だって私は、渡世のボディガードだから。
 こんな目立つことをしたら後で死ぬほど茶化されて、クラスメイトたちの話のネタにされることだろう。でもそんなことはどうでもよかった。この時私は、怪我をした渡世に対する心配の気持ちで頭がいっぱいだった。

 渡世を保健室に連れていき、先生に診てもらう。私はそんな渡世の後ろに立ち尽くし、ただ様子を見守っていた。

「うん。特に異常なし。鼻血も止まってるし、落ち着いたら戻っていいわよ」
「ありがとうございます。……はぁ。よかった」

 渡世より先に私がお礼を言うと、先生は笑って言う。

「朝倉さんったら、相当渡世くんが心配だったのね」
「えっ……い、いや、もし打ちどころが悪かったらどうしようかと思って。だって私……」

 渡世に万が一のことがあったら困りますから。なんて言えずに、途中で口をつぐんだ。

「先生、ありがとうございました。俺は大丈夫なので、朝倉と一緒に授業に戻ります」
「あらそう。渡世くん、今度から授業中のよそ見には気を付けるのよ」
「はい。わかりました。行くぞ、朝倉」

 渡世は椅子から立ち上がると、保健室から出て行く。私は先生にぺこりとお辞儀をしてから渡世の後を追った。
鼻血も止まり、すっかりいつも通りに戻った渡世を見ると、急に頭が冷静になってきた。渡世の一歩後ろを歩きながら、さっきの自分の大胆な行動を思い出して恥ずかしくなる。

「ありがとう朝倉。二階から駆けつけてくれて……びっくりして言葉が出なかったけど、うれしかった」

 俯いてひとり顔を熱くしていた私に、渡世が声をかけてくる。あの時黙っていた理由は、驚いていたかららしい。

「……? どうしたんだ」

 返事をしない私を不思議に思ったのか、再度渡世が訝しげに口を開いた。

「私ってば、鼻血くらいでみんなの前であんな反応して大げさだったよね。思い出すと恥ずかしくなって」

 渡世も私のせいで、きっとみんなにまた冷やかされるだろう。なにを言われても気にしないという態度を一貫している渡世だが、実際はどう思っているのかわからない。渡世にも恥ずかしい思いをさせていたら申し訳ないと思った。

「なんだ。そんなことか」

 私のそんな心配を、渡世は軽く笑い飛ばす。