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「わーたせっ! ハッピーバレンタイン!」

 二月十四日。学校が終わるなり、私はすぐに渡世のお見舞いに訪れた。もちろん、ちょっと奮発して買ったチョコレートを持って。

「ああ、サンキュ。これ、いいところの袋だろ。俺のためにわざわざありがとな」

 渡世は嬉しそうに紙袋を受け取って、楽しみにとっておくとサイドテーブルにチョコレートを置いた。
 そこからはいつも通り、他愛もない会話が繰り広げられる。
 このブランドのチョコを教えてくれたのはゆかりで一緒に買いに行ったこと。今日は終礼後すぐに病院に行きたかったから、雑用を矢島くんに押し付けたこと。その代わり、義理チョコはしっかり渡しておいたこと――。

「ゆかりは高遠と放課後デートだって。高遠朝からめちゃくちゃテンション高くてさ、クラス中から鬱陶しがられてた」

 あの日から、ゆかりとは本心を言い合える友達になれたように思う。以前の上っ面な偽物の友達ごっこなんかではない。遠慮せずに、言いたいことを言い合える仲だ。そんな同姓の友達は今までひとりもいなかったから、新鮮な気分だ。

「その姿、安易に想像がつく。……よかった。お前、俺がいなくても楽しくやれてるみたいで」

 嫌味とかではなく、渡世は本当に安心しているようにそう言った。

「渡世がいたらもっと楽しいんだけどね?」

 私の言葉に、渡世はただ小さく微笑むだけ。
 渡世の今の容態がどんなものか、私は詳しく聞かなかったし、知ろうともしなかった。でも、前よりちょっと元気がないことは、目に見えてわかった。

「……ねぇ渡世。今日はバレンタインだから、チョコのほかにもなにか頼みがあるなら特別に聞いてあげていいよ。そのかわり、ホワイトデーは倍返しでよろしくね」

 私は置いてある椅子から立ち上がり、渡世のベッドの空いているスペースにぽんと腰掛けた。病院のベッドは思ったより硬い。

「恩着せがましいやつだな。……頼みか。そうだな」

 なにかを考えるように、渡世は窓の外を見た。その姿が、いつも教室で見ていた渡世の姿と重なって見えた。

「お前と春を過ごしてみたい、かな。唯一、お前と体験したことのない季節だから」

 目を閉じて、渡世は静かに言った。まるで、私と過ごす春を想像しているかのように。

「春なんて、もうすぐそこまできてるよ」

 そう、すぐ目の前に。
 渡世が医者から宣告された余命を乗り越えれば、共に春を過ごすことができる。春を過ごしたいという希望が、渡世の体にも影響を与えてくれることを願うばかりだ。

「あともうひとつ。お前に名前で呼んでほしい」
「えっ!? な、なに急に!」
「いいから呼んでみろ。ほら、3、2、1」
「……ぜ、ぜん……」

 強制的に名前を呼ばされて、後から強烈な恥ずかしさが私に襲い掛かってきた。顔が熱くなっているのが自分でもわかる。慣れないことをするのって、こんなに照れくさいものだっけ……。たぶん、相手が渡世だからだ。

「やっぱり恥ずかしいからこれ以上は無理! 大体渡世だって、私のこと名前で呼んだことないじゃん」
「たしかに。じゃあさ、こうしないか? 一緒に過ごす春がきて、その時俺たちがまだお互いのことをいつも考えていたら――名前で呼び合おう」

 春はすぐそこだと言ったのに、渡世はずいぶん遠い未来のこと――もしくは。

「……うん。そうしよう」

 来るかわからない未来のことを、言っているように聞こえた。