目が覚めた。
日付は八月十日。晴天。病院で出される朝食のメニューは、白米、味噌汁、鮭、ひじき、ヨーグルト。テレビから聞こえる占いの結果は――。
「……最下位、山羊座。一位、牡牛座」
『一位は牡牛座のあなた。新たな恋の予感がするかも! 最下位は残念、山羊座のあなた。困難に立ち向かうことになるでしょう』
「えぇっ! すごい! 全くん、どうしてわかったの!?」
朝食を運んできてくれた看護師さんが、占い結果を先に言い当てた俺を見て驚いている。
「俺、天才なんで」
真顔のまま看護師さんにそう告げて、俺はまずひじきに手をつけた。〝天才〟って、なんて都合のいい言葉なのか。おかしなことを言っても、この言葉ひとつで片付けられる。
――本当は、知っていただけなのに。
俺は今日という日を、既に六回経験している。これで七回目だ。
どうしてこんなことが自分の身に起きているのか、どんな原理なのかは考えたってわからない。
ただ、すべては……俺が余命宣告をされた、最初の八月十日から始まった。
** *
「だんだん症状が悪化してきている。このままでは、持ってあと半年……」
医者にそう言われた時、俺は思ったより冷静にいられた自分に驚いた。
隣にいる母は肩を震わせ、鼻水をすすっている。
「そんな、先生。どうにかならないんですか!」
父が医者に抗議する声も、俺にはどこか他人事のように思えた。自分のことなのにおかしな話だ。きっとこの時の俺は、現実を受け入れていなかったのだと思う。
その日の夜。真っ暗な病室にひとりでいると、急にさっきの医者の言葉が現実的に思えてきた。母の涙も父の必死な訴えも、全部俺のためだったのだと理解する。
「……ああ、死ぬんだ。俺」
誰もいない病室で俺は呟いた。
死ぬってどんな感じなのだろう。発作が起きて、意識を失って、二度と目覚めることがないのだろうか。
ぞわりと全身が震えた。目を閉じることが、急にものすごく恐ろしくなった。当たり前にくるはずの明日が、もしかしたら一生こないかもしれない。
――怖いんだ。死ぬことが。
幼い頃から心臓の悪かった俺は、いつ死んでもおかしくないと思っていた。まともに学校へ行くことも、外で遊ぶこともできない。家や病室の窓から、楽しそうな声を聞いて、楽しそうに駆け回る姿を眺めるだけ。
俺は一生そうやって過ごして、大人になる前に死ぬのだと、物心ついた時からどこかでそう思っていた。だから、死ぬことへの覚悟はできていたはずだ――が。
「……いざ言われると、結構きついもんだな」
気づかぬうちに頬が濡れている。その日、俺は十年ぶりに涙を流した。
俺と家族の意思で、残りの時間は病院を退院して、家で過ごすことに決めた。もちろん、緊急事態の時はすぐに病院へ行くこと、毎日決められた薬を飲むことは言わずもがなの絶対条件で。
入院生活を続けて僅かでも余命を伸ばしながら移植を待つこともできたが、俺はその道を選ばなかった。できるかもわからない手術を寝て待つより、せめて最後くらい好きに生きようと思ったからだ。
「全、なにかしてみたいことある? 行きたいところとか……」
お茶を飲んでいた俺に、母が言う。
余命宣告をされていから一週間後、退院手続きが終わり実家に帰ってきた。自分の荷物はほとんどなかったため、荷物の整理はすぐに終わった。
「……」
母の質問に、俺は頭を悩ませる。
好きに生きたいとは言ったものの、好きに生きるってなんだろうか。よく考えたら、俺はやりたいことも、行ってみたい場所も特にないことに気づいた。
「……あ」
――前言撤回。ひとつだけ、思い当たるものがある。
「学校に行って、普通の高校生活を送ってみたい。周りの同年代のやつらがやってる当たり前のことを、俺も経験しておきたい」
それは、学校に毎日通うこと。
窓から見ていた景色の向こう側に、俺も行ってみたいと思った。
「……そう。じゃあ、二学期から通えるように、高校に連絡しないとね」
母はすぐに俺の願いを叶えるために動いてくれた。
俺は入院中、やることがないのでよく勉強をしていた。最初は両親に教わりながら、たまに同じ入院患者の人たちにも教わったり――そして最終的に、テキストを見て独学で勉強を進めるようになった。
どうやら俺は頭がよかったらしく、学校に通わずともそれなりに勉強ができた。学校に行っていたら、学年でなかなかいい成績を残せていたと思う。天才というのは、あながち嘘ではない。
高校は受験だけしており、一応受かっていた。まったく登校していないが、学校側も俺の事情は知っていたため、特になにかを言われることもなかった。
「おお、お前が渡世か! 背が高いなぁ。先生より身長あるんじゃないか?」
二学期から学校へ通うことが決まり、俺は夏休み中に一度学校を訪ねることになった。そこで担任の小堀先生と初対面する。小堀先生は愉快な先生で、俺とは真逆の性格だった。
「二学期からよろしくな。うちのクラスは和気藹々としてるから、渡世もすぐ溶け込めると思うぞ」
「……はあ」
正直、俺は人づきあいが苦手だ。幼い頃から関わって来たのは親族と病院関係者だけ。クラスのみんなの輪に溶け込める自分など想像つかない。それに、溶け込みたいとも思わない。俺はただ、学校っていう世界をこの目で見て、体験したいだけ。そんなのひとりでもできる。
大体――仲良くなったところで、どうせ俺は一緒に卒業もできない。
未来のない俺と、輝かしい未来のあるほかのクラスメイト。俺たちには、とんでもなく分厚い壁があるのだ。……わかりあえるはずがない。
「あ、それとな、渡世はすごいやつだって噂を病院の人から聞いたんだけど――」
「……噂? どんなのですか?」
「人の心が読める超能力者だって」
日付は八月十日。晴天。病院で出される朝食のメニューは、白米、味噌汁、鮭、ひじき、ヨーグルト。テレビから聞こえる占いの結果は――。
「……最下位、山羊座。一位、牡牛座」
『一位は牡牛座のあなた。新たな恋の予感がするかも! 最下位は残念、山羊座のあなた。困難に立ち向かうことになるでしょう』
「えぇっ! すごい! 全くん、どうしてわかったの!?」
朝食を運んできてくれた看護師さんが、占い結果を先に言い当てた俺を見て驚いている。
「俺、天才なんで」
真顔のまま看護師さんにそう告げて、俺はまずひじきに手をつけた。〝天才〟って、なんて都合のいい言葉なのか。おかしなことを言っても、この言葉ひとつで片付けられる。
――本当は、知っていただけなのに。
俺は今日という日を、既に六回経験している。これで七回目だ。
どうしてこんなことが自分の身に起きているのか、どんな原理なのかは考えたってわからない。
ただ、すべては……俺が余命宣告をされた、最初の八月十日から始まった。
** *
「だんだん症状が悪化してきている。このままでは、持ってあと半年……」
医者にそう言われた時、俺は思ったより冷静にいられた自分に驚いた。
隣にいる母は肩を震わせ、鼻水をすすっている。
「そんな、先生。どうにかならないんですか!」
父が医者に抗議する声も、俺にはどこか他人事のように思えた。自分のことなのにおかしな話だ。きっとこの時の俺は、現実を受け入れていなかったのだと思う。
その日の夜。真っ暗な病室にひとりでいると、急にさっきの医者の言葉が現実的に思えてきた。母の涙も父の必死な訴えも、全部俺のためだったのだと理解する。
「……ああ、死ぬんだ。俺」
誰もいない病室で俺は呟いた。
死ぬってどんな感じなのだろう。発作が起きて、意識を失って、二度と目覚めることがないのだろうか。
ぞわりと全身が震えた。目を閉じることが、急にものすごく恐ろしくなった。当たり前にくるはずの明日が、もしかしたら一生こないかもしれない。
――怖いんだ。死ぬことが。
幼い頃から心臓の悪かった俺は、いつ死んでもおかしくないと思っていた。まともに学校へ行くことも、外で遊ぶこともできない。家や病室の窓から、楽しそうな声を聞いて、楽しそうに駆け回る姿を眺めるだけ。
俺は一生そうやって過ごして、大人になる前に死ぬのだと、物心ついた時からどこかでそう思っていた。だから、死ぬことへの覚悟はできていたはずだ――が。
「……いざ言われると、結構きついもんだな」
気づかぬうちに頬が濡れている。その日、俺は十年ぶりに涙を流した。
俺と家族の意思で、残りの時間は病院を退院して、家で過ごすことに決めた。もちろん、緊急事態の時はすぐに病院へ行くこと、毎日決められた薬を飲むことは言わずもがなの絶対条件で。
入院生活を続けて僅かでも余命を伸ばしながら移植を待つこともできたが、俺はその道を選ばなかった。できるかもわからない手術を寝て待つより、せめて最後くらい好きに生きようと思ったからだ。
「全、なにかしてみたいことある? 行きたいところとか……」
お茶を飲んでいた俺に、母が言う。
余命宣告をされていから一週間後、退院手続きが終わり実家に帰ってきた。自分の荷物はほとんどなかったため、荷物の整理はすぐに終わった。
「……」
母の質問に、俺は頭を悩ませる。
好きに生きたいとは言ったものの、好きに生きるってなんだろうか。よく考えたら、俺はやりたいことも、行ってみたい場所も特にないことに気づいた。
「……あ」
――前言撤回。ひとつだけ、思い当たるものがある。
「学校に行って、普通の高校生活を送ってみたい。周りの同年代のやつらがやってる当たり前のことを、俺も経験しておきたい」
それは、学校に毎日通うこと。
窓から見ていた景色の向こう側に、俺も行ってみたいと思った。
「……そう。じゃあ、二学期から通えるように、高校に連絡しないとね」
母はすぐに俺の願いを叶えるために動いてくれた。
俺は入院中、やることがないのでよく勉強をしていた。最初は両親に教わりながら、たまに同じ入院患者の人たちにも教わったり――そして最終的に、テキストを見て独学で勉強を進めるようになった。
どうやら俺は頭がよかったらしく、学校に通わずともそれなりに勉強ができた。学校に行っていたら、学年でなかなかいい成績を残せていたと思う。天才というのは、あながち嘘ではない。
高校は受験だけしており、一応受かっていた。まったく登校していないが、学校側も俺の事情は知っていたため、特になにかを言われることもなかった。
「おお、お前が渡世か! 背が高いなぁ。先生より身長あるんじゃないか?」
二学期から学校へ通うことが決まり、俺は夏休み中に一度学校を訪ねることになった。そこで担任の小堀先生と初対面する。小堀先生は愉快な先生で、俺とは真逆の性格だった。
「二学期からよろしくな。うちのクラスは和気藹々としてるから、渡世もすぐ溶け込めると思うぞ」
「……はあ」
正直、俺は人づきあいが苦手だ。幼い頃から関わって来たのは親族と病院関係者だけ。クラスのみんなの輪に溶け込める自分など想像つかない。それに、溶け込みたいとも思わない。俺はただ、学校っていう世界をこの目で見て、体験したいだけ。そんなのひとりでもできる。
大体――仲良くなったところで、どうせ俺は一緒に卒業もできない。
未来のない俺と、輝かしい未来のあるほかのクラスメイト。俺たちには、とんでもなく分厚い壁があるのだ。……わかりあえるはずがない。
「あ、それとな、渡世はすごいやつだって噂を病院の人から聞いたんだけど――」
「……噂? どんなのですか?」
「人の心が読める超能力者だって」