渡世が登校しないまま、二月を迎えた。
あれから渡世とは会っていないし、連絡も取っていない。何度か病院まで足を運んだが入口で足がすくみ、結局引き返して終わった。面会も謝絶と言われたし、会いに行ったところで実際に会えたかはわからない。
私の日常から、あっけなく渡世はいなくなった。二学期からの日々がまるで夢だったように、移り変わる季節の如く、渡世は姿を消したのだ。
クラスのみんなは「また忙しくなって外国に行ったんじゃないか」と噂していた。私はそんな噂話を周りと一緒に信じるふりをしてその場をやり過ごした。一か月近くも経てば、誰も渡世の話をしなくなった。
私にとって渡世は特別で、同じ教室にいてもひとり目立って見えた。でもみんなからすれば、渡世は存在感のない目立たないクラスメイトだったのだろう。いなくなったところで大きくは変わらない。
小堀先生が雑用係決めでするじゃんけんの相手は渡世から矢島くんになり、私は今のところ連勝していた。相手が渡世でなければ、案外じゃんけんは強いことに気づいた。
日常が戻っただけ。なんにもない、つまらない日常。
これが私にとって普通の世界。一瞬抱いた恋心は、忘れ去りたくて心の奥底にしまい込んだ。渡世との思い出も一緒に。
「今日は矢島が風邪で休みだから、無条件で朝倉が雑用係な。放課後、教室に残るように!」
「えぇ~……」
「やる気ない声を出すな! 久しぶりなんだからいいだろ」
小堀先生に強制的に指名され、私は今学期初の雑用を任されることになった。三年生になってクラスは変わらなくても担任は変わる可能性がある。そうなれば、小堀先生に付き合わされるのもあと僅かだ。やる気は出ないが、仕方なく付き合ってあげよう。
放課後、ひとりで廊下側の窓際、いちばん前の席で待っていると、プリントを抱えた小堀先生がやって来た。小堀先生が来た時はもう、教室には誰もいなくなっていた。
渡世と雑用をしていた時も、いつもふたりだったな……。
しまっていたはずの思い出が脳裏に浮かんできて、私は首を何度も横に振ってかき消していると「なにやってんだ? 朝倉」と、小堀先生に奇異の目を向けられてしまった。
「んじゃ、早速始めるかぁ」
小堀先生は隣の席の椅子を借りて、私と向き合うように座ると、抱えていたプリントをどさっと机に広げた。今日の作業は提出必須の三種類のプリントをそれぞれ分けて、ちゃんと提出しているか名簿にチェックをつけていくという作業だ。完全に先生の仕事を押し付けられている。不満を言ったところで時間の無駄なので、黙って作業を始めた。
「ていうか珍しい。先生が一緒に雑用するのって」
いつもなら、これくらいの作業ひとりに任せそうなのに。出席番号一番のいらない特権のせで散々雑用をやってきたけど、小堀先生との共同作業は初めてだ。
「あー。言われてみたらそうだな。いや、もうすぐ担任変えがあるだろ? だから最後に一緒にやるのもいいかなと思ってさ」
ペラペラとプリントをめくりながら、小堀先生は笑った。この言い方だと、来年は私たちのクラスの担任は小堀先生じゃなさそうだ。雑用は面倒だけど、このゆるい感じは好きだったんだけどなぁ。
「こんな機会だから、作業中はなんでも質問に答えてやるぞ。朝倉、俺に聞きたいことがあればどんとこい」
「小堀先生に聞きたいことかぁ……なんだろ」
「悩むところじゃないだろ! 結婚してますか? とか、彼女いますか? とか、今なら特別に朝倉だけに教えてやるぞ!」
はっはっは、と小堀先生の愉快な笑い声が響く。
ぶっちゃけ小堀先生の恋愛事情など少しも興味はない。なにを言われても「へぇ~」以外の返しが見つからない気がする。
小堀先生も場を持たせるために言ってくれたのかもしれないし、なにかあればいいんだけど。私は頭の中で、質問したいことを考える。
ひとつ、すぐに思いついたものがあった。
だけど、これを聞いていいのかわからない。聞くことによって、心の奥の鍵をかけた箱の中身がまた溢れ出てくるようにも思う。だがこの質問を思いついた時点で、箱は半分開いているのだろう。
「……先生って」
「おお、質問、思いついたのか?」
小堀先生は嬉しそうに、名簿から私へ視線を移す。
「先生って、渡世の病気のこと知ってたんですか?」
どんな顔をして、私はこの質問を先生に投げかけているだろうか。真顔? それとも、ちょっと怒ってる? 私は今、自分がどんな顔をしているかわからない。
小堀先生は驚いた顔をしていた。そして痛いところを突かれたと言わんばかりに眉を下げて笑った。
「……あぁ。やっぱり、朝倉は知ってたんだな。渡世と仲良かったもんなぁ」
先生は持っていたペンを置くと、私の席からいちばん遠い場所にある渡世の席を見つめてそう言った。
あれから渡世とは会っていないし、連絡も取っていない。何度か病院まで足を運んだが入口で足がすくみ、結局引き返して終わった。面会も謝絶と言われたし、会いに行ったところで実際に会えたかはわからない。
私の日常から、あっけなく渡世はいなくなった。二学期からの日々がまるで夢だったように、移り変わる季節の如く、渡世は姿を消したのだ。
クラスのみんなは「また忙しくなって外国に行ったんじゃないか」と噂していた。私はそんな噂話を周りと一緒に信じるふりをしてその場をやり過ごした。一か月近くも経てば、誰も渡世の話をしなくなった。
私にとって渡世は特別で、同じ教室にいてもひとり目立って見えた。でもみんなからすれば、渡世は存在感のない目立たないクラスメイトだったのだろう。いなくなったところで大きくは変わらない。
小堀先生が雑用係決めでするじゃんけんの相手は渡世から矢島くんになり、私は今のところ連勝していた。相手が渡世でなければ、案外じゃんけんは強いことに気づいた。
日常が戻っただけ。なんにもない、つまらない日常。
これが私にとって普通の世界。一瞬抱いた恋心は、忘れ去りたくて心の奥底にしまい込んだ。渡世との思い出も一緒に。
「今日は矢島が風邪で休みだから、無条件で朝倉が雑用係な。放課後、教室に残るように!」
「えぇ~……」
「やる気ない声を出すな! 久しぶりなんだからいいだろ」
小堀先生に強制的に指名され、私は今学期初の雑用を任されることになった。三年生になってクラスは変わらなくても担任は変わる可能性がある。そうなれば、小堀先生に付き合わされるのもあと僅かだ。やる気は出ないが、仕方なく付き合ってあげよう。
放課後、ひとりで廊下側の窓際、いちばん前の席で待っていると、プリントを抱えた小堀先生がやって来た。小堀先生が来た時はもう、教室には誰もいなくなっていた。
渡世と雑用をしていた時も、いつもふたりだったな……。
しまっていたはずの思い出が脳裏に浮かんできて、私は首を何度も横に振ってかき消していると「なにやってんだ? 朝倉」と、小堀先生に奇異の目を向けられてしまった。
「んじゃ、早速始めるかぁ」
小堀先生は隣の席の椅子を借りて、私と向き合うように座ると、抱えていたプリントをどさっと机に広げた。今日の作業は提出必須の三種類のプリントをそれぞれ分けて、ちゃんと提出しているか名簿にチェックをつけていくという作業だ。完全に先生の仕事を押し付けられている。不満を言ったところで時間の無駄なので、黙って作業を始めた。
「ていうか珍しい。先生が一緒に雑用するのって」
いつもなら、これくらいの作業ひとりに任せそうなのに。出席番号一番のいらない特権のせで散々雑用をやってきたけど、小堀先生との共同作業は初めてだ。
「あー。言われてみたらそうだな。いや、もうすぐ担任変えがあるだろ? だから最後に一緒にやるのもいいかなと思ってさ」
ペラペラとプリントをめくりながら、小堀先生は笑った。この言い方だと、来年は私たちのクラスの担任は小堀先生じゃなさそうだ。雑用は面倒だけど、このゆるい感じは好きだったんだけどなぁ。
「こんな機会だから、作業中はなんでも質問に答えてやるぞ。朝倉、俺に聞きたいことがあればどんとこい」
「小堀先生に聞きたいことかぁ……なんだろ」
「悩むところじゃないだろ! 結婚してますか? とか、彼女いますか? とか、今なら特別に朝倉だけに教えてやるぞ!」
はっはっは、と小堀先生の愉快な笑い声が響く。
ぶっちゃけ小堀先生の恋愛事情など少しも興味はない。なにを言われても「へぇ~」以外の返しが見つからない気がする。
小堀先生も場を持たせるために言ってくれたのかもしれないし、なにかあればいいんだけど。私は頭の中で、質問したいことを考える。
ひとつ、すぐに思いついたものがあった。
だけど、これを聞いていいのかわからない。聞くことによって、心の奥の鍵をかけた箱の中身がまた溢れ出てくるようにも思う。だがこの質問を思いついた時点で、箱は半分開いているのだろう。
「……先生って」
「おお、質問、思いついたのか?」
小堀先生は嬉しそうに、名簿から私へ視線を移す。
「先生って、渡世の病気のこと知ってたんですか?」
どんな顔をして、私はこの質問を先生に投げかけているだろうか。真顔? それとも、ちょっと怒ってる? 私は今、自分がどんな顔をしているかわからない。
小堀先生は驚いた顔をしていた。そして痛いところを突かれたと言わんばかりに眉を下げて笑った。
「……あぁ。やっぱり、朝倉は知ってたんだな。渡世と仲良かったもんなぁ」
先生は持っていたペンを置くと、私の席からいちばん遠い場所にある渡世の席を見つめてそう言った。