401 渡世 全 様
部屋の前に書かれたネームプレートを確認して、私はノックもせずに思い切り扉を開けた。病室のベッドの上で、教室にいる時みたいに窓の外を眺めている渡世がいた。
「……朝倉?」
私に気づいた渡世の瞳は動揺からか揺れていた。
ぴしゃりと扉を閉めると、私は渡世が寝ているベッドまで無言で歩き口を開いた。
「……嘘つき」
「……」
「渡世の嘘つき……!」
数分前、渡世のお母さんか聞いた話は、信じがたいほど衝撃的なものだった。自殺願望があって、それを止めてほしくてなんて私の予想はまったくの的外れで――現実はもっともっと残酷だった。
渡世はすべてを悟ったのか、諦めた顔を浮かべて瞳を伏せた。
渡世は幼い頃から心臓病だった。
症状が重くて、ずっと学校に行けず入退院を繰り返していたようだ。どういうわけか超能力者なんて噂がついて、その噂がひとり歩きして、学校に来ない理由は〝世界中を飛び回っているから〟となったらしい。「全は人間観察が好きだったから、人の行動を読むのが得意だったの。超能力者っていうのは、そこからきたのかもしれないわね」と、渡世のお母さんは言っていた。
そんな渡世がどうして高二の二学期から、突然学校へ通うようになったのか。
夏休み、渡世はずっと自分を診てくれた主治医にこう告げられたという。
「症状はかなり悪化している。このままでは持ってあと半年だ」と。
つまりこれは、渡世に対する医者からの余命宣言。最後に渡世に好きなことをさせたいと思ったご両親は、渡世に聞いた。「なにかやりたいことはない?」
その答えが「高校に通って、普通に男子高校生として過ごしてみたい」だった。ずっと学校に通えなかった渡世は、限られた時間を周りと同じように、当たり前に過ごすことを望んだのだ。
「不運ってなに? こんなの、私が助けられる範囲を超えてるじゃん。今から医者でも目指せってこと? ふざけないでよ」
掴みかかりそうになる手をぐっと固く握る。怒りと悲しみで唇がブルブルと震える。
渡世は世界中を飛び回る超能力者なんかじゃなかった。未来透視の話も、嘘なのだとしたら――。
「どうして……私にあんなことを言ったの?」
『死にたくないなら、俺を死なせるな』
最初から私がいくら頑張ったって、渡世を助けるなんて不可能だったのに。私はなにも知らないで、渡世の未来透視を鵜呑みにして、ふたりともが生きる未来だけを見据えていた。
その結果がこれだ。病気を治す力なんて私にはない。どう頑張ったって、私は渡世を救えない。
「……お前に、生きてほしかったから、かな」
意味がわからない。死ぬのが怖かったから、一緒に死の恐怖を持ってくれる相手がほしかったと言われたほうがまだわかる。私に生きてほしいなら、最初から関わらないでほしかった。こんな気持ち、教えないでほしかった。
私はもう、あなたがいない毎日が考えられない。渡世の言った未来は当たっている。私は渡世が死んでしまった世界を、色のない世界を、ひとりで歩ていける自信がない。
「本当なの? 本当に、渡世は死んじゃうの?」
「……ああ。でも、お前が自殺するっていう未来は嘘だ。ちっともおもしろくない冗談だ。俺はお前に、ただ一緒にいてほしかった。あんなことを言ったのは、四六時中俺のことを考えてほしかったからだ。全部、俺のエゴでやったことに過ぎない」
「そんなのおかしい。私と渡世はあの時、まだ知り合ったばかりだったじゃない。私のことなんて好きじゃなかったでしょう?」
「……さあ。どうだかな」
また、そうやって誤魔化すんだ。こんな場面でもいつもみたいに、肝心なことは絶対に離さないんだ。
「俺が死んでも、朝倉は大丈夫だ」
「大丈夫なわけない! どうしてそんなこと言えるの? 渡世、言ってたよね。私がいる限り、俺は死なないって。ずっと一緒だって」
たった五日前に言ったことを、もう忘れちゃったの? ……あの時、渡世はどういう気持ちであの言葉を言っていたの?
「……もう、俺には会いに来ないでくれ。面会も謝絶してもらう」
「なに言って――」
「ボディガード、クビだから」
「じゃあな。朝倉」。そう言うと、渡世は私に背を向けて布団の中に潜りこんだ。ベッド脇にあるテーブルには、私があげたマフラーが丁寧に畳んだ状態で置かれていた。
「……嘘なんでしょ?」
「……」
「病気のことも、クビっていうのも、全部嘘だよね?」
体育に参加しないのも、修学旅行にこなかったのも、病気だったからじゃないでしょう? 〝嫌いだから〟なんでしょう?
「嘘って言ってよ」
「……」
渡世からの返事はなかった。
私はどうしようもない気持ちになって、病室を飛び出した。
びしょびしょに濡れた顔のまま、私は行くあてもなくただ走る。刺さるように冷たい風が、心臓の奥まで冷やしていく。
「嘘って、言ってよ……渡世……!」
世界中の嘘が全部本当になってもいいから、あなたの言葉だけは全部嘘って言ってよ。
今まであなたが私にくれた、胸がきゅうってなる言葉も、顔がカッと熱くなるような言葉も、全部嘘でいいから。
だから――これからもずっと一緒にいてよ。私にしか見せない顔で笑ってよ。
好きになってくれなくてもいい。嘘ばっかりついてもいい。意味のわからない変なことを言ってもいいよ。ただ、変わらず隣を歩いてくれるなら。
家に帰って、布団をかぶって泣き続けた。占いなんて、やっぱり大嫌いだ。
部屋の前に書かれたネームプレートを確認して、私はノックもせずに思い切り扉を開けた。病室のベッドの上で、教室にいる時みたいに窓の外を眺めている渡世がいた。
「……朝倉?」
私に気づいた渡世の瞳は動揺からか揺れていた。
ぴしゃりと扉を閉めると、私は渡世が寝ているベッドまで無言で歩き口を開いた。
「……嘘つき」
「……」
「渡世の嘘つき……!」
数分前、渡世のお母さんか聞いた話は、信じがたいほど衝撃的なものだった。自殺願望があって、それを止めてほしくてなんて私の予想はまったくの的外れで――現実はもっともっと残酷だった。
渡世はすべてを悟ったのか、諦めた顔を浮かべて瞳を伏せた。
渡世は幼い頃から心臓病だった。
症状が重くて、ずっと学校に行けず入退院を繰り返していたようだ。どういうわけか超能力者なんて噂がついて、その噂がひとり歩きして、学校に来ない理由は〝世界中を飛び回っているから〟となったらしい。「全は人間観察が好きだったから、人の行動を読むのが得意だったの。超能力者っていうのは、そこからきたのかもしれないわね」と、渡世のお母さんは言っていた。
そんな渡世がどうして高二の二学期から、突然学校へ通うようになったのか。
夏休み、渡世はずっと自分を診てくれた主治医にこう告げられたという。
「症状はかなり悪化している。このままでは持ってあと半年だ」と。
つまりこれは、渡世に対する医者からの余命宣言。最後に渡世に好きなことをさせたいと思ったご両親は、渡世に聞いた。「なにかやりたいことはない?」
その答えが「高校に通って、普通に男子高校生として過ごしてみたい」だった。ずっと学校に通えなかった渡世は、限られた時間を周りと同じように、当たり前に過ごすことを望んだのだ。
「不運ってなに? こんなの、私が助けられる範囲を超えてるじゃん。今から医者でも目指せってこと? ふざけないでよ」
掴みかかりそうになる手をぐっと固く握る。怒りと悲しみで唇がブルブルと震える。
渡世は世界中を飛び回る超能力者なんかじゃなかった。未来透視の話も、嘘なのだとしたら――。
「どうして……私にあんなことを言ったの?」
『死にたくないなら、俺を死なせるな』
最初から私がいくら頑張ったって、渡世を助けるなんて不可能だったのに。私はなにも知らないで、渡世の未来透視を鵜呑みにして、ふたりともが生きる未来だけを見据えていた。
その結果がこれだ。病気を治す力なんて私にはない。どう頑張ったって、私は渡世を救えない。
「……お前に、生きてほしかったから、かな」
意味がわからない。死ぬのが怖かったから、一緒に死の恐怖を持ってくれる相手がほしかったと言われたほうがまだわかる。私に生きてほしいなら、最初から関わらないでほしかった。こんな気持ち、教えないでほしかった。
私はもう、あなたがいない毎日が考えられない。渡世の言った未来は当たっている。私は渡世が死んでしまった世界を、色のない世界を、ひとりで歩ていける自信がない。
「本当なの? 本当に、渡世は死んじゃうの?」
「……ああ。でも、お前が自殺するっていう未来は嘘だ。ちっともおもしろくない冗談だ。俺はお前に、ただ一緒にいてほしかった。あんなことを言ったのは、四六時中俺のことを考えてほしかったからだ。全部、俺のエゴでやったことに過ぎない」
「そんなのおかしい。私と渡世はあの時、まだ知り合ったばかりだったじゃない。私のことなんて好きじゃなかったでしょう?」
「……さあ。どうだかな」
また、そうやって誤魔化すんだ。こんな場面でもいつもみたいに、肝心なことは絶対に離さないんだ。
「俺が死んでも、朝倉は大丈夫だ」
「大丈夫なわけない! どうしてそんなこと言えるの? 渡世、言ってたよね。私がいる限り、俺は死なないって。ずっと一緒だって」
たった五日前に言ったことを、もう忘れちゃったの? ……あの時、渡世はどういう気持ちであの言葉を言っていたの?
「……もう、俺には会いに来ないでくれ。面会も謝絶してもらう」
「なに言って――」
「ボディガード、クビだから」
「じゃあな。朝倉」。そう言うと、渡世は私に背を向けて布団の中に潜りこんだ。ベッド脇にあるテーブルには、私があげたマフラーが丁寧に畳んだ状態で置かれていた。
「……嘘なんでしょ?」
「……」
「病気のことも、クビっていうのも、全部嘘だよね?」
体育に参加しないのも、修学旅行にこなかったのも、病気だったからじゃないでしょう? 〝嫌いだから〟なんでしょう?
「嘘って言ってよ」
「……」
渡世からの返事はなかった。
私はどうしようもない気持ちになって、病室を飛び出した。
びしょびしょに濡れた顔のまま、私は行くあてもなくただ走る。刺さるように冷たい風が、心臓の奥まで冷やしていく。
「嘘って、言ってよ……渡世……!」
世界中の嘘が全部本当になってもいいから、あなたの言葉だけは全部嘘って言ってよ。
今まであなたが私にくれた、胸がきゅうってなる言葉も、顔がカッと熱くなるような言葉も、全部嘘でいいから。
だから――これからもずっと一緒にいてよ。私にしか見せない顔で笑ってよ。
好きになってくれなくてもいい。嘘ばっかりついてもいい。意味のわからない変なことを言ってもいいよ。ただ、変わらず隣を歩いてくれるなら。
家に帰って、布団をかぶって泣き続けた。占いなんて、やっぱり大嫌いだ。