帰りにひとりで公園に寄ってココアでも飲みなおそうかな。なんてことを考えていると、なぜかふと、以前渡世が言っていた言葉を思い出した。

『朝倉。ここで……俺が赤信号なのに急に道路に飛び出したらどうする?』
『朝倉は――死にたいと思ったことはあるか?』

 ドクン。

 心臓が大きく跳ねた。渡世といる時のドキドキとはまったく違う緊張が走る。
 なんでこんなことを突然思い出したのか。それは――別れ際の渡世が、あの時と同じ顔で笑っていたから。

 嫌な予感がして、私は来た道を引き返した。走った先で、渡世が信号を渡っている姿が目に入る。

 信号の色は赤だった。一台の車のライトが渡世の姿を照らし、大きなクラクション音を立てる。
 ――待って。待ってよ渡世。行かないで。

「渡世っ!」

 大きな声で叫んで、目一杯に渡世の腕を引っ張った。
 衝動で後ろに転げ落ちる。背後から車が走り去る音が聞こえて、目の前には放心状態の渡世がいた。

 私は倒れる渡世に馬乗りになって、思い切り胸倉を掴んだ。

「なにしてるの!? ふざけないで!」

 誰もいない道で、私は叫ぶ。

「自分から赤信号を渡るなんて、こんなの事故でも不運でもなんでもない! ……自分から死ぬなんて二度とやめて!」
「……朝倉」

 叫んでいると涙が出てきた。堪えることができず、渡世の顔を私の涙が濡らしていく。

「……ごめん。俺……なにしてたんだろう。どうかしてた。自分でも無意識だったんだ。気づいたら足が動いてて、気づいたら朝倉に助けられてた。……本当に、なんであんなことをしたか思い出せない」

 震える声で渡世は言った。嘘を言っているようには思えない。渡世自身が自分の行動にいちばん驚いていた。

 もしかすると、渡世には自殺願望があるのだろうか。前もこう言っていた。死にたいと思ったことがあると。それと同じくらい、死にたくないと思ったとも。

 あの時、私は渡世がなにを言っているのかわからなかったし、それ以上追及しようとも思わなかった。私が簡単に触れてもいい話じゃないと思った。
 ……たまに死にたいと思う渡世が突然顔を出して、今みたいに突発的な行動をしているのだとしたら。渡世はそんなもうひとりの自分を止めてほしくて、私にボディガードをしろなんて言ったんじゃないのだろうか。全部、私の勝手な憶測に過ぎないが。

「私がいなかったら、死んでたかもしれないんだよ……?」
「……ごめん。二度としないから」

 渡世は上体を起こすと、泣きじゃくる私を抱きしめた。

「大丈夫だ朝倉。俺はずっと、お前と一緒だから……お前がいてくれる限り、死なないから」

 安心させるように、渡世は抱きしめる腕に力を込める。だけど、私は気づいていた。渡世の体が震えていたことを。安心させてほしいのは、渡世も一緒なんだって。
 私は渡世の背中に腕を回して、ぎゅっと抱きしめ返す。渡世が小さく息を呑む音が聞こえた。
 大丈夫。私たちは大丈夫。だって、渡世には私がついてる。私にも渡世がついてる。
 道のど真ん中で、私たちはなにも言わずに抱きしめ合った。

「それじゃあ改めて。また三日後にね。渡世」
「ああ。……本当にありがとな」

 やっと冷静さを取り戻した私は、信号前で二回目のバイバイを渡世に告げる。
 今度は信号を渡って、その後姿が見えなくなるまで見張ることにした。この信号を渡って細道に入れば、渡世の家までもう信号はない。

「またな、朝倉」

 すっきりした笑顔で渡世は言った。たしかに、そう言ったのだ。でも――三日後、渡世は待ち合わせ場所に現れなかった。連絡もとれず、家を訪ねても留守。小堀先生に事情を尋ねても口を濁される。その状態が三日続いた。

 私は不安でたまらなくなった。好きと不安は比例する。渡世のあの言葉は本当だったことを痛感する。

 三学期が始まった四日目の朝、お決まりの焼きたてのトーストをかじる。ジャムを塗ったのにまるで味がしない。食欲が湧かず、結局ひとくちだけでパンをお皿の上に戻した。
 
『今日の星座占いコーナー! 一位は牡牛座のあなた。ずっと会いたかった人に会えるでしょう。そして幸せが訪れます!』

 私は占いを信じない性分だった。だから、朝のニュース番組の合間に訪れる占いコーナーの結果に、いちいち一喜一憂することはなかった。
 今日の結果は一位。内容は会いたい人に会えて、幸せが訪れる。もしかして……今日は渡世に会えたりして。信じたいと思ったものは信じてみてもいいんじゃないかと渡世は言っていた。だから私は今日の占いを信じてみることにした。