どきり。質問されていない私のほうがなぜか緊張した。
 渡世はなにも言わずに、名簿を見ながら紙に名前を書く作業を淡々と進めている。

「ねぇ。渡世くんってば。どうなの?」
「朝倉と話す時だけ笑ってるし、絶対好きだろ! ふたりってまさか両想い?」
「……そうなの? 渡世くん」

しつこいゆかりに高遠も乗っかり始めた。答えるまでずっとこの調子で渡世に突っかかる気だろうか。

「……俺が朝倉をどう思ってるかは別として、俺が森田さんを好きになることはこの先もないかな」

 渡世のその言葉に、一瞬にして空気が凍る。

「ど、どうして私の名前が出てくるの。私が聞いたのは紬を好きなのかどうかってことで……私は関係ないじゃない」
「俺が朝倉を好きかどうか自体、森田さんに関係ないことだろ」
「そ、そうだけど……っ!」

 ゆかりの声と肩が震えている。ゆかりは堪らず教室から飛び出していった。

「おい、森田っ!」

 そんなゆかりの後を高遠が追い、バタバタと廊下を走る音が私と渡世だけが残る教室に響き渡った。

「……渡世、気づいてたの? ゆかりの気持ち」
「まあな」

 何事もなかったように渡世は作業に戻る。

「だったらあんなきっぱり言わないでも……もっとほかの言い方があったんじゃない?」
「彼女ははっきり言わないとわからない。ありもしない期待を持たせることは優しさじゃないだろ」
「そうだけど、好きになることはこの先もない、って。そんなのわからないでしょ。試しに付き合ってみたら好きになるなんてこともあるかもしれないし――」
「ない。俺が森田さんを好きになる未来なんて」

 はっきりきっぱりそう言い切られては、私も黙ることしかできない。

「それに俺は、彼女が望むことを叶えられない」
「望むこと?」
「ああ。森田さんって、修学旅行までに俺と付き合って、俺と旅行を楽しみたかったんだろ」
「え、なんで知ってるの!?」

 ゆかりが渡世を気になっているってことはクラスの子たちも感付いていたと思うけど、渡世と青春したいという乙女心を知っているのは私だけだと思っていた。
 驚く私に、渡世は人差し指で自分の目を指さす。……未来透視で見たってこと?

「そもそもそれは無理な話なんだ」

渡世はさっきゆかりが書いた、渡世の名前が書かれたくじの紙をくしゃりと丸めてゴミ箱に向かって投げた。丸まった紙は半円を描いて、見事にゴミ箱の中へと落っこちていく。

「俺、修学旅行行かないし」
「……え」

 知らなかった。今まで一言もそんな情報は聞いたことがない。

「なんで来ないの?」

 渡世は小さく手招きすると、身を乗り出した私に耳打ちをする。二人しかいない時でも、時折渡世はこうやって私と内緒話をしたがる。

「嫌いだから。団体行動」

 そしてお決まりの〝嫌い〟という単純な理由を聞かせられるのだ。

「……修学旅行も体育と同じで、天才様だから考慮してもらえたってこと?」

 そう言うと、渡世はいつものように小さな笑みを浮かべた。
……そっか。渡世、修学旅行来ないんだ。
よくわからないけど、もやもやした気持ちになる。少し楽しみにしていた修学旅行が、急にどうでもよくなっていくような……冷めた感じだ。くじを作るのが、突然面倒になった。

「俺がいないから、お前ひとり浮かないか心配だ」
「なにそれ。一緒に周ってくれる友達くらいいますー」
「だろうな。お前は他人に無駄に干渉しないぶん、嫌われることがない」

私を知ったように言う渡世。まだ出会ってそんなに経っていないのに、ずっと一緒にいるみたい。

「……まぁ、嫌われたら生きづらいし。平和な学校生活を望むならうまくやってかないとね。渡世もさっきみたいなきつい言い方して敵を増やしたら損だよ」
「俺はいい。嫌われても」
「どうして? 誰かを嫌うのも嫌われるのも、精神力削られると思うけど」
「別に、お前に嫌われなかったらいいんだ。俺」

 そう言って、くじの最後の一枚に、渡世は私の名前を書いた。

「……意味わかんない。なんでそうなるの」
「朝倉以外の人に嫌われたところで、俺は全然生きづらくないってこと」

 つまり、私から嫌われたら生きづらいと?

「それは私が渡世のボディガードだから?」
「さあ、どうだろうな」

 やっぱり渡世はヒントだけ出して、はっきりした答えは教えてくれない。だけどこのなんともいえない距離感が、今の私にはちょうどいいと思ったりもする。
 この時には、ゆかりと高遠がいなくなったことなんて、すっかり忘れてしまっていた。