そんな祖父が一度だけ、私に言ってきた日があった。
「くるみちゃんとユウちゃんが来ているんだが、そろそろ会ってあげないか?」
悩んだ末、くるみちゃんとだけ面会をすることにした。ずいぶん包帯は取れてきて、身体の機能は着実に回復に向かっていた。しかし、だからこそ、自分の姿の無残さに耐えられなかった。包帯の下で、もしかしたら案外もとの肌に近くなっているかもしれない。心の隅に置いていたそんな願いは、治れば治るほどに、無駄な期待であったことを思い知らされた。

皆、私のことを見て一体どう思うだろうか。はっきりこちらを見てくれるだろうか。自分自身ですら汚いと思ってしまうそれを見て、相手もきっと同じことを思うに違いない。
そんな不安の相手を優史に置き換えて想像するだけで、心が壊れそうになる。だから、祖父にはくるみちゃんだけを病室に呼んでもらった。



「なっちゃん!」
「くるみちゃん、久しぶりだね」
「そうだよ!何回も何回もお兄ちゃんと病室来てたのに、なっちゃん全然会ってくれないんだから。もうずっと会ってくれないかと思ったよ」
知らなかった。何回も何回も、来てくれていたのか。祖父はこれまで私の気持ちを慮り、ずっと断り続けてくれていたのか。ずっと私が面会を受け入れる頃合いを見計らっていて、やっと今日を迎えたのだろうか。祖父にもくるみちゃんにも、優史にも申し訳ない気持ちが生まれる。
「ごめんね。私こんなんになっちゃったから、皆に会うのが怖かったの。心配かけてごめんね」
いま私はうまく笑えているだろうか。自信がなくて、下を向いてしまう。
「ううん、会えて嬉しい!なっちゃんは、なっちゃんのままだよ!」
 純粋でまぶしすぎるくるみちゃんの言葉を、そのまま信じたい。こんな姿になっても変わらず接してくれるくるみちゃんは、天使か何かに見えた。

 ただ、ほんの少しだけ、笑顔がこわばっているようにも思えた。やっぱり変わり果てた私を見て内心引いているのかもしれない。無理をさせているのかもしれない。そう思うとどんどんその気持ちばかりが膨らんで、申し訳なくて早々に帰らせようとした時だった。

「なっちゃんはどうして、もう1回お家に戻ったの?」
唐突に、くるみちゃんからそんな言葉を受けた。あの時私は、
「大切な宝物を取りに戻っちゃったの」
「宝物……」
「結局、真っ黒焦げになっちゃったんだけどね」
引き出しを開けて、それを取り出す。元々茶色かった木箱は、病室で目を覚増したときには、黒くくすんでいた。せっかく取りに戻ったのになあ。

何度も手をかけたネジを、再び回す。
大好きなオーバーザレインボウは硬い音で、上手に流れなくなっていた。
木箱を閉じて、かろうじて響く音を止める。

「だったらこんな物、初めから無かった方が良かった」
「え?」
質問とも独り言とも取れる微妙な語尾で、くるみちゃんはぽつりと呟いた。今のは、どういう意味だろう。
「オルゴールが元に戻ったら、なっちゃんは嬉しい?」
「え、うん。元に戻るなんて、嬉しいに決まってる。このオルゴールがこうなる前に戻れたら」
どんなに幸せか。祖父と2人で食卓に向かっていた時に、優史とこれを一緒に聴いていた時に、私がこんな見た目になってしまう前に、戻れたら。どれほど幸せだろうか。
ぼんやり考えているうちに、祖父が部屋に戻ってきた。



「なっちゃん、またね!」
「うん、今日は本当にありがとう」
くるみちゃんを見送り、さっきよりも少しだけ、自分が元気を取り戻していることに気がつく。
しかしそんな感情も束の間、病室の鏡が不意に目に入り、私はまた現実へ引き返される。



こんな物、初めから無かった方が良かった――

くるみちゃんの声が頭の中で再生され、私はもう一度オルゴールを手に取る。もしもあの時、オルゴールの存在を思い出さなければ、祖父と共に逃げ切って、こんなことにはなっていなかった。そもそもこれを貰っていなかったら、引き返す理由すらなかったはずなのに。
どうして私だけが、こんな目に合わないといけないのだろうか。こんな物がなければ……。



「それにしても誕生日にオルゴールなんて、なかなか粋な男になったものだなあ」
祖父の声で、ふと我にかえる。
私はさっきまで、これを宝物だと言っていた。火事の起きるあの日まで、わずかな時間だったが、このオルゴールは大切なものだと確かにそう思っていた。どんなものであっても、大切な人に貰ったという事実がその物自体に「特別」という価値を付け、この世界に1つの宝物へと変化させる。

優史にとっても、このオルゴールは大切な物になっているだろうか。私の一方通行ではなく、2人にとっての大切な物になっていればいい。
私はいつしか、そう願った。忘れるところだった。このオルゴールが初めから無かったほうが良かったなんて、それは間違っている。

間違っているけれど、くるみちゃんの声が、妙に心につっかえた。