私は4歳の時に、両親を火事で亡くしている。
幼かったから正直あまり覚えていないのだけれど、その日に行ったらしいデパートで、燃えさかる炎の中を誰かに背負われ駆け抜ける映像だけ、私の脳はかろうじて記憶している。もう何年も前のこと。ほんの一瞬の記憶しかないくせに、それは私の脳を未だに支配していた。
ひょんなことで火に対して過剰に怖がった私を見て、祖父はさりげなく台所をガスコンロからIHコンロに変えてくれたみたいだし、ケーキにろうそくが刺さっていた記憶も、そういえば一度も無い。
日常の中から何の気なしに、火の存在を削除して生きていた。そのおかげで恐怖を感じずにこれまで生きてこれたが、そのせいで火への耐性はついていなかったのだ。
人生で二度もこんなに大きな火事に出くわした人間は他にいるのだろうか。なかなかいないだろうな。消防士なら、何度だってあるか。
二度も火事に出くわした人がいないうえに、きっと二度も逃げ切った人なんてもっといないだろう。もしかしたらゼロかもしれない。だったら、私が初めの1人になんてなれるわけがないな。というか、料理が好きなのに火が怖いなんて、これからきっと困りごとが増えるだろうな。実習とか、さすがに配慮してもらえないよな。
もう誰もいない7階の廊下で座り込む私は、頭だけがくるくると、冷静なふりをして働いていた。
確実に近づいている炎を前にしても、力が入らない。逃げないと、という脳からの信号は全くもって体には届いていなかった。大切な信号は届かないくせに、恐怖だけはすべて伝わっているみたいで、私の全身は震えていた。
それからどのくらい経ったのだろう。
時間の感覚も、熱さの感覚も、もう既になかった。だんだんと思考が停止していっている気がする。もう、そろそろかもしれない。
そう思うのとほぼ同時に、私は目を閉じた。
次に目を開いたときには、病室の光景が目に入った。身体が痛い気がするし、なんだか視界が歪んで見える。ほんの少しだけ目を動かすと、そこには祖父の姿があった。目が合い、私が目を覚ましたことに気付いたらしく、祖父は驚きと喜びの顔を見せた。よかった、2人とも、生きている。
私はまた、助かったのだった。あんな大火事から二度も助かるなんて、そしてこうして、目を覚ますのをずっと待っていてくれる人が側にいるなんて、本当に幸せ者だ。
そう思ったのも束の間、その後病室にやってきた医師からの言葉に、私の心から「幸せ」という感情がみるみるうちに消え去った。
身体が痛い気がする。そう目が覚めた瞬間に感じたのは気のせいではなく、むしろ意識がはっきりするにつれてどんどん強烈なものになっていった。視界が歪んで見えるのも、私の左目はもうほとんど機能していないかららしい。
私は奇跡的に火事の中をくぐって救出されたものの、意識を失ってから救出されるまでの時間で大火傷を負ってしまったのだった。
鏡で見せてもらった私の体や顔には、数えきれない量の包帯が巻かれていた。まるで流行りのゾンビ映画か、むかし観たミイラか何かみたいで、笑ってしまいそうになるくらいだ。けれど表情を少し変えるだけで、顔面にも鈍痛が走る。笑うことすらままならない。
目の周りも頬も身体も、すでに染み付いたその火傷跡は一生もとには戻らない。まだ20歳にもなっていない私にとって、その事実はあまりにも重かった。そして、24時間ほとんど消えることの無い痛みとの戦いは想像を絶するもので、それも私の生気を奪っていくのだった。
入院している間に訪れてくれた友人との面会は、すべて断った。病院の人と祖父としか会わない私を祖父は心配していたけれど、何かを言ってくることは無かった。ただずっと、明るく振る舞ってくれていた。それは救いでもあり、私の心をチクチクと突き刺すのだった。
幼かったから正直あまり覚えていないのだけれど、その日に行ったらしいデパートで、燃えさかる炎の中を誰かに背負われ駆け抜ける映像だけ、私の脳はかろうじて記憶している。もう何年も前のこと。ほんの一瞬の記憶しかないくせに、それは私の脳を未だに支配していた。
ひょんなことで火に対して過剰に怖がった私を見て、祖父はさりげなく台所をガスコンロからIHコンロに変えてくれたみたいだし、ケーキにろうそくが刺さっていた記憶も、そういえば一度も無い。
日常の中から何の気なしに、火の存在を削除して生きていた。そのおかげで恐怖を感じずにこれまで生きてこれたが、そのせいで火への耐性はついていなかったのだ。
人生で二度もこんなに大きな火事に出くわした人間は他にいるのだろうか。なかなかいないだろうな。消防士なら、何度だってあるか。
二度も火事に出くわした人がいないうえに、きっと二度も逃げ切った人なんてもっといないだろう。もしかしたらゼロかもしれない。だったら、私が初めの1人になんてなれるわけがないな。というか、料理が好きなのに火が怖いなんて、これからきっと困りごとが増えるだろうな。実習とか、さすがに配慮してもらえないよな。
もう誰もいない7階の廊下で座り込む私は、頭だけがくるくると、冷静なふりをして働いていた。
確実に近づいている炎を前にしても、力が入らない。逃げないと、という脳からの信号は全くもって体には届いていなかった。大切な信号は届かないくせに、恐怖だけはすべて伝わっているみたいで、私の全身は震えていた。
それからどのくらい経ったのだろう。
時間の感覚も、熱さの感覚も、もう既になかった。だんだんと思考が停止していっている気がする。もう、そろそろかもしれない。
そう思うのとほぼ同時に、私は目を閉じた。
次に目を開いたときには、病室の光景が目に入った。身体が痛い気がするし、なんだか視界が歪んで見える。ほんの少しだけ目を動かすと、そこには祖父の姿があった。目が合い、私が目を覚ましたことに気付いたらしく、祖父は驚きと喜びの顔を見せた。よかった、2人とも、生きている。
私はまた、助かったのだった。あんな大火事から二度も助かるなんて、そしてこうして、目を覚ますのをずっと待っていてくれる人が側にいるなんて、本当に幸せ者だ。
そう思ったのも束の間、その後病室にやってきた医師からの言葉に、私の心から「幸せ」という感情がみるみるうちに消え去った。
身体が痛い気がする。そう目が覚めた瞬間に感じたのは気のせいではなく、むしろ意識がはっきりするにつれてどんどん強烈なものになっていった。視界が歪んで見えるのも、私の左目はもうほとんど機能していないかららしい。
私は奇跡的に火事の中をくぐって救出されたものの、意識を失ってから救出されるまでの時間で大火傷を負ってしまったのだった。
鏡で見せてもらった私の体や顔には、数えきれない量の包帯が巻かれていた。まるで流行りのゾンビ映画か、むかし観たミイラか何かみたいで、笑ってしまいそうになるくらいだ。けれど表情を少し変えるだけで、顔面にも鈍痛が走る。笑うことすらままならない。
目の周りも頬も身体も、すでに染み付いたその火傷跡は一生もとには戻らない。まだ20歳にもなっていない私にとって、その事実はあまりにも重かった。そして、24時間ほとんど消えることの無い痛みとの戦いは想像を絶するもので、それも私の生気を奪っていくのだった。
入院している間に訪れてくれた友人との面会は、すべて断った。病院の人と祖父としか会わない私を祖父は心配していたけれど、何かを言ってくることは無かった。ただずっと、明るく振る舞ってくれていた。それは救いでもあり、私の心をチクチクと突き刺すのだった。