長い廊下をゆっくりと歩く撫子の後ろについていく。
 どんどん奥に進んでいくので、柚子はもうさっぱり帰り道が分からなくなっていた。
 帰りはどうしようかと悩みつつ、龍はどこまで行ったのかと心配していると、この屋敷に足を踏み入れた瞬間にも感じた、言葉では思うように表現できない清浄な気配が次第に強くなっていく。
 不意に撫子が立ち止まった。
 そこには庭にぽつんと小さな社があった。
 どこか懐かしさを覚える空気に、なぜか胸がキュッと苦しくなった。
 決して嫌な気分というわけではない。
 けれど、泣きたくなるような、切なさと喜びがない交ぜになったかのような気持ち。
「ほれ、あそこにおる」
 撫子が指をさした先は社の方向であり、社の前に龍は佇んでいた。
 胸に渦巻く激しい感情を抑えつけて、柚子は龍を呼ぶ。
「こら、そこでなにしてるの!?」
 柚子が怒鳴れば、龍はびくりと体を震わせてから慌てて柚子の元に飛んできた。
『柚子、お茶会とやらはやっと終わったのか?』
「終わったのかじゃないでしょう? 大人しくしててって言ってたのに。勝手についてくるし、帰ったらお説教だからね」
『すまぬすまぬ。しかし、我はどうしてもここに来たかったのだ』
 龍は社を振り返る。
「あのお社がなにかあるの?」
『のう、柚子を社へ連れていってもかまわぬか? 柚子にここを見せたかったのだ』
「なんじゃと?」
 龍は撫子の前に飛ぶと、突拍子もない願いを伝える。撫子も困惑している様子だ。
『柚子は神子の力を持っているゆえ、きっとあの方も喜ぶであろう』
「ふむ」
 撫子は柚子に視線を移してから、わずかな間考え込んだ。
「まあ、よかろう。そなたはあの社がなんなのか知っておるようじゃの?」
『知っておるよ。本当は柚子を一龍斎の屋敷にある本社に連れていってやりたいが、まだ買い取れておらんようだし、今は分霊された社で我慢しよう』
「なんじゃと!? 本社は一龍斎の屋敷にあるのかえ?」
 撫子はひどく狼狽していた。そんな姿は始めてだ。
『あの方を分霊した社を持つくせに、そこまで詳しいことは知らぬようだのう』
「恥ずかしながらその通りじゃ。妾に詳しく教えてくれぬかえ?」
『うむ。よかろうとも。ただし、鬼龍院が一龍斎の屋敷を手に入れるように協力してくれたらだ』
 撫子は迷わず頷いた。
「かまわぬが、若は知っておるのかえ?」
『話をした時の様子では知らぬようだったなぁ。当主はどうか知らんが、積極的に屋敷を手に入れようと動いてないのを見る限りでは伝わっていない可能性が高いな』
「なるほど。まあ、先に参るといい」
 撫子と龍の視線が柚子に向けられる。
「えっと、お社にお参りしたらいいの?」
『うむ、そうだ。きっとあのお方が大喜びするだろう』
「あのお方って?」
『参れば分かるよ』
 あの方とは誰なのか、首をひねりながら社への道を歩き、社の前で立ち止まると手をパンパンと叩き一礼する。
 作法は合っていたっけ?と曖昧な知識でお参りすると、急に目の前が暗くなった。
「あ、れ……」
 ぐらりと崩れ落ちる体を意識しながらも、体はいうことを聞かずそのまま倒れた。
 遠くなる意識の向こうで、誰かに呼ばれた気がした。

『私の神子』

***

 目を覚ますと、そこは見慣れた自分の寝室だった。
「あれ?」
 身を起こして自分の姿を確認すれば、着ていたはずの着物もパジャマに変わっており、先ほどまでのことが夢なのではないかと錯覚する。
「なんで……」
 撫子の屋敷にいたはずなのだが、いつの間に帰ってきたのか。
 戸惑う柚子のところに、扉を開けて玲夜が入ってきた。
 肩には子鬼を乗せている。
「起きたようだな」
「あーい」
「やー」
「玲夜。……私どうしたのかな?」
 思い出そうとしてもどうにも思い出せない。
「妖狐の当主の屋敷で倒れたらしい。具合でも悪かったのか?」
「全然。直前まで普通だったもの。確かお社にお参りしてて……それからの記憶がないかも」
「今も大丈夫なのか?」
「うん」
 倒れたというが、体に違和感はどこにもない。
「だが、なにもなく急に倒れるわけがないだろう。病院で精密検査をした方がいいかもしれないな」
「そんな大げさな。どこもなんともないから大丈夫」
「それならいいが、なにかあったらすぐに言うんだぞ」
「うん」
 そっと労るように抱きしめてくれる玲夜に腕を回す。
 ふと思い出した花嫁たちとのお茶会。
「なんかいろいろすごかったな……」
「茶会の話か?」
「うん。花嫁になって結婚して、物語だとそれでハッピーエンドだけど、実際は始まりにすぎないんだなって。いろいろ考えさせられた」
 終わりではなく始まり。物語は続いていくのだ。
「嫌なら今度から行かなくていいぞ」
「ううん。次も行く。玲夜の惚気を話しに行かないとだから」
 柚子はニコリと玲夜に笑いかける。
「どういうことだ?」
「玲夜の花嫁でよかったなって話」
 柚子はご機嫌な様子で玲夜に身を寄せた。