玲夜が出かけると、柚子は次に自分の準備を始める。
 今日は猫田家で、友人である透子と、雪女のあやかしである白雪杏那の三人で女子会をする予定なのだ。
 女子会と言っても、透子を花嫁に選んだ猫田東吉はなんだかんだで顔を出しに来るだろうし、杏那の恋人で柚子の友人でもある蛇のあやかしの蛇塚柊斗も来るそうだ。
 柚子たちが女子会をしている間、東吉たちは東吉たちで男子会をするらしい。
 そして結局最後は皆集まって騒ぐことになるのだろう。
 披露宴では招待客が多く、ひとりずつゆっくりと歓談できなかったので、柚子はこの日を楽しみにしていた。
 披露宴の時に撮ったアルバムを鞄に詰め、柚子も屋敷を出る。
 当然のように柚子の両肩には子鬼がおり、腕には龍が巻きついている。
 言わずとも付いてくる柚子の大事なボディガードたちだ。
「あいあい」
「あーい」
 子鬼たちは見慣れた道のりだろうに、車の中から流れる風景を見てぴょんぴょんはしゃいでいる。
 そこらのあやかしぐらいなら軽く吹っ飛ばしてしまう力を持つ子鬼だが、精神年齢は幼い。
 まあ、そこがかわいいのだが。
『童子たちよ、騒ぎすぎて頭をぶつけるでないぞ』
「あーい」
「あい!」
 いつもはまろとみるくに追いかけられている情けない龍も、子鬼と接する時はまるで保護者のようだ。
 玲夜の屋敷──結婚したので今は柚子の屋敷と言っても差し障りないだろう──から、そう遠く離れていない猫田家には車で数十分もすれば着く。
 透子が花嫁に選ばれた時から何度も遊びに来ている柚子のことは、猫田家では知らぬ者などいない。
 柚子が顔を見せたらすぐ中に通してくれる。
「お邪魔します」
 柚子も猫田家の使用人に挨拶をしつつ、勝手に透子の部屋へと向かっていく。
 それだけ柚子がこの家に馴染んでいる証拠だが、実際のところ玲夜の花嫁となった当初は鬼の気配を怖がられて誰も案内どころか近付いてすらくれなくなったので、仕方なく勝手に向かうしかなかったのだ。
 そんな猫田家も、玲夜がちょこちょこ訪れることでだいぶ鬼に慣れてきたようで、突然の玲夜の来訪にも驚かなくなっているとか。
 最初は阿鼻叫喚、蜂の巣を突いたような騒ぎだったのが嘘のようだ。
 誰しも慣れというのは怖ろしい。
 そんなこんなで勝手に透子の部屋に行きノックする。
「はーい」
「透子、来たよ」
「あー、柚子ね。ちょっと待って」
 しばらく部屋の外で待っていると、扉が開く。中から出てきた女性の使用人がニコリと微笑んで会釈をしてから去っていった。
 彼女の腕には透子と東吉の第一子である莉子がいたのを柚子は見逃さなかった。
「あ~、莉子ちゃん行っちゃった」
 莉子を抱っこしたいなと楽しみにしていたので、連れていかれて残念である。
「柚子入っていいわよ」
 透子からのお許しが出たので意気揚々と部屋に入る
「お邪魔しまーす」
「いらっしゃい」
「あーい」
「あいあーい」
 自分たちもいるぞと子鬼がかわいらしく自己主張すれば、透子も顔をほころばせる。
「子鬼ちゃんたちもいらっしゃい」
「ねえ、透子、莉子ちゃんは?」
「さっき母乳あげてたのよ。飲んだらお腹いっぱいになったみたいで寝ちゃったから連れていってもらったわ。ここは莉子を世話してくれる人がいるからほんと助かるわね。むしろ世話されすぎて私が母親か忘れられないか心配するぐらいよ」
「莉子ちゃんかわいいから取り合いになってるかもね」
 クスクスと柚子が笑えば、透子も苦笑する。
「それ洒落になってないわよ。使用人の間で莉子用シフトってのがあるらしくてね」
「なにそれ?」
「莉子の世話をする順番を決めたシフトよ。だれが夜中にミルクをあげるか、抱っこするか遊び相手になるか取り合いになってるらしいわ。まあ、念願の花嫁から生まれた霊力の高い子供だから皆が大事にするのは分かるんだけどね。にゃん吉の両親も毎日莉子に玩具買ってきて溺愛してるしね。母親の出る幕なしって感じ」
「でも、育児疲れとは無縁そうだね」
 一般家庭では使用人なんて存在普通はいないのだから。
「ええ。夜は交替で見てくれるおかげで夜泣きに起こされて睡眠不足になることもないから体調も絶好調よ。使用人の中には育児のベテランママさんもいるから助言ももらえるし、ほんとに恵まれてるって最近よく思うわ」
 しみじみとした口調の透子の様子に、よほど助かっているのだろうと感じる。
「柚子もその時が来たら、きっとありがたみがよく分かるわよ」
「そうかも。でも子供ができたら玲夜がどうなるやら、そこが心配かも」
 透子の場合は東吉が親馬鹿に豹変したが、玲夜が自分の子供にデレデレになっている姿が想像できない。
 かわいがってくれるとは思うが。
「あー、確かに若様は不確定要素が多すぎるわね。でも、しばらくは新婚を満喫するんでしょ?」
「うん。私も料理学校に行くしね」
「ならその時がきたらどうにかなるわよ。子供のおかげで親も成長するんだから」
「さすが新米ママさん。言うことが大人になったね」
 ふふんとドヤ顔の透子。
 柚子はふとテーブルの上に視線を移して目を見張った。
「透子、それ」
 柚子が指さしたのは、テーブルの上に乗った手紙だ。
 見覚えのある狐と撫子の花の絵が描かれた封筒は、すでに封を切られている。
「ああ、それね。にゃん吉が言うには花茶会のお誘いだって。その様子だと、もしかして柚子にも来た?」
「うん。透子は参加するの?」
「猫又の花嫁が妖狐の当主のお誘いを断れるわけないでしょ」
「それもそっか」
 透子は軽快に笑っているが、あやかしの世界で猫又の地位は決して高くない。
 それ故に気苦労や気を遣うことも多いという。
 だが、妖狐の当主に気を遣わなければならないという点では柚子も透子とそう違わないだろう。
 それだけ妖狐の当主はあやかしの世界で確固たる地位を築いていた。
 なので、透子が口にした『当主のお誘いを断れない』というのは、柚子が失念していたことだ。
 沙良と桜子がいるから参加を選んだが、断ったら失礼ということまで気が回らなかった。
 不参加にせずによかったと胸をなで下ろす柚子だった。
「それじゃあ、透子にも狐の折り紙入ってた?」
「ああ、あれね。マジでびびったわ。猫田家ではあやかしらしい力を見せられたことがほぼなかったから、柚子のおかげで不思議体験してなかったら腰抜かしてたわね」
 あやかしと言っても猫又はあまり霊力が強くないので、人外の力を目にする機会はほぼなかったようだ。
 それとは反対に、柚子の周りには玲夜の作った子鬼を始め、龍のような霊獣や人ならぬ力をよく目にする機会が多いので透子も耐性がついていたようだ。
 しかし、鬼の作る炎をよく目にする柚子からしても折り紙が狐に変わるのは驚きだった。
「私もびっくりした。普通の折り紙だったもの。玲夜によると子鬼ちゃんみたいなものなんだって」
「らしいわね。にゃん吉に同じようなことしてって頼んだけど、霊力が足りんって拒否られたわ。いまいちその辺りのこと私じゃ分からないのよね」
 猫又は弱く鬼は強いと大雑把なことは分かるが、なにができてなにができないかを人間である柚子や透子が理解するのは難しい。
「私も子鬼ちゃんみたいな使役獣が欲しかったわ。花嫁を得たあやかしは霊力が強くなるらしいんだけどねぇ。そもそもが弱いから焼け石に水らしいわ。若様はどう?」
「そんなの私に分かるわけないじゃない。霊力なんて言われても感じたことないもん」
「そりゃそうだわ。そういう話も花茶会に行けば教えてもらえるのかしら?」
「花嫁のための集まりらしいから、教えてもらえるかもね」
 これまでに抱いてきた疑問が解消されるかもしれないという期待感とともに、透子が一緒だということがなにより嬉しい。
「なんにせよ、透子が一緒みたいで安心した」
「それはこっちの台詞よ。妖狐の当主の家でお茶会なんて、考えただけで胃が痛くて仕方なかったもの。柚子がいてくれるだけで心強いわ。なにか粗相があったら助けてね」
「その前に私が粗相しそうで怖い。そしたらだれに助けを求めたらいいか……」
「言っとくけど私は無理よ」
 そこは嘘でも自分が助けると言ってほしいが、正直な透子は素気なく切り捨てる。
 すると、子鬼が柚子と透子の前に飛び出してきた。
「あーい」
「あいあい!」
 ドンと胸を叩いて任せろと言わんばかりの表情の子鬼にほっこりするが……。
「気合い入れてくれてるところ悪いんだけど、花嫁だけのお茶会だから子鬼ちゃんたちは中に入れないかもよ」
 透子が言いづらそうにしながら告げられた言葉に、子鬼はガーンと激しくショックを受けている。
 それが聞き捨てならない者がもう一匹。
『なに!? それは我もか!』
 龍がずいっと透子の前に身を乗り出す。
「たぶん? 私もにゃん吉に聞いただけだから、詳しいことは若様に聞いた方が早いと思うわよ」
『これは一大事! 童子たちよ作戦会議だ』
「あいあい!」
 子鬼たちは慌てて部屋の隅でなにやら話し始めた。
 それを一瞥してから柚子は透子に問う。
「透子は服装どうするの?」
「いや、それ私も気になってたのよ」
 よくぞ聞いてくれましたというように、透子が身を乗り出す。
「妖狐のご当主の家に普段着ってわけにもいかないでしょうし。柚子はどうするの?」
「私も困ってて。いつもお手伝いで桜子さんが参加してるらしいから電話して聞こうかなって思ってるの」
「それなら今連絡してよ。私も教えてほしいから。場違いな服で行ったことでにゃん吉に迷惑かけちゃうの嫌だし」
「だよね」
 玲夜はなんでもいいだろうという姿勢だが、普通はすごく気になる問題だ。
 透子も必要なことだしと、柚子はその場で桜子に電話することにした。
 数度のコール音の後、桜子が電話に出た。
「もしもし、桜子さん」
『あら、柚子様。どうなさいましたか?』
「実は、妖狐のご当主から花茶会の案内状が届いたんです。それで桜子さんにお窺いしたい問題がありまして……」
『まあ、今回は柚子様もご出席されるのですね。私でお答えできることでしたらなんなりとおっしゃってください』
 柚子が参加すると聞いて、若干声の調子が弾んだ桜子に柚子は率直に聞いた。
「当日の服装なんですが、和装か洋装かで迷ってるんです。玲夜に聞いてもはっきりしなくて、そこで、桜子さんに相談を」
 すると電話口の向こうから小さな笑い声がする。
『玲夜様はそういうものに無関心ですからね。熱意を見せたのは柚子様の衣装を選ばれる時だけですから』
 これには柚子も言い返せない。
 普段の服だけでなく、結婚式の衣装ですら玲夜は自分のものには関心が薄く、その反面柚子の衣装には散々口を挟んできたのだから。
『服装は皆様フォーマルな格好をされますよ。どちらかというと洋装より和装の方が多い印象でしょうか。ですが、招待客の方がどちらを選んでも気まずくならないように、毎回沙良様が洋装で、撫子様が和装で出席されますよ。ですから気にせずお好きな方をお選びになったらよろしいかと思います』
「そうなんですね。ありがとうございます! 助かりました」
 話の途中でツンツンと服が引っ張られたのでなにかと目を向ければ、子鬼と龍が期待に満ちた輝く眼差しで柚子を見あげている。
『柚子、我らもついていっていいか聞いてくれ』
 こくこくと頷く子鬼たちに促されて柚子も桜子に聞いてみる。
「あー、えっと、桜子さん。その花茶会っていうのは花嫁だけのお茶会なんですよね?」
『ええ。毎回ランダムに花嫁様に招待状が送られます。お呼びする主席者も少なく、肩肘張らない大人の女子会のようなものでしょうか』
「子鬼ちゃんや龍を連れていくことは……」
『先ほど柚子様がおっしゃったように花嫁のための集まりですので、基本的に花嫁以外の出席は不可となっております』
 桜子のせいではないのに『申し訳ございません』と遠慮がちな声で謝る桜子に申し訳なくなってきたのは柚子の方だ。
「いえ、そういうことなら仕方ないですね。ちゃんと言って聞かせます。ありがとうございました!」
『どういたしまして。また分からないことがありましたらお電話ください。花茶会でお会いするのを楽しみにしておりますね』
 最後まで品のいい桜子との電話を切り、柚子は告げなければならない。
「やっぱり子鬼ちゃんも龍も連れていっちゃ駄目だって」
『なんと!』
「あい!?」
 なんで!?という顔の子鬼と龍には悪いが、駄目なものを柚子の我が儘で押し通すわけにはいかない。
「ごめんね。残念だけど当日はお留守番しててね」
「あーい……」
「やー……」
 しょぼんと落ち込んだ子鬼はかわいそうだが仕方がない。
「透子、服装はフォーマルなら和装でも洋装でもいいみたい」
「ありがと。じゃあ久しぶりに着物でも着ようかしら。柚子もせっかくだから着物の色を合わせましょうよ」
「うん。それいいね」
 問題が解決したところで、タイミングよく杏那の来訪が使用人から教えられる。
 すぐに柚子たちがいる部屋へと通された杏那は、柚子たちを見てはにかんだ。
 さすがあやかしだけあって、柚子や透子では及びもしない容姿のよさだ。
 雪女特有の白い髪は、小柄な杏那の愛らしさを存分に引き立てている。
「いらっしゃい、杏那ちゃん」
「お招きありがとうございます」
「堅苦しい挨拶はいいから、座って座って」
 透子に勧められるままに座った杏那に、子鬼たちが挨拶をしにトコトコと向かう。
「あいあい」
「あーい」
「こんにちは。相変わらず柚子さんのSPはかわいらしいですね」
 杏那に褒められて照れる子鬼たちを微笑ましく眺めている間に、透子が杏那の前にお茶を置く。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。蛇塚君は一緒じゃないの?」
「いえ、柊斗さんも一緒に。けれど、玄関で東吉さんに連れられて行ってしまいました」
「なんだ、じゃあ、こっちはこっちで女子会しましょ」
 そう言うと、透子はテーブルの上にドンドンお菓子を載せていく。
「透子、ちょっと多すぎない?」
「大丈夫よ。そこに大食漢がいるから」
 透子が指をさしたのは龍だった。
 確かにこの龍は、酒と聞けば一升瓶をラッパ飲みし、食事だと言えば五人前をペロリと平らげる。
 山積みにされたお菓子ぐらいなら平気で食べてしまうだろう。
 本当に小さな体のどこに消えていくのやら。未だに謎だった。
 特にお酒が大好きなようで、披露宴では次から次に酒瓶を空にし、そのまま酔っ払って謎のダンスを踊りながら各テーブルを回っていっては、招待客に絡んでいくという大迷惑な行動を起こした。
 そのせいでいくつかの催しができなくなってしまい、スケジュールから演出まで練りに練って考えた高道が青筋を立てて怒りに震える事態に。
 その後、龍は怖いほど笑顔の高道に広間から連れ出されると、広間の外からなにやら悲鳴が聞こえ、しばらくするとがっくりと肩を落として戻ってきた。
 どうやら酔いも覚めた様子で、子鬼たちに慰められていた。
 高道は怒らせまいと柚子が誓った瞬間だったが、龍の暴走を止めてくれて助かったとも思う。
 龍を放っておいたら、披露宴は散々な結果になるところだった。
「柚子も披露宴のアルバム持ってきたんでしょう? 見せてよ」
「うん」
 披露宴ではプロの写真家が撮影したくれており、なん千枚と撮った写真のデータの中から、柚子が気に入ったものをピックアップして印刷してもらいアルバムにしたのだ。
 写っているのは柚子と玲夜の写真が多く、それ以外には柚子が招待した祖父母や友人の写真である。
 鬼龍院の招待客の写真をまとめたアルバムもあったが、正直あまり興味がない。
 しかし、披露宴に来てくれた人たちの顔ぶれは今後パーティーなどに出席する時のため覚えていた方がいいと、高道が気を利かせてまとめてくれたのだ。
 さすが、玲夜の有能な秘書である。
 さらには、その妻の桜子がアルバムに分かりやすく説明を入れていてくれたので、今後かなり重宝するアルバムになることだろう。
 アルバムをめくりながら話に花を咲かせる柚子たち。
「若様はなに着せてもイケメンね。友達全員若様が入場してきたとたん黄色い悲鳴あげて写真撮りまくってたもの。まあ、その中には私も含まれてるんだけど」
 これには柚子も苦笑いする。
「皆、私じゃなくて玲夜撮ってたもんね」
「そりゃあ、仕方ないってもんよ。若様の美しさの前じゃあね。けど、柚子も綺麗だったわよ。オーダーメイドだけあってすごく柚子に似合ってたもの」
「ありがと」
 とってつけたような賛辞に悲しくなるなるが、自分が招待客の立場だったら同じことをしているだろうなと思うので怒るに怒れない。
「若様って披露宴ではタキシードだったけど、本家で行った式は和装だったんでしょ?」
「うん」
 柚子は鞄から別のアルバムを見せる。
 こちらは鬼龍院の本家で行われた結婚式の写真がまとめられている。
「こっちも綺麗ね。あ~、私も結婚式したかったわ」
 残念そうに柚子のアルバムに目を通す透子は、莉子を妊娠したことで式はせず、写真しか撮れていなかった。
「だったらにゃん吉君に頼んでみたら? 莉子ちゃんも生まれたことだし、別に後からしても問題ないじゃない。ねぇ、杏那ちゃん?」
「はい。子供が産まれてから式をする方もいますし、全然問題ないと思います!」
 杏那にも力強く肯定され、透子も段々その気になってきた。
「ウェディングドレス着て皆に見てもらいたくない?」
「……もらいたい」
「フラワーシャワーに、お色直しやケーキ入刀。着飾った友達にお祝いされながらドレスで写真撮影」
「したいに決まってるじゃないのよぉぉ」
 柚子の披露宴を見たからこそ余計に羨ましく感じるのだろう。
「なら、ここはにゃん吉君に直談判するしかない!」
「そうよね。別に柚子みたいな盛大な結婚式は望んでないのよ。家族と友達だけのアットホームな結婚式がしたい!」
 それは柚子も同感だ。
 できればこじんまりとして和気あいあいとした結婚式にしたかったが、鬼龍院の家格がそれを許さなかった。
 その一点においてはちょっと不満が残るが、式すらできなかった透子からしたら我が儘がすぎるだろう。
「ちょっと言ってくるわ!」
「えっ……」
 思いついたらすぐ行動するのが透子である。
 柚子や杏那が制止する前に、あっという間に部屋を出ていってしまった。
「…………」
 残された柚子と杏那の間に変な沈黙が落ちる。
「……たぶんしばらく帰ってこないからお菓子食べてよっか」
「あっ、はい」
 お菓子をもぐもぐと食べているとふと気になった。
「そう言えば杏那ちゃんたちはどうするの?」
「どうとは?」
「蛇塚君との結婚だよ。やっぱり杏那ちゃんが大学卒業したら結婚するの?」
 なんの気なしに聞いた質問だったが、問いかけた直後に杏那の顔が真っ赤に染まっていく。
「なな、そん、そんな、わたっ私が柊斗さんと結婚!?」
 激しく動揺する杏那。
「そんなに驚かなくても、杏那ちゃんならいい奥さんになると思うな」
「ひぅ! 柊斗さんの奥さんになるなんてっ! そんなそんな、恥ずかしい~っ!!」
 その瞬間、杏那から大量の冷気が噴き出し、部屋の中を一気に冷凍庫にしていく。
『ぬあぁぁ!』
「あいー!」
「あいあい!」
 慌てる龍と子鬼たち。
 もちろん柚子も急いでコートを引っつかんだが、着てきたスプリングコートでは杏那の冷気から体を守れない。
 杏那対策を怠っていたと激しく後悔したところで、部屋の扉が開かれ東吉が顔を見せた。
「おい、柚子。透子になに吹きこん──さぶっ!」
 部屋に入った瞬間に寒さに震える東吉が天使に見えた。
「にゃん吉君、助けて……」
 続いて顔を見せた透子が、凍える柚子を見て悲鳴をあげた。
「きゃー、柚子が凍死するぅぅ!」
「お、おい、柚子! 蛇塚、早く来い。杏那を止めろ!」
 透子の後ろからやって来た蛇塚が杏那のそばに行き、肩に手を置く。
「杏那、杏那」
 正気に戻そうと肩を揺すった蛇塚の行動により、杏那は蛇塚の存在に気がついたが、間近にいた蛇塚にさらに興奮してしまう。
「ひゃぁぁぁ! いつの間に柊斗さんがぁ!」
 ここは雪山かと錯覚するような吹雪が吹きすさび、全員遭難しかけている。
「こら、蛇塚! 悪化させてどうすんだ!」
「そんなこと言われても……」
 東吉から理不尽に叱られた蛇塚は困ったように眉を下げる。
「柚子、あんたなに言ったのよ」
「結婚するの?って聞いて、杏那ちゃんなら蛇塚君のいい奥さんになるって……」
 歯をガチガチさせながら、透子から渡される毛布を羽織る。
「なるほど。私も気になってたんだけど、今度から禁句だわね」
「そうみたい……」
 聞く度に吹雪かれてはたまったものではない。
 結局、杏那が落ち着くまでしばらくかかり、我に返った杏那は無惨に荒れた部屋を見て透子に平謝りだった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
 杏那に蛇塚の惚気話を聞くのはやめておこうた心に留めた。