一章
柚子の目覚めは、スマホのアラーム音とともに、つい一週間ほど前に夫となった玲夜の腕の中で始まる。
目を開いた柚子の前には、すでに目を覚ましている玲夜の綺麗な顔がある。
柚子が目覚めるのを待ち構えていたように微笑む表情は、朝から破壊力抜群だ。
精巧に作られたように一片の欠点もない玲夜の容姿にはさすがに慣れたが、朝一番の微笑みはやはり柚子もまだ激しく心臓が動いてしまう。
まだまだ修行が足りないようだ。
「おはよう、柚子」
「おはよう……」
蕩けるような甘い眼差しに、柚子は直視できずに玲夜の胸に顔を埋めて視界を遮る。
だが、恥ずかしさを紛らわせる柚子の行動は甘えているように見えたのか、ただ玲夜を喜ばせただけであった。
柚子を引き寄せた玲夜の腕に力が入り、互いの鼓動が聞こえるほど近くぴたりと体を寄せ合う。
つい先日披露宴も無事に終えた。
あらかじめ招待客のリストには目を通していたので、人の多さは分かっていたはずなのだが、いざホテルで一番広い大広間を埋め尽くす人の視線が一斉に向けられた時には逃げ出したい衝動に駆られてしまった。
全体の招待客を比べてみると、柚子より玲夜──鬼龍院家関係の客がほとんどだった。
鬼龍院というあやかし界のトップであり、日本経済を支える大会社の関係者というだけあり、呼ばれた人たちは皆上流階級の人たちばかり。
中にはテレビや新聞でよく知るような経済界政界の重鎮などもいて、花嫁である柚子を値踏みするように見つめてくるのだ。
中にはあからさまな敵意を感じる視線を向けてくる者も。
それらはほとんど女性からである。
理由は言わずもがな。玲夜の隣に立つ柚子が妬ましいのだろう。
完全アウェーな空間に泣きたくなるのをぐっとこらえる柚子を落ち着かせたのは玲夜の言葉。
「気を楽にしていたらいい。これは柚子が俺のものになったと惚気るための儀式なんだから」
吐息とともに『俺の柚子』と耳に囁かれれば、もう玲夜以外のこと考えられなくなってしまう。
玲夜は柚子を落ち着かせようと思ってのことだろうが、その行動は最大限の効果を発揮した。
おかけで緊張がほぐれ、玲夜の言う、惚気るためのふたりの披露宴を楽しむ余裕ができた。
玲夜も始終穏やかな表情で柚子を甘く見つめるので、冷徹な玲夜しか知らない人たちは彼の態度に対して驚いている者も多くいたと、式の後に玲夜の母である沙良から楽しげに教えられた。
沙良も息子の門出を大いに喜んでいたようだ。
それとともに、新たに義理の娘となった柚子のことも温かく迎え入れてくれた。
「これで名実共に柚子ちゃんの母親になったんだから、これからはお母様って呼んでね」
そう笑いかけられた柚子は、披露宴の間には浮かんでこなかった涙が込み上げてきた。
柚子の祖父母は呼んだが、本当の両親は結婚式には呼んでいない。
呼べるはずがなかった。
娘を犠牲にしてでも自分たちのことを優先させる両親には愛想が尽きてしまったから。
きっともう会うことはないだろう。
だからこそ、沙良が自分が母親だと言ってくれたことが嬉しくてならない。
柚子へ向ける眼差しに、確かな母の情が映っているように感じたから。
ともあれ、無事に夫婦となれた柚子はそのまま新婚旅行に──というわけにはいかなかった。
ただでさえ鬼龍院という大会社の社長をしている玲夜は忙しく、にもかかわらず最近は式や披露宴の準備を時間を作るために仕事の方がおろそかになっていた。
結婚をするために溜めてしまった仕事を裁くため、結婚式と披露宴の翌日も普通に仕事に出かけてしまった。
もちろん、この日もである。
本当はこのままベッドの上でまったりとふたりの時間を過ごしていたかったのだが、新婚気分は終了だと告げるように、今度は玲夜のスマホが鳴った。
玲夜は途端に不機嫌そうに舌打ちしてスマホを取ると、そのまま耳に当てた。
「なんだ、高道」
どうやら玲夜の秘書である荒鬼高道からモーニングコールがあったようだ。
怒りを押し殺したように「分かっている」と返事をしながらも柚子を離さない玲夜は、電話を切った後も、柚子を抱きしめたまま。
「いいの? 高道さんからでしょう?」
「ああ。こっちは新婚だというのに、頭の固い奴だ。あいつが結婚した時にはちゃんと休暇をやったのに、俺には一日も与えられないなんて不公平だと思わないか?」
柚子に問われても仕事のことは分からないのでなんとも答えられないが、玲夜が休める状況ではないのは確かなようだ。
披露宴翌日は休むと言って聞かず、寝室に朝食を持ってこさせて柚子と引きこもっていたら、高道が乗り込んできたことがあった。
それほどに仕事が立て込んでいるらしい。
その日以降、玲夜を放っておくと自主的にハネムーンを満喫してしまうので、高道からのモーニングコールが始まったのである。
「仕方ない」
深いため息をついてベッドから起きあがる玲夜に続いて柚子も抜け出すと、柚子は自分部屋へ着替えに向かった。
そこには子鬼たちと、黒猫のまろと茶色の猫のみるく。そして龍が待ち構えていた。
「あーいあーい」
「あーい」
ぴょんぴょんと跳ねる子鬼は、それぞれ手に色違いの甚平を持っていた。
「子鬼ちゃん。今日はその服にするの?」
「する~」
「昨日は青だったから赤なの~」
それらは披露宴に参加した元手芸部部長から結婚祝いとしてたくさん贈られたものだ。
普段は甚平を着ていることから作ってくれたものだったが、なぜ子鬼に結婚祝いを渡すのか。子鬼の結婚式ではないのだが……。
そうツッコむ前に、いつも同じ服でいさせるなんてもってのほかだと柚子がお叱りを受けてしまった。
そもそもいつも子鬼たちが着ている甚平は、人が作った服とは違い、子鬼を作った時の付属品みたいなものなので、玲夜の霊力によってできているらしい。
なので汚れたり破れたりしても修復される、かなり高性能な服なのだ。
元部長から贈られた服はたくさんあるが、やはり最後は自分たちが作られた時に着ている甚平に着替えることから、その服が気に入っているのだなと思っていた。
しかし、どうやら甚平を気に入っていただけらしく、元部長からもらった甚平を日替わりで着て楽しんでいる。
これは柚子も予想外の反応で、もっと早く用意してあげればよかったと後悔した。
そんな何年にも渡る誤解が解けたのも、子鬼が言葉を理解できるだけでなくしゃべることができ、意思疎通が図れると知ったからなのだが。
言葉を話せなかった理由が玲夜のやきもちと知った時は本当にあきれてしまったが、子鬼にすら嫉妬してしまう玲夜をかわいらしくも感じる。
しかし、玲夜をかわいらしいと評するのは柚子ぐらいだろう。
「うんしょ、うんしょ……」
「着たー」
「今日もかわいいね」
着替えた子鬼を撫でてから写真に撮ると、元部長に送信してあげる。きっと朝から子鬼のかわいさに悶えるに違いない。
今後は定期的に甚平を作って送ってくれるらしい。
最初こそ断っていた柚子だが、元部長の熱意はすさまじく、玲夜を動かした。
月に数着子鬼の服を製作する代わりに報酬を出すと、玲夜と個人契約したのである。
契約金はさすが鬼龍院だと驚く破格の金額だったが、なんだかんだで玲夜も子鬼のことをかわいがっているからだろうとなんとも微笑ましかった。
とはいえ、実業家としても厳しい目を持つ玲夜を動かすとは、元部長もただ者ではない。
話によると、有名服飾メーカーのデザイナーとして就職予定だとか。
面接で元部長の作った服を着た子鬼の写真を見せながら子鬼と服への愛を訴えたのが決め手だというのだから、子鬼への想いは果てしなく大きいようだ。
『童子たちよ、我のリボンも結んでくれ』
「あーい」
「あいあい」
子鬼たちが毎日違う甚平を着るようになったからか、龍もファッションに目覚めた様子。
玲夜に一年では使い切れないほど大量のリボンをねだり、毎朝どれにしようかと悩んでいる。
当初、飾りなど必要ないと自分の鱗の美しさを語っていたのはどこのどいつだと問い詰めたい。
そんな龍とは別に、同じ霊獣でもまろとみるくはまったく興味がなさそうに大きなあくびをしている。
だが、結婚式で柚子が首に結んであげたリボンは大事に隠していると龍が教えてくれ、ほっこりした。
龍が子鬼にリボンを結んでもらっている間に柚子も着替えると、食事を食べる部屋へと向かう。
後ろからトコトコ付いてくる子鬼と猫たち。
龍は我先に行ってしまった。
彼の目的は分かっている。
すでに玲夜が待っていた部屋には、これまでにはなかった新品の大きなテレビが設置されており、先に来ていた龍がリモコンを我が物顔で独占してチャンネルを変えている。
朝の情報番組を見るのが最近のブームらしい。
それなら柚子の部屋で見ればいいものを、加護を与えているのだからと家の中でもストーカーのごとく柚子のそばにいたがるから困ったものだ。
さすがに玲夜との時間を邪魔するような無粋なまねはしないが、食事の席では龍だけだなく子鬼もまろとみるくまで勢揃いする。
まろとみるくは雪乃からご飯をもらっているが、柚子たちが食事の間は暇を持て余すので、龍が部屋にテレビを置くよう要求したのが始まりだった。
テレビを買ってもらう代わりになにやら玲夜と取引をしたようだが、柚子は内容を知らない。
訪ねても教えてくれないのだ。
玲夜の頼み事なのでおかしなことはしないだろうが、なんとなく仲間はずれにされたようで寂しい。
龍はお決まりの番組にチャンネルを合わせると、ニュースを見ながら解説者の話にコメントしている。
『うーむ。なんとはた迷惑な奴がいるものだな。こういう者は法でびしっと成敗せねばならん。びしっと!』
「あーい」
「あいあい」
子鬼が時々相槌を打ちながら、ひとりテレビに向かって文句を垂れ流す龍を無視して、柚子は「いただきます」と手を合わせてから食事を始めた。
「玲夜は今日も帰り遅くなりそう?」
具が沈殿したお味噌汁を箸でかき混ぜながら玲夜に問いかけると、うんざりしたような表情で肯定した。
「ああ。仕事が溜まっているらしい」
「式の準備とかで休みを取ったから仕方ないと思うんだけど、さすがに忙しすぎない? 体調には気をつけてね?」
「あやかしは丈夫だからそこは大丈夫だ。忙しいのは式の準備で休んでいたからが問題じゃない」
「なにかあるの?」
聞いたところで、柚子には分からない話なので濁されるだろうと思ったら違った。
「一龍斎が原因だ」
首をかしげる柚子の横に、一龍斎と聞いてテレビよりこちらが気になった龍が移動してきた。
『一龍斎がなにかあるのか?』
過去、一龍斎の一族に囚われていた龍は彼らの話題には敏感だ。
「龍の加護を失い、当主の失脚もあって、一龍斎関連の会社は衰退の一途だったが、半数以上の会社を売りに出すことにしたようだ。外資系企業も手をあげる中、その大半をうちが吸収することになった」
「ええ、そうなの?」
「ああ。それもあって、今忙しくしている。一龍斎はもう駄目だろうな。こんな数年で崩れるとは、これまでいかに龍の加護に頼っていたかが知れるというものだ」
『うははははっ! それはなんとも愉快愉快』
龍はご機嫌でグルグルと部屋の中を飛び回っていると、黒目をランランと輝かせたまろがタイミングよくジャンプして、猫パンチで叩き落とした。
『ぎゃー!』
「アオーン」
「にゃんにゃん」
こっちにもよこせとばかりにミルクも参戦するのを、子鬼たちが慌てて止めている。
放っておいたら引きちぎりかねない勢いだった。
子鬼たちになんとか救出され、ボロボロになった龍が柚子の肩に乗る。
『酷い目に遭った……』
「学習しないからでしょう」
まろとみるくの前でうにょうにょと動けば、狙ってくださいと言っているようなものなのに、それを龍は未だに理解していない。
『それよりもだ! 一龍斎の本家の屋敷はどうなっておる?』
「屋敷だと?」
玲夜の眉間にしわが寄る。なにを言っているんだと言いたげな表情だ。
『そうだ。それだけ落ちぶれたのならばこれまで住んでいた本家の屋敷を手放してはおらんのか? あそこは土地が広大だから維持にも金がたくさんかかるのでな』
「いや、そこまでの情報は来ていない」
『ならばすぐに調べるのだ。そして、売りに出されていたらなにがなんでも買い取ってくれ。そなたならばできよう』
「なにかあるのか?」
龍にとっては近付きたくもない憎き一族の総本山だろうに、龍がそこまで気にするとは普通のことではない。
玲夜の顔の険しさが増す。
『大事なものがあるのだ。今となっては奴らも覚えてはいないが、決して他人に渡せぬ重要なものが』
それがなにかは明言しなかったが、玲夜はその場で高道に電話して調べるように伝えていた。
柚子の目覚めは、スマホのアラーム音とともに、つい一週間ほど前に夫となった玲夜の腕の中で始まる。
目を開いた柚子の前には、すでに目を覚ましている玲夜の綺麗な顔がある。
柚子が目覚めるのを待ち構えていたように微笑む表情は、朝から破壊力抜群だ。
精巧に作られたように一片の欠点もない玲夜の容姿にはさすがに慣れたが、朝一番の微笑みはやはり柚子もまだ激しく心臓が動いてしまう。
まだまだ修行が足りないようだ。
「おはよう、柚子」
「おはよう……」
蕩けるような甘い眼差しに、柚子は直視できずに玲夜の胸に顔を埋めて視界を遮る。
だが、恥ずかしさを紛らわせる柚子の行動は甘えているように見えたのか、ただ玲夜を喜ばせただけであった。
柚子を引き寄せた玲夜の腕に力が入り、互いの鼓動が聞こえるほど近くぴたりと体を寄せ合う。
つい先日披露宴も無事に終えた。
あらかじめ招待客のリストには目を通していたので、人の多さは分かっていたはずなのだが、いざホテルで一番広い大広間を埋め尽くす人の視線が一斉に向けられた時には逃げ出したい衝動に駆られてしまった。
全体の招待客を比べてみると、柚子より玲夜──鬼龍院家関係の客がほとんどだった。
鬼龍院というあやかし界のトップであり、日本経済を支える大会社の関係者というだけあり、呼ばれた人たちは皆上流階級の人たちばかり。
中にはテレビや新聞でよく知るような経済界政界の重鎮などもいて、花嫁である柚子を値踏みするように見つめてくるのだ。
中にはあからさまな敵意を感じる視線を向けてくる者も。
それらはほとんど女性からである。
理由は言わずもがな。玲夜の隣に立つ柚子が妬ましいのだろう。
完全アウェーな空間に泣きたくなるのをぐっとこらえる柚子を落ち着かせたのは玲夜の言葉。
「気を楽にしていたらいい。これは柚子が俺のものになったと惚気るための儀式なんだから」
吐息とともに『俺の柚子』と耳に囁かれれば、もう玲夜以外のこと考えられなくなってしまう。
玲夜は柚子を落ち着かせようと思ってのことだろうが、その行動は最大限の効果を発揮した。
おかけで緊張がほぐれ、玲夜の言う、惚気るためのふたりの披露宴を楽しむ余裕ができた。
玲夜も始終穏やかな表情で柚子を甘く見つめるので、冷徹な玲夜しか知らない人たちは彼の態度に対して驚いている者も多くいたと、式の後に玲夜の母である沙良から楽しげに教えられた。
沙良も息子の門出を大いに喜んでいたようだ。
それとともに、新たに義理の娘となった柚子のことも温かく迎え入れてくれた。
「これで名実共に柚子ちゃんの母親になったんだから、これからはお母様って呼んでね」
そう笑いかけられた柚子は、披露宴の間には浮かんでこなかった涙が込み上げてきた。
柚子の祖父母は呼んだが、本当の両親は結婚式には呼んでいない。
呼べるはずがなかった。
娘を犠牲にしてでも自分たちのことを優先させる両親には愛想が尽きてしまったから。
きっともう会うことはないだろう。
だからこそ、沙良が自分が母親だと言ってくれたことが嬉しくてならない。
柚子へ向ける眼差しに、確かな母の情が映っているように感じたから。
ともあれ、無事に夫婦となれた柚子はそのまま新婚旅行に──というわけにはいかなかった。
ただでさえ鬼龍院という大会社の社長をしている玲夜は忙しく、にもかかわらず最近は式や披露宴の準備を時間を作るために仕事の方がおろそかになっていた。
結婚をするために溜めてしまった仕事を裁くため、結婚式と披露宴の翌日も普通に仕事に出かけてしまった。
もちろん、この日もである。
本当はこのままベッドの上でまったりとふたりの時間を過ごしていたかったのだが、新婚気分は終了だと告げるように、今度は玲夜のスマホが鳴った。
玲夜は途端に不機嫌そうに舌打ちしてスマホを取ると、そのまま耳に当てた。
「なんだ、高道」
どうやら玲夜の秘書である荒鬼高道からモーニングコールがあったようだ。
怒りを押し殺したように「分かっている」と返事をしながらも柚子を離さない玲夜は、電話を切った後も、柚子を抱きしめたまま。
「いいの? 高道さんからでしょう?」
「ああ。こっちは新婚だというのに、頭の固い奴だ。あいつが結婚した時にはちゃんと休暇をやったのに、俺には一日も与えられないなんて不公平だと思わないか?」
柚子に問われても仕事のことは分からないのでなんとも答えられないが、玲夜が休める状況ではないのは確かなようだ。
披露宴翌日は休むと言って聞かず、寝室に朝食を持ってこさせて柚子と引きこもっていたら、高道が乗り込んできたことがあった。
それほどに仕事が立て込んでいるらしい。
その日以降、玲夜を放っておくと自主的にハネムーンを満喫してしまうので、高道からのモーニングコールが始まったのである。
「仕方ない」
深いため息をついてベッドから起きあがる玲夜に続いて柚子も抜け出すと、柚子は自分部屋へ着替えに向かった。
そこには子鬼たちと、黒猫のまろと茶色の猫のみるく。そして龍が待ち構えていた。
「あーいあーい」
「あーい」
ぴょんぴょんと跳ねる子鬼は、それぞれ手に色違いの甚平を持っていた。
「子鬼ちゃん。今日はその服にするの?」
「する~」
「昨日は青だったから赤なの~」
それらは披露宴に参加した元手芸部部長から結婚祝いとしてたくさん贈られたものだ。
普段は甚平を着ていることから作ってくれたものだったが、なぜ子鬼に結婚祝いを渡すのか。子鬼の結婚式ではないのだが……。
そうツッコむ前に、いつも同じ服でいさせるなんてもってのほかだと柚子がお叱りを受けてしまった。
そもそもいつも子鬼たちが着ている甚平は、人が作った服とは違い、子鬼を作った時の付属品みたいなものなので、玲夜の霊力によってできているらしい。
なので汚れたり破れたりしても修復される、かなり高性能な服なのだ。
元部長から贈られた服はたくさんあるが、やはり最後は自分たちが作られた時に着ている甚平に着替えることから、その服が気に入っているのだなと思っていた。
しかし、どうやら甚平を気に入っていただけらしく、元部長からもらった甚平を日替わりで着て楽しんでいる。
これは柚子も予想外の反応で、もっと早く用意してあげればよかったと後悔した。
そんな何年にも渡る誤解が解けたのも、子鬼が言葉を理解できるだけでなくしゃべることができ、意思疎通が図れると知ったからなのだが。
言葉を話せなかった理由が玲夜のやきもちと知った時は本当にあきれてしまったが、子鬼にすら嫉妬してしまう玲夜をかわいらしくも感じる。
しかし、玲夜をかわいらしいと評するのは柚子ぐらいだろう。
「うんしょ、うんしょ……」
「着たー」
「今日もかわいいね」
着替えた子鬼を撫でてから写真に撮ると、元部長に送信してあげる。きっと朝から子鬼のかわいさに悶えるに違いない。
今後は定期的に甚平を作って送ってくれるらしい。
最初こそ断っていた柚子だが、元部長の熱意はすさまじく、玲夜を動かした。
月に数着子鬼の服を製作する代わりに報酬を出すと、玲夜と個人契約したのである。
契約金はさすが鬼龍院だと驚く破格の金額だったが、なんだかんだで玲夜も子鬼のことをかわいがっているからだろうとなんとも微笑ましかった。
とはいえ、実業家としても厳しい目を持つ玲夜を動かすとは、元部長もただ者ではない。
話によると、有名服飾メーカーのデザイナーとして就職予定だとか。
面接で元部長の作った服を着た子鬼の写真を見せながら子鬼と服への愛を訴えたのが決め手だというのだから、子鬼への想いは果てしなく大きいようだ。
『童子たちよ、我のリボンも結んでくれ』
「あーい」
「あいあい」
子鬼たちが毎日違う甚平を着るようになったからか、龍もファッションに目覚めた様子。
玲夜に一年では使い切れないほど大量のリボンをねだり、毎朝どれにしようかと悩んでいる。
当初、飾りなど必要ないと自分の鱗の美しさを語っていたのはどこのどいつだと問い詰めたい。
そんな龍とは別に、同じ霊獣でもまろとみるくはまったく興味がなさそうに大きなあくびをしている。
だが、結婚式で柚子が首に結んであげたリボンは大事に隠していると龍が教えてくれ、ほっこりした。
龍が子鬼にリボンを結んでもらっている間に柚子も着替えると、食事を食べる部屋へと向かう。
後ろからトコトコ付いてくる子鬼と猫たち。
龍は我先に行ってしまった。
彼の目的は分かっている。
すでに玲夜が待っていた部屋には、これまでにはなかった新品の大きなテレビが設置されており、先に来ていた龍がリモコンを我が物顔で独占してチャンネルを変えている。
朝の情報番組を見るのが最近のブームらしい。
それなら柚子の部屋で見ればいいものを、加護を与えているのだからと家の中でもストーカーのごとく柚子のそばにいたがるから困ったものだ。
さすがに玲夜との時間を邪魔するような無粋なまねはしないが、食事の席では龍だけだなく子鬼もまろとみるくまで勢揃いする。
まろとみるくは雪乃からご飯をもらっているが、柚子たちが食事の間は暇を持て余すので、龍が部屋にテレビを置くよう要求したのが始まりだった。
テレビを買ってもらう代わりになにやら玲夜と取引をしたようだが、柚子は内容を知らない。
訪ねても教えてくれないのだ。
玲夜の頼み事なのでおかしなことはしないだろうが、なんとなく仲間はずれにされたようで寂しい。
龍はお決まりの番組にチャンネルを合わせると、ニュースを見ながら解説者の話にコメントしている。
『うーむ。なんとはた迷惑な奴がいるものだな。こういう者は法でびしっと成敗せねばならん。びしっと!』
「あーい」
「あいあい」
子鬼が時々相槌を打ちながら、ひとりテレビに向かって文句を垂れ流す龍を無視して、柚子は「いただきます」と手を合わせてから食事を始めた。
「玲夜は今日も帰り遅くなりそう?」
具が沈殿したお味噌汁を箸でかき混ぜながら玲夜に問いかけると、うんざりしたような表情で肯定した。
「ああ。仕事が溜まっているらしい」
「式の準備とかで休みを取ったから仕方ないと思うんだけど、さすがに忙しすぎない? 体調には気をつけてね?」
「あやかしは丈夫だからそこは大丈夫だ。忙しいのは式の準備で休んでいたからが問題じゃない」
「なにかあるの?」
聞いたところで、柚子には分からない話なので濁されるだろうと思ったら違った。
「一龍斎が原因だ」
首をかしげる柚子の横に、一龍斎と聞いてテレビよりこちらが気になった龍が移動してきた。
『一龍斎がなにかあるのか?』
過去、一龍斎の一族に囚われていた龍は彼らの話題には敏感だ。
「龍の加護を失い、当主の失脚もあって、一龍斎関連の会社は衰退の一途だったが、半数以上の会社を売りに出すことにしたようだ。外資系企業も手をあげる中、その大半をうちが吸収することになった」
「ええ、そうなの?」
「ああ。それもあって、今忙しくしている。一龍斎はもう駄目だろうな。こんな数年で崩れるとは、これまでいかに龍の加護に頼っていたかが知れるというものだ」
『うははははっ! それはなんとも愉快愉快』
龍はご機嫌でグルグルと部屋の中を飛び回っていると、黒目をランランと輝かせたまろがタイミングよくジャンプして、猫パンチで叩き落とした。
『ぎゃー!』
「アオーン」
「にゃんにゃん」
こっちにもよこせとばかりにミルクも参戦するのを、子鬼たちが慌てて止めている。
放っておいたら引きちぎりかねない勢いだった。
子鬼たちになんとか救出され、ボロボロになった龍が柚子の肩に乗る。
『酷い目に遭った……』
「学習しないからでしょう」
まろとみるくの前でうにょうにょと動けば、狙ってくださいと言っているようなものなのに、それを龍は未だに理解していない。
『それよりもだ! 一龍斎の本家の屋敷はどうなっておる?』
「屋敷だと?」
玲夜の眉間にしわが寄る。なにを言っているんだと言いたげな表情だ。
『そうだ。それだけ落ちぶれたのならばこれまで住んでいた本家の屋敷を手放してはおらんのか? あそこは土地が広大だから維持にも金がたくさんかかるのでな』
「いや、そこまでの情報は来ていない」
『ならばすぐに調べるのだ。そして、売りに出されていたらなにがなんでも買い取ってくれ。そなたならばできよう』
「なにかあるのか?」
龍にとっては近付きたくもない憎き一族の総本山だろうに、龍がそこまで気にするとは普通のことではない。
玲夜の顔の険しさが増す。
『大事なものがあるのだ。今となっては奴らも覚えてはいないが、決して他人に渡せぬ重要なものが』
それがなにかは明言しなかったが、玲夜はその場で高道に電話して調べるように伝えていた。