授業が終わり、澪とともにロッカーへ行く。
 子鬼と龍はそばで目を隠しながら待機している。
 これまではロッカーのある部屋の外で待っていたのだが、例の手紙が入るようになってからは意地でもついてくるようになってしまったのだ。
 柚子もひとりにならないように気をつけている。
 そして、ロッカーの前でひと呼吸してから、気合いを入れて開けると、やはりそこには例の手紙が。
 昨日場所を変えてもらってその日は入っていなかったのに、やはり意味はなかったようだ。
 思わず深いため息が出る。
「やっぱりまた入ってたの?」
「うん」
 澪には不気味な手紙のことを話していた。
「今日はなんて?」
 柚子は手袋をはめて封筒を手にする
 手袋をするのは桜子からの指示だ。指紋がついているかもしれないから、証拠を残しておいてくれと。
 この手紙は後で桜子に届ける手はずになっている。
 さわるのも嫌になってくるが、仕方なく中を見て、澪に読み聞かせる。
「えーっと、今日も君の視線を感じたよ。そんなに僕が好きなんだね。両思いで嬉しいよ……」
 柚子の顔からいっさいの感情が抜け、澪は盛大に顔を歪めた。
「ヤバ! ぞわっとしたんだけど。もう初夏だってのに鳥肌立った」
 澪はそう言って両腕を擦っている。
「同じく」
 柚子はジップつきの袋の中に手紙をそっと入れた。
「ねぇ、それってあの女の嫌がらせじゃないよね?」
「あの女?」
「鳴海芽衣よ。一番柚子に敵意持ってるのはあの女でしょ」
「うーん。でも彼女ってこんな回りくどい嫌がらせなんかせずに直接言ってきそうだけどなぁ」
 しかも、嫌がらせにしてもなぜこんな内容なのか分からない。
「そんなの分かんないじゃない」
「それに、最近はいろんな人から嫌われまくってるから、他の女の子の可能性もあるよね」
「否定できないのが悲しいところよね」
 柚子はがっくりと肩を落とした。
 樹本からの特別扱いが始まってから、いろいろ問題が多発して頭が痛くなる。
「とりあえずこれは調べてもらうにしても、手紙が入ってるだけでなにも取られてないのが不思議。手紙入れるだけって嫌がらせにもなってないよね。その瞬間だけ気持ち悪いだけで」
「まあ、そうよね。相談した先生もあんまり深刻に考えてくれないんでしょ?」
「うん。さすがに盗まれたものがあったら別だけど、ほんとに手紙だけだから軽く見てるみたい」
 なので、大事にしたくない学校側は玲夜に報告していないようだ。
 それは助かるが、学校の対応としてどうなのかと疑問に思ってしまう。
 桜子が動いてくれているので続報を待つしかないのが現状だ。
 帰りに本家に寄ってこの手紙を桜子に届けようと思い学校の外へ出ると、いつもいるはずの車が見当たらない。
「あれ?」
 首をかしげる柚子に、澪も不思議がる。
「柚子のお迎えの高級車ないわね。遅刻?」
「なんでだろ?」
 現在位置を問おうと思ってスマホを見ると、いつの間にか通知が来ていた。
 見れば、玲夜からのメッセージが。
『前いたコンビニにいる』
 玲夜来ていると悟ると、自然と柚子の顔もほころぶ。
「この先のコンビニにいるみたいだからそっち行くね」
「そうなの? じゃあ、私もついでにいこうかな。買いたいものがあって」
「そうなんだ」
 澪も一緒となると玲夜と鉢合わせる可能性が高いが、澪ならかまわない。
 むしろ玲夜に紹介したいと思うほど、澪に心を許していた。
 コンビニに着くと、駐車場に見慣れた車が。
 柚子に気付いたのか、車から玲夜出てくると、澪もすぐに見つけたようだ。
「あっ、前に学校前にいたイケメン」
「玲夜」
 澪にかまわず玲夜に真っ直ぐ向かえば、澪は驚いた顔をしていた。
「えっ、柚子の知り合い!?」
「うん」
 はにかみながら柚子は玲夜を紹介する。
「彼は玲夜ね。玲夜、こっちが仲よくしてくれてる片桐澪ちゃん」
「あわわわ、よろしくお願いします!」
「ああ、柚子が世話になっているようだな」
「いえ、こちらこそ!」
 玲夜を前に慌てふためく澪は、柚子を引っ張ってヒソヒソ話す。
「ちょっと聞いてないんだけど! なにあのイケメン? イケメンが過ぎるじゃないのよ! 前なんにも言ってなかったじゃない」
「いや、だってその頃は澪に会ったばかりでよく知らない人に玲夜を紹介するのは気が引けて……。下手に紹介したら、次の日には学校中に噂が広がって大騒ぎになるでしょう?」
「確かに」
 澪は玲夜の顔を再度確認してから納得した。
「でも、あれから澪をよく知れたし、澪ならところかまわず言いふらしたりしないかなって」
「私を信用してくれたわけね」
「うん」
「ならばよし。黙ってたこと許してあげる」
 機嫌をよくした澪は、玲夜のところに戻った。
「名乗るのが遅れてすみません。片桐澪です!」
 玲夜の顔面凶器のような迫力のある美形を前にしても臆することのない澪の様子に柚子は感心した。
「柚子にこんないい人がいるなんて初めて聞いたのでビックリしました。どうりで樹本先生になびかないわけですね。こんなにイケメンな人がいるんですから」
「樹本だと?」
 ぴくりと玲夜の眉が不快そうに動く。
 これはマズいと、柚子は慌てて間に入った。
「あー、澪。コンビニでなにか買うものがあったんじゃなかったっけ?」
「別に急いでるわけじゃないから大丈夫よ。それよりそんな頼りになりそうな彼氏がいるなら、例の嫌がらせの手紙のことも相談したら?」
「手紙?」
「澪!?」
 柚子の焦りにも気付かずに澪は続ける。
「あっ、もしかしてすでに相談してた? 今日も手紙が入ってたんですよぉ。僕たち両思いだね的な内容の手紙が入ってて、何度ロッカー変えても入ってるから気味悪いですよね。先生もあんまり深刻に取り合ってくれないし、保護者の方から厳しく言うようにした方がいいですよ」
「……柚子」
 静かな、けれど激しく怒っているのが分かる玲夜の声に、柚子は終わりを悟った。
「は、はい……」
「話は帰ってからだ。乗れ」
 顔色を悪くする柚子を強制的に車に乗せ、悪いことをしたと思っていない笑顔の澪と別れた。

 屋敷に着くや、そのまま玲夜の部屋に強制連行される。
 関わりたくないと逃げようとした龍を素早く捕獲して一緒に連れていく。
『我は知らぬぞ~』
「逃がさないんだから」
「あいあい」
「あーい」
 子鬼は捕まえずとも心配そうに追いかけてきてくれる。なんて優しい子たちなのか。
 そして、柚子と子鬼と龍は、玲夜の前で正座をさせられた。
「どういうことだ?」
「えーっと……」
 頭をフル回転させるが、この場から逃げるいい手は思い浮かばない。
『柚子、素直に白状した方が身のためだと思うぞ』
「ぐっ」
 己の不利を悟り、柚子は鞄から例の手紙が入った袋を玲夜に恐る恐る渡す。
「なんだ、これは?」
「中見てください」
 内容を確認する間の沈黙が息苦しい。そして、顔をあげるや般若と化した玲夜の尋問が始まった。
「……いつからだ?」
「入学して一カ月経ったぐらいからです……」
 くわっと玲夜の眼光が鋭くなり、柚子は心の中で悲鳴をあげた。
「そんな前から、どうして黙ってた」
「だって、問題があったら玲夜学校を辞めさせようとするでしょう?」
「当たり前だ」
「だから、黙ってました……」
 沈黙が続き、空気が重い。
「……それで、もしなにかあったらどうするつもりだった?」
 怒鳴るでもなく、怒りを露わにするでもない、玲夜の冷静さが逆に怖い。
「入ってたのは手紙だけなの。なにも取られてないし、それに絶対ひとりにはならなかったし……。気をつけてたから大丈夫かなと……」
「柚子ひとりにならなかった」
「僕たち一緒にいた」
 子鬼が柚子を庇うべく玲夜の足にしがみつく。
「子鬼ちゃん……」
 なんて健気なんだろうか。思わず涙が出そうである。
 しかし、玲夜は冷めた眼差しで子鬼を見つめていると……。
「失礼いたします」
 この般若がいる部屋に堂々と入ってきたのは、先ほど車の中でこっそり救援要請のメッセージを送った桜子だ。
 まさに天の助け。
「桜子さん!」
「まあまあ、柚子様。そんなところで座り込まれて。さぞかし怖い思いをなさったでしょうに。手紙の一枚や二枚で動じるなど、ほんとに柚子様のことになると玲夜様はポンコツになられますわね」
 玲夜をポンコツ呼ばわり。
「桜子さんが強すぎる……」
『我でもさすがにそこまで言えぬぞ』
「あーい」
「やーやー」
 頼もしい味方の登場に、一気に緊張した空気が緩んだ。
 間違いなくこの場を支配しているのは、女神のような神々しい笑顔を浮かべている桜子だ。
 玲夜も桜子が入ってきて、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
「桜子は知っていたのか?」
「ええ。柚子様から相談されましたので。沙良様もご存知ですよ」
「柚子、どうして俺に相談しない」
 先ほどの怒りはどこへやら、寂しそうな表情を浮かべる玲夜に柚子の心が痛む。
「あっ……」
 思わず差し伸べかけた手を、桜子に止められる。
「なにをおっしゃっいます。そんなの玲夜様が柚子様のことになると、頭がカチコチに固まってしまうからではございませんか。柚子様の身を案じるのは当然ですが、心も大事にしなくてはなりません。玲夜様はそれを理解していたから入学をお許しになったのでしょう?」
「桜子……」
 玲夜はなんとも言えない表情を浮かべる。
「それはそうだが、柚子になにかあった後では遅い」
「ですから柚子様はちゃんと私に相談なさいましたわ。それは沙良様にもお話しして、柚子様を守る体制は整っております。玲夜様がなさるのは、柚子様を叱ることではなく、いかに柚子様が快く過ごせるかを考えることです」
 腰に手を当てて玲夜を叱りつける桜子と無言で視線を合わせる玲夜は、一拍ののち深く息をついた。
「悪かった」
 あの玲夜を言い負かした。
「桜子さんが玲夜の婚約者だった理由が分かる気がします」
 思わずパチパチと拍手をする柚子と子鬼ふたりに、桜子は矛先を柚子に向ける。
「本来なら柚子様が玲夜様の手綱を握らなければならないのですよ? 玲夜様の奥方は柚子様なのですから」
「はい。すみません……」
「まったく……。柚子様ときたら、ようやく玲夜様を尻に敷くようになったかと思いましたのに、まだまだ修行が足りませんよ」
「精進します」
 今度は玲夜にではなく桜子に小一時間叱られ、満足した桜子は帰っていった。