五章
学校では、樹本仁が講師を務める週一度の授業の時になると、女子生徒たちが浮き足立つ。
端整な顔立ちと海外でも活躍していたという華麗な経歴を持つ彼に、熱い眼差しが向けられていた。
とはいえ、美形ばかりのあやかしが通うかくりよ学園で四年も過ごした柚子にとったら別に騒ぐほどでもない。
なにせ家に帰れば、ここにいる女子生徒全員が悲鳴をあげるような、あやかしトップクラスの美しい容姿を持つ旦那様がいるのだから。
玲夜の顔を毎日見ている柚子が、樹本に心動かされることはない。
だが、樹本が作る料理には激しくときめいてしまう。
自分では考えもつかない創作料理を試食をさせてもらった時の幸せな気持ち。
こんな気持ちを自分も与えられるお店を作りたいと思う。
もともと彼を目当てで今の学校を選んだのだ。樹本の授業の時にはより一層真剣になり、必死でノートにペンを走らせる。
そんな柚子に、樹本はやけに優しく接してくれる。
それは誰がどう見ても特別を感じてしまうほどに。
そのおかげで柚子は多くの女子から贔屓されていると、反感を買うようになってしまった。
「では、今日の授業ではオムレツを作りたいと思います。まずは私がお手本を見せますね」
そう言うと、樹本は柚子に視線を止めにっこりと微笑む。
「鬼龍院さん、私の隣でお手伝いをしてくれますか?」
「えっ……は、はい」
名指しさせれた柚子は困惑した顔で澪を見たが、肩をすくめるだけだ。
人をかき分け前に出る柚子に、女子からの敵意の籠もった眼差しでにらまれる。
指名しているのは樹本で柚子ではないのに、なんとも理不尽だと思いながら彼の隣に立った。
「私が手本を見せますので、その後で鬼龍院さんに試してもらいますね」
「はい」
「しっかり見ていてください」
女子が黄色い悲鳴をあげたくなるような爽やかな笑顔を柚子に向ければ、女子からの視線もまた強くなる。
なぜこうなったのか。
樹本はなにかあるとすぐに柚子を呼びつけ、手伝いと称して隣に立たせるのだ。
それ以外でも、柚子にだけはことさら時間をかけて丁寧に料理の指導をするので、柚子は毎度いたたまれない。
もとからクラスで浮いていた柚子は、樹本からの特別扱いにより、女子の敵と化していた。
樹本がなにかと柚子を特別扱いする理由はなんとなく分かっている。
入学前、玲夜は子鬼と龍を柚子と一緒にいさせるために、学校側に鬼龍院の威光を存分に発揮して脅迫まがいのことをしたようなので、きっと樹本も学校側から柚子には気を遣うように言われているのかもしれない。
まさか柚子を守るために子鬼たちをごり押ししたのに、そのせいで柚子がクラスから嫌われるとは玲夜も想定外だろう。
樹本だけにとどまらず、他の教師もどこか柚子を腫れ物に触れるかのように接してくるので、柚子の予想は間違っていないと思っている。
樹本が華麗なフライパン裁きで卵を包みオムレツを作ると、周囲からの拍手が自然と湧き起こる。
特に女子たちは目をキラキラさせてオムレツではなく樹本を見ていた。
樹本が紹介されたテレビでも樹本のファンだという人を映していたので、樹本を目当てにこの学校を選んだ人もいるだろう。
柚子とてテレビで樹本が紹介されたのをきっかけに樹本の存在を知っりこの学校を選んだので、ある意味ファンと言ってもおかしくない。
樹本ではなく、樹本の料理のファンという違いはあるが。
「では、次に鬼龍院さんにやっていただきましょう」
「はい」
溶き卵をバターを入れたフライパンに流し入れ、樹本のお手本を頭に思い浮かべながら見よう見まねでフライパンを動かすが思うようにうまくいかない。
苦戦している柚子を見て、樹本が後ろから柚子を抱きしめるように柚子の手を支えたのを見て、女子から悲鳴があがる。
「きゃー」
「やだやだ、羨ましい!」
「なんでいっつも鬼龍院ばっかり」
背後に感じる樹本の存在に身を固くする柚子は、女子からの妬みの声も耳に入ってこない。
「あ、あの、先生!」
離れてくれと言う前に、樹本が囁く。
「ほら、力を抜いて。フライパンはこう動かすんですよ」
樹本は柚子の手の上からフライパンを握り、柚子にフライパンの振り方を教えるように動かした。
そこには特にいやらしさのようなものは感じず、ただ柚子に教えようとしているだけのように思ったので、気にはしつつも柚子は目の前のフライパンに意識を集中することにした。
樹本のサポートのおかげで綺麗にできたオムレツを持って自分の席に戻る。
「はい、では皆さんも同じように作ってみてください」
なにごともなかったかのように淡々と授業を進める樹本に他意はなかったのだろう。
しかし……。
『うーむ。さっきの瞬間を写真に収めてあやつに送りつけたら、あの講師間違いなく消されるな』
龍の言うあやつとは玲夜のことである。
「先生は教えようとしてただけよ」
『それで納得すると思うか?』
柚子は言葉が出てこない。
玲夜なら間違いなく納得しないだろう。
あんなにも異性と体を密着させたと知った途端に監禁されかねない。
「……私、学校選び間違えた?」
玲夜の言う通りの学校に行っていれば、少なくとも変な口出しはしなかったはず。
『それも今さらだな。柚子はできるだけあの講師に近付かぬ方がよいぞ。あの講師の身のためにもな』
「あーい」
「あい」
子鬼も真剣な表情でうんうんと何度も頷いた。
樹本の授業が終わると、ぐったりと椅子にもたれかかる柚子の肩を澪がポンポンと叩く。
「お疲れ~」
「澪、私どんどんクラスから浮いていく気がするんだけど……」
これまでは避けられていただけなのに、樹本のせいで完全に女子の敵になってしまっている。
「あー、まあ、しょうがないわね。樹本先生イケメンだもん。私はタイプじゃないけど。だから柚子が気に入られててもなんとも思わないから安心して」
「澪~」
もうこの学校では澪だけがここの支えだ。
「しかし樹本先生ってばほんとに柚子ばっかり指名するわね」
「おかげで贔屓だなんだと陰で言われまくってます」
さすがの柚子も心が折れそうだ。
一年で卒業というのが今は救いである。
「先生に色目使ってるとかも言われてるしね」
「えっ、それは初耳。聞きたくなかった……」
噂でも玲夜の耳に入ったらとんでもないことになる。
「しかし、なんであそこまで柚子が贔屓されてるのかしらね」
「たぶんだけど、鬼龍院だからじゃないかな?」
「なるほど」
鬼龍院のネームバリューは、わざわざ説明するまでもない。
「このまま続けていけるか自信喪失しそう……」
柚子に対して憐憫を含んだ眼差しを向ける澪。そこへ──。
「じゃあ、学校辞めれば?」
刺々しさのある声でそう口にしたのは、鳴海だ。
「金持ちのくせにこんな学校通ってるからそんな風になるんでしょ。嫌なら辞めなさいよ。こっちは真剣に勉強しに来てるのに、金持ちの道楽でやられても邪魔よ」
「また、あんた!」
澪が目をつり上げて臨戦態勢に入るが、かまわず鳴海は続ける。
「別に学校なんかにこなくても、お金があるんだから好きに自分の店作ればいいじゃない。わざわざ媚びまで売っちゃって、目障りなのよ!」
鳴海は言いたいことだけ言うとさっさと出ていってしまった。
澪と言い合いにならなかったのは、柚子がそれとなく止めていたから。
「柚子ったらどうして止めるのよ。ああいうのには一度ガツンと言わないと延々と文句垂れ流してくるわよ?」
『我も同感だ』
「あい!」
「あいあい!」
龍も子鬼も澪の味方のようだが、柚子はあまり鳴海に対してどうこうしたいという思いはない。
「あそこまで嫌われるって私がなにかしちゃった可能性もなきにしもあらずだし、彼女の性格からして一度喧嘩が始まったら終わらなさそうだもの。聞き流したら満足するみたいだし、これからは放置しよう」
「むー」
澪は納得いかなそうな顔をしているが、柚子の意見は変わらない。
「どうせ一年の間だけだし、我慢すれば丸く収まるから。どうせその後関わり合いになる人でもないもの。今だけ、今だけ」
「柚子がそう言うなら仕方ないけど……。やっぱりムカつく!」
不満顔で怒りを抑える澪を申し訳なさとともに、自分のために怒ってくれることが嬉しく感じる。
いい友達ができたなと嬉しくなる柚子は、澪とは卒業後も付き合いを続けたいなと密かに思った。
学校では、樹本仁が講師を務める週一度の授業の時になると、女子生徒たちが浮き足立つ。
端整な顔立ちと海外でも活躍していたという華麗な経歴を持つ彼に、熱い眼差しが向けられていた。
とはいえ、美形ばかりのあやかしが通うかくりよ学園で四年も過ごした柚子にとったら別に騒ぐほどでもない。
なにせ家に帰れば、ここにいる女子生徒全員が悲鳴をあげるような、あやかしトップクラスの美しい容姿を持つ旦那様がいるのだから。
玲夜の顔を毎日見ている柚子が、樹本に心動かされることはない。
だが、樹本が作る料理には激しくときめいてしまう。
自分では考えもつかない創作料理を試食をさせてもらった時の幸せな気持ち。
こんな気持ちを自分も与えられるお店を作りたいと思う。
もともと彼を目当てで今の学校を選んだのだ。樹本の授業の時にはより一層真剣になり、必死でノートにペンを走らせる。
そんな柚子に、樹本はやけに優しく接してくれる。
それは誰がどう見ても特別を感じてしまうほどに。
そのおかげで柚子は多くの女子から贔屓されていると、反感を買うようになってしまった。
「では、今日の授業ではオムレツを作りたいと思います。まずは私がお手本を見せますね」
そう言うと、樹本は柚子に視線を止めにっこりと微笑む。
「鬼龍院さん、私の隣でお手伝いをしてくれますか?」
「えっ……は、はい」
名指しさせれた柚子は困惑した顔で澪を見たが、肩をすくめるだけだ。
人をかき分け前に出る柚子に、女子からの敵意の籠もった眼差しでにらまれる。
指名しているのは樹本で柚子ではないのに、なんとも理不尽だと思いながら彼の隣に立った。
「私が手本を見せますので、その後で鬼龍院さんに試してもらいますね」
「はい」
「しっかり見ていてください」
女子が黄色い悲鳴をあげたくなるような爽やかな笑顔を柚子に向ければ、女子からの視線もまた強くなる。
なぜこうなったのか。
樹本はなにかあるとすぐに柚子を呼びつけ、手伝いと称して隣に立たせるのだ。
それ以外でも、柚子にだけはことさら時間をかけて丁寧に料理の指導をするので、柚子は毎度いたたまれない。
もとからクラスで浮いていた柚子は、樹本からの特別扱いにより、女子の敵と化していた。
樹本がなにかと柚子を特別扱いする理由はなんとなく分かっている。
入学前、玲夜は子鬼と龍を柚子と一緒にいさせるために、学校側に鬼龍院の威光を存分に発揮して脅迫まがいのことをしたようなので、きっと樹本も学校側から柚子には気を遣うように言われているのかもしれない。
まさか柚子を守るために子鬼たちをごり押ししたのに、そのせいで柚子がクラスから嫌われるとは玲夜も想定外だろう。
樹本だけにとどまらず、他の教師もどこか柚子を腫れ物に触れるかのように接してくるので、柚子の予想は間違っていないと思っている。
樹本が華麗なフライパン裁きで卵を包みオムレツを作ると、周囲からの拍手が自然と湧き起こる。
特に女子たちは目をキラキラさせてオムレツではなく樹本を見ていた。
樹本が紹介されたテレビでも樹本のファンだという人を映していたので、樹本を目当てにこの学校を選んだ人もいるだろう。
柚子とてテレビで樹本が紹介されたのをきっかけに樹本の存在を知っりこの学校を選んだので、ある意味ファンと言ってもおかしくない。
樹本ではなく、樹本の料理のファンという違いはあるが。
「では、次に鬼龍院さんにやっていただきましょう」
「はい」
溶き卵をバターを入れたフライパンに流し入れ、樹本のお手本を頭に思い浮かべながら見よう見まねでフライパンを動かすが思うようにうまくいかない。
苦戦している柚子を見て、樹本が後ろから柚子を抱きしめるように柚子の手を支えたのを見て、女子から悲鳴があがる。
「きゃー」
「やだやだ、羨ましい!」
「なんでいっつも鬼龍院ばっかり」
背後に感じる樹本の存在に身を固くする柚子は、女子からの妬みの声も耳に入ってこない。
「あ、あの、先生!」
離れてくれと言う前に、樹本が囁く。
「ほら、力を抜いて。フライパンはこう動かすんですよ」
樹本は柚子の手の上からフライパンを握り、柚子にフライパンの振り方を教えるように動かした。
そこには特にいやらしさのようなものは感じず、ただ柚子に教えようとしているだけのように思ったので、気にはしつつも柚子は目の前のフライパンに意識を集中することにした。
樹本のサポートのおかげで綺麗にできたオムレツを持って自分の席に戻る。
「はい、では皆さんも同じように作ってみてください」
なにごともなかったかのように淡々と授業を進める樹本に他意はなかったのだろう。
しかし……。
『うーむ。さっきの瞬間を写真に収めてあやつに送りつけたら、あの講師間違いなく消されるな』
龍の言うあやつとは玲夜のことである。
「先生は教えようとしてただけよ」
『それで納得すると思うか?』
柚子は言葉が出てこない。
玲夜なら間違いなく納得しないだろう。
あんなにも異性と体を密着させたと知った途端に監禁されかねない。
「……私、学校選び間違えた?」
玲夜の言う通りの学校に行っていれば、少なくとも変な口出しはしなかったはず。
『それも今さらだな。柚子はできるだけあの講師に近付かぬ方がよいぞ。あの講師の身のためにもな』
「あーい」
「あい」
子鬼も真剣な表情でうんうんと何度も頷いた。
樹本の授業が終わると、ぐったりと椅子にもたれかかる柚子の肩を澪がポンポンと叩く。
「お疲れ~」
「澪、私どんどんクラスから浮いていく気がするんだけど……」
これまでは避けられていただけなのに、樹本のせいで完全に女子の敵になってしまっている。
「あー、まあ、しょうがないわね。樹本先生イケメンだもん。私はタイプじゃないけど。だから柚子が気に入られててもなんとも思わないから安心して」
「澪~」
もうこの学校では澪だけがここの支えだ。
「しかし樹本先生ってばほんとに柚子ばっかり指名するわね」
「おかげで贔屓だなんだと陰で言われまくってます」
さすがの柚子も心が折れそうだ。
一年で卒業というのが今は救いである。
「先生に色目使ってるとかも言われてるしね」
「えっ、それは初耳。聞きたくなかった……」
噂でも玲夜の耳に入ったらとんでもないことになる。
「しかし、なんであそこまで柚子が贔屓されてるのかしらね」
「たぶんだけど、鬼龍院だからじゃないかな?」
「なるほど」
鬼龍院のネームバリューは、わざわざ説明するまでもない。
「このまま続けていけるか自信喪失しそう……」
柚子に対して憐憫を含んだ眼差しを向ける澪。そこへ──。
「じゃあ、学校辞めれば?」
刺々しさのある声でそう口にしたのは、鳴海だ。
「金持ちのくせにこんな学校通ってるからそんな風になるんでしょ。嫌なら辞めなさいよ。こっちは真剣に勉強しに来てるのに、金持ちの道楽でやられても邪魔よ」
「また、あんた!」
澪が目をつり上げて臨戦態勢に入るが、かまわず鳴海は続ける。
「別に学校なんかにこなくても、お金があるんだから好きに自分の店作ればいいじゃない。わざわざ媚びまで売っちゃって、目障りなのよ!」
鳴海は言いたいことだけ言うとさっさと出ていってしまった。
澪と言い合いにならなかったのは、柚子がそれとなく止めていたから。
「柚子ったらどうして止めるのよ。ああいうのには一度ガツンと言わないと延々と文句垂れ流してくるわよ?」
『我も同感だ』
「あい!」
「あいあい!」
龍も子鬼も澪の味方のようだが、柚子はあまり鳴海に対してどうこうしたいという思いはない。
「あそこまで嫌われるって私がなにかしちゃった可能性もなきにしもあらずだし、彼女の性格からして一度喧嘩が始まったら終わらなさそうだもの。聞き流したら満足するみたいだし、これからは放置しよう」
「むー」
澪は納得いかなそうな顔をしているが、柚子の意見は変わらない。
「どうせ一年の間だけだし、我慢すれば丸く収まるから。どうせその後関わり合いになる人でもないもの。今だけ、今だけ」
「柚子がそう言うなら仕方ないけど……。やっぱりムカつく!」
不満顔で怒りを抑える澪を申し訳なさとともに、自分のために怒ってくれることが嬉しく感じる。
いい友達ができたなと嬉しくなる柚子は、澪とは卒業後も付き合いを続けたいなと密かに思った。