柚子の指定通りコンビニの駐車場で待っていた高級車に素早く乗り込む。
信じられないといった表情の柚子の肩から、子鬼が嬉しそうに玲夜に飛び移った。
「あーい!」
「やー」
コアラのように玲夜の腕にしがみつく子鬼たちは微笑ましいが、なぜ玲夜がいるのか柚子は疑問でならない。
「どうして玲夜がいるの? 会社は?」
今の玲夜は休みも取れないほど忙しいはず。
「どうやら母さんが新婚時の貴重な期間に働かせすぎだとお節介を焼いてくれたらしい。それで会長である父さんが仕事の一部を肩代わりしてくれることになったんだ。父さんは半泣きだったが、普段俺に任せきりなんだから問題ないだろ。母さんに今度なにかで礼をしておかなければな」
「そうなんだ、お義母様が……」
きっと花茶会で遠回しに愚痴ったのを聞いて動いてくれたのだろう。
後でお礼のメッセージを送っておいた方がよさそうだ。
半泣きという千夜には申し訳ないが、玲夜が来てくれたことが嬉しくてならなかった。
「それにしてもどうして移動しろと言ったんだ?」
「だって玲夜と関係があると知られたら明日質問攻めにされちゃうもの。あやかしの花嫁に慣れたかくりよ学園とは違うんだから」
高校の時に柚子は玲夜の花嫁になったが、すでに透子という前例があったためにそれほど大きな騒ぎにはならなかった。
皆、柚子も花嫁になったのか。ぐらいの感情で、どちらかというと玲夜の容姿と子鬼の存在の方に興味が偏った。
それも東吉というあやかしがすでにクラスメイトとしていたので、比較的すんなりと受け入れられたのだ。
だが、通い始めた学校は違う。
「あやかしに慣れていない人間の学校だから、きっと大騒ぎになっちゃう。私は授業に集中したいからできれば避けたいの」
「だったら最初から俺が言う学校にしておけばよかっただろう」
玲夜にはいくつか、あやかしも通う料理学校を提示されていたが、それをはねのけて今の学校を選んだのは柚子である。
「それはそうだけど、どうしても樹本仁先生の授業を受けたかったんだもの」
「樹本仁?」
玲夜の眉間に一気にしわが寄る。
あっ、ヤバいと思ったがすでに時遅し。
「男の名前だな。どういうことだ、柚子? 男に会うためだとは聞いてないが?」
車の中では、不機嫌MAXな顔で詰め寄ってくる玲夜から逃げる術はない。
「あ、会うためじゃなくて授業を受けたいの」
そこははっきりと伝えておかないと後が怖い。
「同じだろ」
「全然違うから! 樹本先生はね、和とフレンチの創作料理で有名なシェフなの。彼のお店がテレビで紹介されてるのを見てすごく美味しそうで、そんな人に料理を教えてもらえたらいいなって。決して玲夜が思ってるような不純な動機じゃないのっ」
語尾をきつめに言い切ると、玲夜はその場でスマホを操作し始めた。
「なにしてるの?」
「そいつを調べる」
「玲夜……」
柚子には玲夜に対するあきれが全面に顔に出ている。
深くため息をつくと、玲夜の手が止まる。
「こいつか?」
玲夜が見せてくれたのは、樹本仁のお店のホームページだ。
そこにはにこりと笑う樹本仁の写真も載っていた。
「若い。それにずいぶんイケメンだな」
「いやいや、それを玲夜が言ったら嫌みにしか聞こえないから」
確かにホームページの樹本仁は結構なイケメンだ。
目鼻立ちがはっきりした爽やかな好青年風で、女性からの支持も高い。
テレビでもイケメンシェフと紹介されていたし、柚子も異論はないが、あやかしでもトップクラスの美しさを持つ玲夜と比べたらかわいそうなほどの差がある。
「本当に料理を教わりたいだけだから」
そんな疑いの眼差しを向けられても困る。
樹本仁は二十代後半ぐらいの年齢なので柚子とも年が近く、玲夜が心配するのは仕方ないのかもしれないが、週一回授業の時にしか会わない人と仲良くなるのは難しいだろう。
他にも生徒はたくさんいるのだから。
「……こいつとなにかあったら即辞めさせるぞ」
「はいはい」
おざなりに返事をしてやり過ごすと、車は屋敷ではなくどこかのパーキングに停まった。
「玲夜、家に帰るんじゃないの?」
「行けば分かる」
柚子の手を取り車から下りると、そこから数分歩いた場所で玲夜が足を止めた。
「カフェ?」
しかも雑誌などでも紹介される柚子も知る人気のお店だ。
「ああ。柚子は自分の店の内装デザインで困っていただろう。なにかの参考になるはずだ」
「でも、閉店ってなってるけど」
店の扉にある閉店の文字。
しかし、店の中には誰かいるのか灯りがついている。
「貸し切りにした」
「そんなことできたの?」
「ああ」
行列もできる人気店を貸し切りにするために、どれだけのお金が動いたのかと考えると頭が痛くなりそうだ。
「玲夜の気持ちはすごく嬉しいんだけど、私に無駄なお金はかけないでね?」
「なに言ってる。必要経費だ」
表情も変えずに言ってのける天下の鬼龍院の次期当主は、我が物顔で扉を開けて入っていく。
すると、奥から店員らしき人が何人も慌てて出てきた。
「鬼龍院様ですね。ようこそおいでくださいました!」
見事な九十度の角度で頭を下げるのは店長らしい。
玲夜を前に笑顔が強張っている。
「適当に中を見させてもらうぞ。その後で食事を頼みたい」
「かしこまりました!!」
なんだかかわいそうになるほど怯えているのはなぜなのか。
聞きたいが聞いてはいけない気がする。
「ほら、柚子。好きに見て回れ」
「本当にいいの?」
「もちろんだ。なあ?」
玲夜に問われた店長に視線を向ければ、首振り人形のように激しく首を上下させる。
なんとも言えない気持ちになりながら、ありがたく中を見せてもらうことに。
座席や椅子やテーブルといった家具に始まり、壁紙や照明。
さらには厨房やスタッフルームまで見せてもらえた。
「なるほど」
気になったものをスマホで好きなだけ写真を撮って満足すると、客席に着いて飲み物を頼む。
メニューも確認しなければならない大事なアイテムだ。
それも写真をカシャリと撮る。
「うーん。こうしてみると決めなきゃいけないものがたくさんあるなぁ」
悩む柚子を、玲夜は足を組み、注文したホットコーヒーを飲みながら優しげな眼差しで見ていた。
「好きなだけ悩むといい。以前に俺が渡した完成予想図も、あくまで仮のものだ。柚子の好みにいじるといい」
「玲夜が考えてくれたものが十分私好みだから、基本はあのままで、細かいところだけ変えようかな」
「そもそもどんな店にしたいんだ?」
「玲夜の妥協案が、平日週三日の昼間までだっけ?」
結構厳しいルールだが、玲夜はそれ以上譲る気はないという強い眼差しで「ああ」と頷く。
どうやら交渉の余地はなさそうだ。
「ちなみに朝は? お店で朝食メニューを出すのはオッケー?」
「朝の食事は俺と一緒に取るのが決まりだ」
そんなものいつ決まったのか分からないが、朝食を一緒に取るのは日課となっているので玲夜は譲らなさそうだ。
「そうなると、ランチ時だけの営業になっちゃうかな」
玲夜が用意してくれた土地は、駐車スペースを考えるとさほど大きな店は建てられない。
料理は柚子ひとりで回していく予定なので、そもそも大きな店は必要ないだろうからかまわないが、本家近くの土地とあって周辺は高級住宅地となっている。
客層は恐らく上流階級の人間やあやかし。
そうなると、大衆向けというよりは高級志向なお店にした方がいいかもしれない。
高級住宅地が近いならお金持ちのマダムに狙いを定めた予約制のランチコースなんていいのではないだろうか。
あらかじめメニューが決まったコースなら柚子でもあたふたせずにやりくりできる。
「むむむ」
しかし、上流階級の人を相手にするなら接客もそれなりの作法を身につけた者でなくてはならない。
柚子の眉間にしわが寄るのを玲夜は楽しげに見ていた。
「なにか問題か?」
「うん。立地を考えると安さを求めてくる人より、静かで高級感のあるお店と料理にした方がいいのかなって」
「まあ、そうだろうな」
「なら、私ひとりでも回せるように飛び入り不可の予約制にして、メニューもコース料理オンリー。食材にこだわって、高級感はあるけどあまり敷居が高すぎず何度でも足を運んでくれるような、カジュアルな創作料理のお店がいいな」
玲夜が実際のお店を見せてくれたおかげで、柚子の中でお店の予想図がはっきりと組み立てられていく。
「だけど、接客を任せられるような、しっかりとした作法を身につけた人をどう雇えばいいか分からなくて。お給料の相場とかも分からないから調べないと」
「それなら問題ない」
「どうして?」
「屋敷の使用人を接客に駆り出せばいい。というか、柚子の店の手伝いをしたいと雪乃や他数名が名乗り出ている」
柚子は驚きのあまり目を丸くした。
「えー、雪乃さんたちが?」
「ああ。屋敷の使用人を使うなら給料も必要ない。その分は俺がちゃんと払っているからな」
「それだと屋敷の方が困らない?」
「週三日の数時間だけだろう? 店の大きさからも、接客がふたりもいれば回せる。給料の代わりに賄いを食べさせてやったらいい」
柚子としても雪乃たちならば安心だ。
接客の仕方も柚子が教えるまでもなく、すでにプロフェッショナルだ。
「でもいいのかなぁ、そんなに甘えちゃって」
「むしろ甘えてくれた方が俺も助かる。護衛の面でも心配がなくなるからな」
「なるほど」
玲夜の屋敷で雇われている使用人は全員鬼だ。
最強のあやかしである鬼の一族が一緒に働いてくれれば、花嫁を外で働かせる不安も少しはマシということか。
「それじゃあ、帰ったら雪乃さんたちと話してみようかな」
「ああ。そうするといい」
そのカフェでの食事はさすが人気店というだけあって女性が好きそうな鮮やかな彩りで見た目も味も美味しかったが、柚子が求めるジャンルとは少し違った。
「うーん。今度はカジュアルな洋食のコースが食べられるところに行きたいな」
「なら、しばらくは柚子の求める店を探して食べ歩きの旅だな」
「一緒に行ってくれる? もちろん無理そうなら透子を誘うけど……」
遠慮がちな言葉を発しながらも、玲夜と行きたいという本音が表情に出てしまっている。
玲夜はそんな分かりやすい柚子の頭をポンポンと優しく撫で、穏やかな笑みを浮かべた。
「一緒に行こう。仕事は父さんに押しつけるから問題ない」
「それは、いいの?」
玲夜には問題なくとも、千夜にとったら大問題ではないだろうか。
もともとその他の仕事が忙しく、普段は会社を玲夜に任せているという話なのだから。
「大丈夫だろ。いつもはなんだかんだと理由をつけてサボろうとしてるだけで、父さんが本気を出せばもっと早く仕事は片付くんだ。今まで俺に任せていた分を取り返してもらおう」
「そうなの? ……お義父様ってほんとに謎だ」
のほほんとしていて、中学生にらまれただけで泣き出しそうなほど見た目は弱そうだし、ドジっ子新入社員のように仕事もできなさそうなのに、あやかしのトップで仕事もできるとは。
人は見た目じゃないとは千夜のためにある言葉のようだ。