卒業式一ヶ月前。母から突然尋ねられた。
「玲緒、玲緒は卒業式に何が着たいのかな?」
 最近のうちのクラスの話題はそれで持ちっきりだ。早く別の話題になって欲しいと思っていたところだった。そんなこと思っていても話す相手がいない。母によると職場の同僚に尋ねられ、やっと思い出し今頃焦っているらしい。
「明日か、明後日くらいまでに考えておいてね。ごめんね。今までの分があるから、好きなの決めていいからね。遠慮なんてしたらだめだからね。」
 そんなこと言うなんて卑怯以外の何にでもない。自分で遠慮してね、と言っているようなもんじゃないか。しかし、深く考えすぎたかもしれない。ここはお言葉に甘えておくとするか。今までの分というのは任せきりで私の好きなことができていないという意味で捉えていいのだろうか。そんなことないのに。こっちが申し訳無くなってくる。そうとなっても着たいのなんて何があるだろうか。とてもじゃないけど、おしゃれに疎い私は何も分からないし、何も知らない。スカートではないのなんて男子のスーツぐらいしかないだろう。スマホを開いて「卒業式 男子 服」と打ち、検索する。画像を開くと、いかにも日本男子というような袴姿の販売画面に移った。かっこいいとは思ったが、ここまでするのもどうかとは思う。私はあくまでも女子だ。自分の気持ちとは距離が遠ざけていっているように自分で何度も何度も繰り返し唱えるようになった。自分は女子。自分は「玲緒」。自分の気持ちなんて―。あと周りの目もある。卒業式など軽く参加者が百人なんてざらな行事だ。どんな人が参加するかわからない。私のことを女子と思ってる保護者がほとんどだろう。私が所属しているサッカーチームの保護者ぐらいしか私のボーイイッシュな部分など知るはずなどないだろう。しかし、もうこの感情は「ボーイイッシュ」で括れるほど簡単で単純な感情ではなくなってる。今の私は何と表現され、どれに分類されるのだろうか。私も答えが出なかった。