―ある日私の母は言った。
「玲緒、玲緒っていう名前はねすごくかっこいい名前なんだから胸を張りなさい。私は世界で一番かっこいい名前だって信じてるし、思ってるよ」
 私が幼稚園のときに支えになった母からの言葉だった。この名前でまだ幼稚園で理解力が乏しいということもあり
「玲緒ちゃんって名前変だね。」
「男の子みたいだね。」
「女の子じゃないの?」
 とたくさんいわれたことだってあった。最初はこの" 玲緒"という名前をとても誇らしく、かっこよく思っていた。しかし、たくさん罵声を浴びる度に、長い期間続くたび私の心は削られていった。さすがにそのときの先生も気づいたときは注意した。けど、あまり強く言うと周りの親の目もあり、軽く行った程度だった。正直あまり効果はなく、悪化する一方だった。一時期収まるがまた再発する。その繰り返しで、その当時の私も困ったもんだった。小学校入学し、数年経った頃その子たちの親からの声が聞こえてきた。
「あの子の親どうなっているの?」
「子供がかわいそうだよね。」
「あんな性別が分からない名前なんて将来どうするのかしら。」
 聞こえない声で言っているようで、言えてないその声の大きさは私の小さかった耳に届いた。
 私の母は仕事で、父は単身赴任という共働き家庭だったので、迎えなどはおばあちゃんが来てくれていた。なので、お母さんがあまり見えていなかったことも原因の一つだった。その時から私は学校に行くことが嫌になって母を何度も困らせた。困らせていると分かっていながらも困らせた。自分の気持ちを少しでも味わってもらいたかった。小さい自分なりの復讐というものだった。あともう一つ、友達に反抗することも行った。元々私に話しかけることなどめったになかったが、そんなときほど開き直った。話しかけられても、素っ気なく返し、愛想悪く対応した。そんなことするから離れていったんだと、今その友達の気持ちも分かった。そうなってから男子と過ごすことは楽しかったし、とてもいい思い出だ。今となっては、とてもしょうもない反抗だったと思うが必死に考えた復讐だった。時には母は勘付き、私を何度も励まし、気持ちを立て直してくれた。私もやりたくてやっている反抗ではないので素直に母の策略に乗ることがほとんどだった。そんな自分も嫌い。この自分の名前も嫌い。こんな自分に対する気持ちが続いてしまっていた。もうすべてがヤケクソになった。復讐が効かなくなり学校もちゃんと行くようになった。やるべきことだけやった。つまり、やってもいい、やったほうがいい、をやらない人間になっていた。全部どうにでもなっていい世の中なんて私にはあるもないに等しくなっていた。