はいチーズ! 友達ととあるショッピングモールに遊びに来た。小学校からのいつも3人組で来ていた。
「玲緒、早くこっち見て!」
 みんなでプリクラを取っていたのにも関わらず
少しぼーっとしていた。
十四年間消えない疑問。
なんでみんなは" 玲緒" と呼ぶのだろうか。私はこの"玲緒" という名前が嫌いだ。いわゆる男子という分類に勘違いされる。漢字を見た人々は
「あ、女の子だったんだ。」
「男の子だと思っていた。」
 何十回、何百回耳にした言葉だ。この言葉を聞くだけで気分が悪くなる。何度人を嫌いになりかけたことか。
 改めて新学期の点呼、中学の入学式、初めて喋った友達などで思わされ、ある意味気付かされた。だから、私は女子としていたくない。もうその概念も嫌い。性別二元論だっただろうか。社会ではなんでこんな固定観念があるのか不思議でしかない。そんな言葉を言われるくらいだったら、男子として過ごしたい。所詮周りからしてみれば私は女子だ。ただ、私の願望である。学校ではサッカー部に男子の中で活動したり、放課後にはゲームをクラスの男子としたり。スカートも嫌い。たった一人のズボンを履いた女子生徒なんて、ほかから見れば変な人としか認識していないだろう。どうせ裏で私を悪い風でしか言ってるはずだ。特に私と喋ったことない人々なんて男好き自称サバサバ系女子で引いているだろう。けど、そんなの私的にはどうだっていい。男子はわたしを" 玲王"として男子として認識してくれている。男子が呼ぶ「レオ」では、「玲王」として私の耳に入ってくる。この喜びというか快感のようなものに私は依存していっている。もちろん現在進行形ということに自分も戸惑っている。
 朝学校に着くと
「おはよー! 玲緒。昨日は本当楽しかったね! また行こー!」
 私にとって昨日の自分は「玲緒」だ。苦痛でしかなった一日だったのに「玲緒 」として過ごす自分なんて楽しいわけがない。ほんとにやめてくれ。なあ、梓。頼むよ。自分の心が痛むだけだから。
「早く来いよー、" 玲王"」
 あぁ、これだわこれ。これに私は依存しているんだろう。この感覚がたまらない。ただの自己満足ということだろうが。この感覚がスキ。
「今日は何時?」
「玲王が決めていいよ」
 いつも通りのゲームの約束の話。この話をするだけで自分が" 玲王"として見られているんだなと言う再確認になる。この再確認もスキ。そういえば、今日は髪切るんだった。
「ごめん、俺今日髪切るわ。出来たらやっとく。」
「了解。俺たちは先にやっとくわ。」
 なんというのか。本能的に男子と話すときは" 俺"
 女子話すときは「私」になってしまう。装いというやつかもしれない。まだ、梓たちはスカートをはかないサッカーが好きなボーイイッシュ系女子で私の認識はとまっている。けど、それでいい。逆にそのままのほうがありがたいというか、そのままでいてほしい。
 
 とくに何もなかった六回の授業が終わり、いつも通り帰るのは一人なため、
「ごめん、今日は髪切る予定だったんだよね。そのままいくから一緒に帰れない。明日一緒に帰ろう。」
 という会話をしてみたかったが、ろくに友達もいない私にそんな相手もいるはずもなく一人で痛感しただけだった。