気づけば僕は、真っ白な空間にいた。
辺り一面眩しいほどに白い世界、そこに僕は立っていた。目が眩むようなまばゆさがどこまでも続くかのように思える空間の中、僕は瞬きを繰り返した。目が慣れてくると、すぐそばに美しく輝く玉があることに気がついた。それはそれは美しい光の玉だった。


ふらふらと吸い寄せられるように歩みを進め、手を伸ばしたその時だった。どこからともなく、機械的な声が聞こえてきた。
 

――ようこそ、天界へ。


その声に驚き周囲を見回しても、僕以外には誰もいない。ただどこまでも、白い空間が広がっているだけ。


――貴方は今、人としての生を終えました。


どうやらその声は、目の前の光の玉から聞こえているようだ。あまりに現実離れした出来事に、僕は何もできずにその声の言うことを聞いていた。


――魂は輪廻転生を繰り返します。

――人から天使へ、天使から人へと魂は巡るのです。

――貴方にはこれから天使になるための研修を受けていただきます。

――天使としての職務、それは人の願いを叶える手助けをすることです。

――そうすることで積んだ徳が、貴方の人としての来世を決めます。

――またこれは、貴方の魂が正常に別の体に宿ることを確認するための試験期間でもあります。

――説明は以上です。

――健闘を祈ります。





ふっと光の玉が消えた次の瞬間には、僕の周りにはたくさんの人がいた。その中の一人が話しかけてくれて、彼からこの場所について色々と教えてもらった。
聞けばここにいる人達は皆僕と同じように、死を実感した直後気づけばといった風にこの場所にいたのだそうだ。
そこからしばらく、僕は彼らと一緒に研修と呼ばれるものを受けることになった。





天使としてしてはいけないこと、できること、その他諸々について教えられた。人間界で言う学校に通っているような感覚だった。
若い姿をした天使が多かったが、この姿は生前自分が一番幸せだった時の姿なのだという。


見れば僕の手は部活に明け暮れていた頃の、日に焼けた色をしていた。





思えば僕の人生は野球一色だった。


小学生の頃から習い事として始めて、中学高校と部活として続けた。けれどプロになる程の才能はなくて、結局理系の道に進んで僕はSEとして働いた。
それでも諦めきれずに社会人クラブで時々試合に参加したりした。確かに楽しかった。


けれど本当にこれでよかったのかとも思う。ずっと何かが足りないと感じていた。それを紛らわせるように趣味に仕事にと打ち込んで生きた。


そしてそれでも尚、心にぽっかりと空いた穴は埋まらなかった。それが何なのか結局わからなかった。わからないままに僕は死んだのだ。





天界での時の流れは曖昧で、もうどれだけそこにいたのかなんてわからなくなってしまった頃、僕にもついに『呼び出し』がかかった。


指定された部屋に入るとそこには初めてここに来た時に見たのと同じ光の玉があった。あの機械的な声が部屋に響く。


――お疲れ様です。

――まだ研修期間は終了していませんが、貴方をここに呼び出すことになりました。

――貴方の魂はもう、正常に別の体に宿ることができないと判断されました。

――貴方の魂は何度も輪廻転生を繰り返し、そしてついに寿命を迎えたのです。

――これから貴方には人間界ではなく、別の場所に行っていただきます。


言葉が途切れたのと同時に、映像が宙に投影された。そこには男の子が一人映っていた。

それは...僕だった。僕の魂の記憶。

戦争の最中その子はすくすくと大きくなって、青年となり。そして...出会った。


彼女と...


瞬間、体中に走った衝撃と感情はこれまでの人生を持ってしても、到底言語化できそうにないようなものだった。


彼女だ。どうしてこんなにも大切な記憶を今の今まで忘れていたんだろう。そうだ、彼女だ。

今の僕には魂が見える。間違いなく彼女だ、彼女だ...

涙が溢れる。手の震えが止まらない。息が苦しい。


そんな僕にお構いなしに、光の玉は僕のこれまでの人生を見せてきた。僕はその中に必死で彼女の姿を探した。


戦争に行く僕を涙を流しながら見送った彼女。

酒屋の棚の間からひょいと顔を覗かせる彼女。

僕のスケッチブックを覗き込んで弾けるように笑った彼女...


思い出した。僕は林春吾郎として死んだ後もここに来たんだ。そしてハルを探した。天使になって人間界に降りてからも。けれど天使が見えるのは、担当する人間の魂だけ。彼女がいそうな場所に目星をつけて移動しても、目が覚めれば決まって同じ場所に引き戻されていた。一か月かけても僕は、彼女を見つけられなかったのだ。


その後も何度か生まれ変わった。彼女に会えない生では、どこか心にぽっかりと穴が空いたように何かが足りないと感じながら生きていた。


けれど今ならわかる。僕は彼女を探していたんだ。ずっと、ずっと、輪廻転生を通してずっと...
呆然と立ち尽くす僕に光の玉が語りかけてくる。


――これは貴方のこれまでの記憶の全てです。

――その中にいる女性を貴方は知っていますね?

――前世で貴方達は不思議なほどに深く惹かれあい愛し合っていました。

――私はそれを、全て見ていました。

――愛しい我が子よ、これまで人として天使として天寿を全うしてくれたこと、感謝します。
 
――どうかこれからは、天国で安らかにあらんことを。


それまで機械的だったその声に、微かに感情がこもっていたように思えた。





光の玉は消え、気づけば僕は空色の空間にいた。





周りにはたくさんの人がいて、皆それぞれ様々な魂の色を纏っていた。春の木漏れ日が差したような暖かなその空間で、皆幸せそうに談笑したり昼寝をしたりと、各々の時を過ごしていた。


涙が溢れる。手の震えが止まらない。息が苦しい。
彼女だ、彼女だ、彼女だった。こんなこと...彼女がいなくなってしまった時と同じような痛みが襲う胸を押さえながら、突き動かされるように僕は走り出した。





やっと、思い出した。淡いピンクに黄色。それが、彼女の魂の色だった。
色で溢れたこの世界で、僕はそのたった一つを見つけることができるのだろうか。


青、黄、緑、水色...むせ返るほどの魂の色に、僕は何度も立ち止まり、そして走った。





皆が幸せそうな顔をしている。その中で僕だけが必死の形相だったと思う。


「どうかされましたか?」


話しかけてくれた人達に、僕は狂ったように繰り返した。


「淡いピンクに黄色」

「淡いピンクに黄色の魂を見ませんでしたか!?」

「桜のように淡いピンクと、木漏れ日のような黄色なんです...!」





どれだけ探しただろう、どれだけ走っただろう。色と色の狭間に微かに見えた気がした。
淡いピンクに黄色、彼女の魂の色が。
誰もが皆幸せそうに笑い合う中を、僕は涙を流しながら掻き分け走った。





あぁ。
やっぱりそうだ。


遠く遠くに、けれど確かにそれが見える。
彼女に会いたい、会いに行かなくちゃいけない、言わなきゃならないことがある。
淡いピンクに黄色、淡いピンクに黄色、彼女の魂の色...





そこには。
日の出直後のような新しい空気の中、彼女が佇んでいた。僕に気がつくと彼女は丸い目を見開く。


その姿は結川春野のものだった。彼女が輪廻転生を通して一番幸せだった瞬間、林春吾郎が死んでしまう前のまだ少し幼さを残した姿。彼女の魂はまるで春の陽気を纏ったように、美しい色をしていた。


やっと...見つけた。

やっと...会えた。


震える脚に鞭打ち彼女に駆け寄り思い切り抱きつく。
彼女の体は一瞬驚いたように強張ったけれど、すぐにふっと力を抜くと僕を抱きしめ返してくれた。


あぁ、どの名前で呼べば、なんと呼べばいいのだろう。けれど本当はそんなこと、もうどうでもいいのかもしれなかった。



彼女の肩が微かに震え出す。それでも僕は彼女を離さなかった。彼女が泣いていることはわかっていた。だって僕もそうだから。





それから僕たちはお互いの涙が止まるまでずっと、お互いを抱きしめ合った。どこまでも青く続く天国とかいうこの場所で、もう二度と離れてしまわないように。