次の日の朝、僕が下塗りの仕上げに取り掛かる頃、スマホがぶるっとひとつ震えた。急いで画面を確認すると、そこには彼女からのメッセージが届いていた。
『月は見えませんが、代わりに日の出空が美しいです』
そして間髪入れずに、
『あ』
『死んでもいいわ』
小気味よくそんな文章が、僕のメッセージを押し上げていく。
よかった。取り憑かれたように絵を描きながらも、本当は怖かった。朝になってももう、返信は来ないのではないかと。だって彼女は僕の目の前で消えたのだ。跡形もなく、まるで最初から存在しなかったかのように。
彼女にもう二度と会えないのではないか、そんな恐怖に駆り立てられながらひたすらに動かしていた筆を、僕は許されたようにそっとパレットに置いた。
『今どこ?』
そう送ると。
『大学の裏の丘にいます』
と返事が届いた。行ったことはなかったけれど、場所はわかった。
『そこで待ってて』
それだけ返信して、僕は急いで家を出た。
日の出直後の新しい空気の中、彼女は大きな木の下に佇んでいた。僕に気がつくと、遠慮がちに小さな手を振る。
よかった、本当に。目元に涙が浮かびそうになって、自分でも驚く。出会ってたったの一週間なのにこんなにも心が揺さぶられるのは、やっぱり彼女が言う通り、僕と彼女に前世からの繋がりがあるからなのだろうか。
本能の赴くままに、そうしたいと思ったから、僕は彼女に駆け寄って思い切り抱きしめた。こんなの、自分が自分じゃないみたいだった。けれど彼女にはそうまでしても伝えなくてはならないと、心がそう訴えていた。
彼女の体は一瞬驚いたように強張ったけれど、すぐにふっと力を抜くと僕を抱きしめ返してくれた。彼女の肩が微かに震え出す。
「ハルノさん?」
その肩を掴んで顔を覗き込む。彼女は泣いていた。
「ごめんなさい...もう会ってもらえないかと」
居た堪れなくなって僕は彼女の手を握った。すると彼女は油絵具で汚れた僕の手を見て目を丸くした。
「シュンさん...この手」
「あぁ...描かなきゃと思って。昨日あの後、気づいたら描いてた。もっと描きたい。描いてみることにする」
僕が早口に捲し立てると、さらに大粒の涙が彼女の目からこぼれ落ちる。ぼたぼたと音がしそうなほどのそれは拭っても拭っても溢れてきた。
「もう、そんな泣かないでよ」
「うん、ごめんなさい...ごめんなさい」
それから僕達は彼女が泣き止むまでずっと、誰もいない朝焼けの丘でお互いを抱きしめ合っていた。