浦川くんとの幸せ探しは、順調とは程遠い日々が続いていた。ただ、幸せに関して思いついた内容を確認するという作業は、私に想像を越える結果をもたらしてもいた。
たとえば、幸せそうな顔をしている近所の愛想のいいおばさんの家に行った時は、奇声を上げて夫婦喧嘩している場面に遭遇したりもした。
その結果わかったことは、人は表に出す顔と出さない顔があるということだった。さらに言えば、表の顔は必死に幸せなふりをしているだけで、実際には表面上の事柄だけでは幸せというのはわからないということだった。
だから、幸せを見つけるには、裏の部分を探す必要があった。お金持ちだとかいう表面上の事柄ではなく、物事の裏に潜むなにかにこそ、幸せかどうかを決めるものがあるような気がした。
「篠田さんは、どうして学校に来ないの?」
いつものように迎えに来た浦川くんが、今日は珍しく私のことを聞いてきた。これまで、ほとんどプライベートのことは互いに触れなかったけど、どうやら他愛のない話だけで場をつなげるのは限界にきたみたいだった。
「ちょっと、友達と色々あってね」
「綾瀬さん?」
間髪容れずに問われたことに驚いたけど、考えてみたら私と綾瀬さんの関係はみんな知っていることだから、浦川くんが知っていても不思議ではなかった。
「そう。綾瀬さんからちょっと辛いこと言われて」
「それで学校に来れなくなったんだ?」
私の歩むスピードに合わせてゆっくり歩いていた浦川くんが、急に立ち止まる。相変わらず能面顔のおかげで、感情が全く読み取れなかった。
「でも、綾瀬さんとは友達なんだよね?」
たたみかけるように、浦川くんが痛いところをついてきたことで、私は上手く答えることができなかった。
詩が間違いなく親友だとしたら、私にとって綾瀬さんは友達かどうか微妙だった。綾瀬さんは一年の頃から男子にも女子にも人気がある女の子だったから、たいして取り柄のない私には接点がなかった。
そんな綾瀬さんと仲良くなったのは、三年生で同じクラスになってからだった。綾瀬さんに話しかけられたことがきっかけで仲良くなり、華のある綾瀬さんの傍にいられることが単純に嬉しかった。
「私は友達と思ってたんだけどね。綾瀬さんは違ったみたい」
力なく笑ったところで、不意に目頭が熱くなってきた。脳裏に浮かぶ綾瀬さんの薄笑いに、呼吸が苦しくなって目眩が襲ってきた。
「きっと、綾瀬さんは私を馬鹿にしたかっただけだと思う。なのに、私は勘違いしちゃったんだ」
我慢できずに流した涙を乱暴に拭い、無理矢理笑って誤魔化した。
学年で一番人気の女の子と友達。そのステータスを不意に手に入れた私は、自分の立場も忘れて有頂天になっていた。
ピエロは、演じている時はまだいい。一番辛いのは、自分がピエロになっていたと気づいた時なのだ。
そんな私の様子を、黙って浦川くんは眺めていた。ただ、その瞳には穏やかな温もりが感じられた。私を馬鹿にすることなく、黙って寄り添ってくれる温かさが嬉しくて、胸のざわつきが一気に加速していった。
「よし、決めた!」
「え?」
「今日は、綾瀬さんの家に行こう」
私が落ち着いたのを確認した後、浦川くんはとんでもないことを口にした。
「ちょっと、綾瀬さんの家って」
浦川くんの提案に戸惑いながら理由を聞くと、浦川くんがいきなり意地悪そうな笑みを浮かべた。
「綾瀬さんの本当の姿、見たくない?」
悪魔のごとき囁きに、私は気づくと生唾を飲んでいた。これまでの経験からして、人は裏の顔を必ず持っていることはわかっている。それは綾瀬さんも決して例外ではないはず。
「善は急げだ。行こう」
迷う私の手をとった浦川くんが、急に歩むスピードを上げた。突然握られた浦川くんの柔らかい手の温もりに、私の意識は目眩を通り越してどこかに飛んでいきそうだった。
暗闇でもわかるくらいに耳が赤くなっているはずの私は、激しく乱れる鼓動を浦川くんにさとられないことを祈りながら、暗闇のピクニックに専念する。といっても、宙に浮くような感覚にいたせいで、どこをどう歩いたのかわからないまま目的地にたどり着いた。
綾瀬さんの家は、私と同じ閑静な住宅地にある一軒家だった。今は全ての電気が消えてるから、綾瀬さんの家族も眠っているみたいだった。
「二階の角部屋にいる」
目を閉じて意識を綾瀬さんの家に集中していた浦川くんが、ぽつりと呟いた。浦川くんがとらえた音によると、綾瀬さんは両親と三人暮らしで、今は三人とも深い眠りにいるらしい。
裏手に回り、勝手口のドアを慣れた手つきで開けた浦川くんが、目だけで合図を送ってくる。ここからは、浦川くんの背中にくっつくように後ろをついていくことになるから、黙らない心臓を少しでも落ち着かせるように深呼吸を繰り返した。
「中に入ってみよう」
流れるように二階に進んだところで、浦川くんがとんでもないことをささやきだした。
「大丈夫なの?」
これまで家に入ることはあっても、人がいる部屋に入ることはなかった。そのため、綾瀬さんのすぐ近くまでいくことに急に不安になってきた。
「大丈夫だよ」
じっとドアに集中していた浦川くんが、答えると同時にドアを開ける。耳がこもるくらいに静まりかえった空間にわずかな音が響いた後、ゆっくりと綾瀬さんの部屋が姿を現した。
綾瀬さんの部屋は、こじんまりとしながらも綺麗にしてあった。奥の窓際のベッドで眠る綾瀬さんは、まさか私がいるなんて夢にも思っていないだろう。
「あれ、調べてみよう」
浦川くんの微かな声に反応すると、浦川くんが綾瀬さんの机を指さした。
綺麗に整理整頓された机には、ノートパソコンが置いてある。浦川くんはパソコンを調べるつもりみたいだけど、私は浦川くんの腕を静かに掴んで首をふった。
人のパソコンを覗き見るのは、さすがに罪悪感が強かった。いくら幸せを探すためとはいえ、あまり人のプライベートに入り過ぎるのはよくない気がした。
けど、浦川くんは大丈夫だと言う代わりに微笑むと、迷うことなく机に手を伸ばした。その動きにさらに罪悪感が増していったけど、浦川くんの手がパソコンに触れることはなかった。
その代わりに、浦川くんの手が掴んだのは一枚の写真だった。本棚の隙間に隠すように挟まれていた写真は、文化祭の時の一コマを切り取ったものだった。
――え? これって……
暗闇の中、目をこらして写真の人物を判別する。写真にはポツンと男子が一人で写っていて、写真を撮った人も仕方なく撮った感が溢れていた。
問題はその構図ではなく、人物だった。写真に写っていたのは、クラスでも存在感のない剣崎くんで、男子はもちろん女子からも馬鹿にされているような人だった。
そんなスクールカーストの底辺にいる剣崎くんの写真を、スクールカーストのトップにいる綾瀬さんが持っていることに、私は驚きで頭が混乱しかけていた。
さらに、浦川くんが手にした日記帳を差し出してくる。一瞬気が引けたけど、浦川くんがうなずくのを見て、恐る恐る中を開いた。
日記帳には、剣崎くんに対する綾瀬さんの赤裸々な気持ちが書かれていた。しかも、詩よりも強気な綾瀬さんからは想像できないような弱音や苦悩が綴られていて、綾瀬さんに対するイメージが徐々に崩れていくのを感じた。
「帰ろうか」
色んなことが一気に押し寄せてきたせいでなにも言えなくなった私に、浦川くんが探索の終了を告げる。
この日の夜は、なぜかいつも以上に疲れがどっと押し寄せてきた。
たとえば、幸せそうな顔をしている近所の愛想のいいおばさんの家に行った時は、奇声を上げて夫婦喧嘩している場面に遭遇したりもした。
その結果わかったことは、人は表に出す顔と出さない顔があるということだった。さらに言えば、表の顔は必死に幸せなふりをしているだけで、実際には表面上の事柄だけでは幸せというのはわからないということだった。
だから、幸せを見つけるには、裏の部分を探す必要があった。お金持ちだとかいう表面上の事柄ではなく、物事の裏に潜むなにかにこそ、幸せかどうかを決めるものがあるような気がした。
「篠田さんは、どうして学校に来ないの?」
いつものように迎えに来た浦川くんが、今日は珍しく私のことを聞いてきた。これまで、ほとんどプライベートのことは互いに触れなかったけど、どうやら他愛のない話だけで場をつなげるのは限界にきたみたいだった。
「ちょっと、友達と色々あってね」
「綾瀬さん?」
間髪容れずに問われたことに驚いたけど、考えてみたら私と綾瀬さんの関係はみんな知っていることだから、浦川くんが知っていても不思議ではなかった。
「そう。綾瀬さんからちょっと辛いこと言われて」
「それで学校に来れなくなったんだ?」
私の歩むスピードに合わせてゆっくり歩いていた浦川くんが、急に立ち止まる。相変わらず能面顔のおかげで、感情が全く読み取れなかった。
「でも、綾瀬さんとは友達なんだよね?」
たたみかけるように、浦川くんが痛いところをついてきたことで、私は上手く答えることができなかった。
詩が間違いなく親友だとしたら、私にとって綾瀬さんは友達かどうか微妙だった。綾瀬さんは一年の頃から男子にも女子にも人気がある女の子だったから、たいして取り柄のない私には接点がなかった。
そんな綾瀬さんと仲良くなったのは、三年生で同じクラスになってからだった。綾瀬さんに話しかけられたことがきっかけで仲良くなり、華のある綾瀬さんの傍にいられることが単純に嬉しかった。
「私は友達と思ってたんだけどね。綾瀬さんは違ったみたい」
力なく笑ったところで、不意に目頭が熱くなってきた。脳裏に浮かぶ綾瀬さんの薄笑いに、呼吸が苦しくなって目眩が襲ってきた。
「きっと、綾瀬さんは私を馬鹿にしたかっただけだと思う。なのに、私は勘違いしちゃったんだ」
我慢できずに流した涙を乱暴に拭い、無理矢理笑って誤魔化した。
学年で一番人気の女の子と友達。そのステータスを不意に手に入れた私は、自分の立場も忘れて有頂天になっていた。
ピエロは、演じている時はまだいい。一番辛いのは、自分がピエロになっていたと気づいた時なのだ。
そんな私の様子を、黙って浦川くんは眺めていた。ただ、その瞳には穏やかな温もりが感じられた。私を馬鹿にすることなく、黙って寄り添ってくれる温かさが嬉しくて、胸のざわつきが一気に加速していった。
「よし、決めた!」
「え?」
「今日は、綾瀬さんの家に行こう」
私が落ち着いたのを確認した後、浦川くんはとんでもないことを口にした。
「ちょっと、綾瀬さんの家って」
浦川くんの提案に戸惑いながら理由を聞くと、浦川くんがいきなり意地悪そうな笑みを浮かべた。
「綾瀬さんの本当の姿、見たくない?」
悪魔のごとき囁きに、私は気づくと生唾を飲んでいた。これまでの経験からして、人は裏の顔を必ず持っていることはわかっている。それは綾瀬さんも決して例外ではないはず。
「善は急げだ。行こう」
迷う私の手をとった浦川くんが、急に歩むスピードを上げた。突然握られた浦川くんの柔らかい手の温もりに、私の意識は目眩を通り越してどこかに飛んでいきそうだった。
暗闇でもわかるくらいに耳が赤くなっているはずの私は、激しく乱れる鼓動を浦川くんにさとられないことを祈りながら、暗闇のピクニックに専念する。といっても、宙に浮くような感覚にいたせいで、どこをどう歩いたのかわからないまま目的地にたどり着いた。
綾瀬さんの家は、私と同じ閑静な住宅地にある一軒家だった。今は全ての電気が消えてるから、綾瀬さんの家族も眠っているみたいだった。
「二階の角部屋にいる」
目を閉じて意識を綾瀬さんの家に集中していた浦川くんが、ぽつりと呟いた。浦川くんがとらえた音によると、綾瀬さんは両親と三人暮らしで、今は三人とも深い眠りにいるらしい。
裏手に回り、勝手口のドアを慣れた手つきで開けた浦川くんが、目だけで合図を送ってくる。ここからは、浦川くんの背中にくっつくように後ろをついていくことになるから、黙らない心臓を少しでも落ち着かせるように深呼吸を繰り返した。
「中に入ってみよう」
流れるように二階に進んだところで、浦川くんがとんでもないことをささやきだした。
「大丈夫なの?」
これまで家に入ることはあっても、人がいる部屋に入ることはなかった。そのため、綾瀬さんのすぐ近くまでいくことに急に不安になってきた。
「大丈夫だよ」
じっとドアに集中していた浦川くんが、答えると同時にドアを開ける。耳がこもるくらいに静まりかえった空間にわずかな音が響いた後、ゆっくりと綾瀬さんの部屋が姿を現した。
綾瀬さんの部屋は、こじんまりとしながらも綺麗にしてあった。奥の窓際のベッドで眠る綾瀬さんは、まさか私がいるなんて夢にも思っていないだろう。
「あれ、調べてみよう」
浦川くんの微かな声に反応すると、浦川くんが綾瀬さんの机を指さした。
綺麗に整理整頓された机には、ノートパソコンが置いてある。浦川くんはパソコンを調べるつもりみたいだけど、私は浦川くんの腕を静かに掴んで首をふった。
人のパソコンを覗き見るのは、さすがに罪悪感が強かった。いくら幸せを探すためとはいえ、あまり人のプライベートに入り過ぎるのはよくない気がした。
けど、浦川くんは大丈夫だと言う代わりに微笑むと、迷うことなく机に手を伸ばした。その動きにさらに罪悪感が増していったけど、浦川くんの手がパソコンに触れることはなかった。
その代わりに、浦川くんの手が掴んだのは一枚の写真だった。本棚の隙間に隠すように挟まれていた写真は、文化祭の時の一コマを切り取ったものだった。
――え? これって……
暗闇の中、目をこらして写真の人物を判別する。写真にはポツンと男子が一人で写っていて、写真を撮った人も仕方なく撮った感が溢れていた。
問題はその構図ではなく、人物だった。写真に写っていたのは、クラスでも存在感のない剣崎くんで、男子はもちろん女子からも馬鹿にされているような人だった。
そんなスクールカーストの底辺にいる剣崎くんの写真を、スクールカーストのトップにいる綾瀬さんが持っていることに、私は驚きで頭が混乱しかけていた。
さらに、浦川くんが手にした日記帳を差し出してくる。一瞬気が引けたけど、浦川くんがうなずくのを見て、恐る恐る中を開いた。
日記帳には、剣崎くんに対する綾瀬さんの赤裸々な気持ちが書かれていた。しかも、詩よりも強気な綾瀬さんからは想像できないような弱音や苦悩が綴られていて、綾瀬さんに対するイメージが徐々に崩れていくのを感じた。
「帰ろうか」
色んなことが一気に押し寄せてきたせいでなにも言えなくなった私に、浦川くんが探索の終了を告げる。
この日の夜は、なぜかいつも以上に疲れがどっと押し寄せてきた。