ちょっと眠たげな瞳が彩る横顔に見とれそうになる寸前で頭をふった私は、くらくらする思考を切り替えて聞きたかったことを頭の中で無理矢理まとめた。

「昨日の夜言ってたこと、あれってどういう意味なの?」

「言ってたこと?」

「ほら、幸せってなんだろうねって言ってたよね?」

 一瞬、昨夜聞いた言葉は幻聴だったのかと思うくらい、浦川くんの反応は鈍かった。けど、なんとか思い出してもらうためにあれこれ説明したところで、ようやく浦川くんの目に小さな光が宿ったように見えた。

「僕ね、探してるんだ」

「え?」

「幸せってなんだろうって、ずっと探してるんだ」

 僅かにふるえている声から、浦川くんの緊張が伝わってくる。なにを考えてるのかよくわからない人と言われるとおり、ぎこちなく語る浦川くんの真意はさっぱりわからなかった。

「どうして探してるの?」

「うーん、どうしてなんだろう」

 視線をずらした仕草に、なにかをはぐらかすような感じがした。でも、よくわからない不思議な人だけに、悪い感じはしなかったし、たぶん浦川くんなりの理由が本当はあるような気もした。

「そうだ、篠田さんも一緒に探してみない?」

 無表情から一転して明るい笑顔になった浦川くんが、まるで放課後に遊びに行くかのようなノリで誘ってきた。

「探すって、幸せをってことだよね? どうやって探すの?」

「それはまだ秘密。ただ、夜の町を出歩くことになるから覚悟は必要かも」

「出歩くって、まさか、私に泥棒につきあえってこと?」

「違うよ。泥棒は、僕一人でやるから大丈夫。篠田さんとは、ちょっと違うことをやりたいんだよね」

 なにか含みのある言い方だっただけど、やけに必死に説得してくるあたり、浦川くんなりになにか考えがあるみたいだった。

 とはいっても、簡単に受け入れられる誘いではなかった。夜の町を二人で出歩くことへの心理的な抵抗もあったけど、やっぱり一番は見つかった時のリスクだ。ただでさえ私は、不登校児として親を心配させているのに、さらに問題を起こしてしまったら、たぶん両親は私を許さないのは目に見えていた。

「もしかして、誰かに見つかる心配してる?」

 そんな私の不安を見抜いたのか、浦川くんは私を真っ直ぐに見つめながら尋ねてきた。

「ちょっと不安かな。だって、見つかったら大変なことになるし、もし、警察に捕まるみたいなことになったら、それこそただではすまないよね?」

「その点は大丈夫。絶対に見つからないように、僕が守ってあげるから」

 浦川くんは、私の不安をなんでもないことのようにあっさりと吹き飛ばした。しかも、胸をざわつかせるような言葉をさらりと言ってくるから、私は再び緊張してなにも言えなくなってしまった。

「だから安心して。僕にはね、秘密兵器があるんだ。それを使えば、どんな状況でも切り抜けられるから」

 だめ押しとばかりに、浦川くんが私に詰めよってくる。こうなると、押しに弱い私は断ることができなかった。

「でも、浦川くんの秘密兵器がどんなものかちょっと気になるかな」

「それは、あとで教えてあげる。だから、今は僕を信じてよ」

 自信たっぷりに語る浦川くんの雰囲気からして、その秘密兵器は相当なものなんだろう。どんなものか気になったけど、知るのはあとになりそうだった。

 ――それにしても

 再び能面に戻った浦川くんの横顔を見ながら、浦川くんのことを考えてみる。この町の人口数に始まり、いきなり夜の町に誘ってきたことからして、浦川はちょっと変わった人ではなく、だいぶおかしな人にしか思えなくなってしまった。

「じゃ、今晩迎えにくるから」

 私の不安や戸惑いなどおかまいなしに、浦川くんが早速予定を立ててきた。

 もうどうにでもなれといった心境に陥った私は、ただ頷いて返すだけだった。


 ◯ ◯ ◯

 久しぶりの登校は、結局昼まで持たなかった。教室に戻った私を待っていたのは、奇異の視線とわざとらしく声を高くした綾瀬さんたちの陰口だった。

 なんとか頑張ってみようと思ったけど、もともと精神的に強くない私は、あっさりと綾瀬さんたちの攻撃に敗れ、しっぽを巻くように家に帰るしかなかった。

「よ、菜々美おつかれ!」

 家に帰ると、なぜか親友の前田詩がリビングでお母さんと談笑していた。

「って、詩どうしたの?」

「ん? ああ、菜々美のお母さんから菜々美が学校に行ったと聞いたから、学校すっぽかして来たわけ」

 悪びれた様子もなく語る詩に、私は一気に緊張から解放されることになった。

 詩は、小学校で知り合ってからずっと仲良くしてくれる大切な親友だった。見た目は庶民派の私と違い、長い髪が似合うお嬢様系だ。実際、家もお金持ちだから、男勝りの性格がなかったら名実共にお嬢様と呼ばれてもおかしくはなかった。

 そんな詩だから、不登校児になった私をいつも心配してくれている。原因を知った時は、綾瀬さんのところに殴り込みに行きかけるぐらい怒りを露にしたけど、私と詩の両親の説得によって今は一番近くで寄り添ってくれていた。

「でも、やっぱり最後までもたなかったかな」

 お母さんの手前、つい悪いことをした気分に包まれた私は、重い鞄を床に置くと同時にため息をこぼした。

「いいじゃん、別に。一歩前進したと思えば上出来だよ」

「でも、一歩進んで二歩下がるになったかも」

 せっかく励ましてくれた詩に、私はつい愚痴をもらした。本当は二歩どころか百歩下がった気分だっただけに、お母さんが壮大なため息には胸が締まるような苦しさがあった。

「菜々美、部屋に行こうよ」

 そんな私を察してか、詩が私の部屋へと手を引いていく。詩を信用しているからこそ、お母さんもなにも言わなかった。

「で、なにがあった?」

 部屋に入るなり、取調室の刑事みたいにテーブルの前に座った詩が、これみよがしに意味深な笑みを見せてきた。

「なにって?」

「隠しても無駄。私にはわかるんだから、正直に白状しなさいよ。まさか、男子に告白されたとかじゃないでしょうね」

 相変わらず鋭いのか鋭くないのかわからなかったけど、どうやら詩は私の異変に気づいたみたいだ。

「告白なんかされてないよ。ただ――」

「ただ?」

 観念した私に、詩が一気に迫ってくる。言うか迷ったけど、詩とは隠し事したくなかったし、浦川くんの誘いを詩がどう思うか知りたかったから、今日のことを説明した。

「なにそれ」

 当然といえば当然の反応に、私は笑うしかなかった。幸せとはなにかを探しに夜の町を出歩くという話は、考えてみたらひどくおかしなことでしかなかった。

「でも、部屋にいるよりいいんじゃない」

「え?」

「その浦川って人は頭おかしいみたいだけどさ、菜々美の感じからしたら悪い人じゃないみたいだし。それに、菜々美には外に出るきっかけが必要かもね」

「今度は私がなにそれだよ」

「ううん、違う違う。私が言いたいのは、きっかけがなんであったとしても、前に進むならいいってこと。菜々美は、変に優しいから自分を犠牲にしがちだけど、たまには自分の感情に素直になるのも大事だと思うってこと」

「ちょっと、それどういう――」

 意味かと聞く前に、詩が悪戯っぽく笑みを浮かべた。

「不思議な男子と秘密の逢い引き。ついに菜々美にも春が来たんだね」

 嬉しそうに笑う詩に、私は慌て否定を繰り返した。一瞬、綾瀬の『恋愛できると思っているの?』と薄笑う残像が頭をよぎって胸が痛くなったけど、勝手に盛り上がっていく詩を止めることに専念して残像を打ち消した。