"わたし"が死んで、"私"が生まれた日。




あ、れ……?


ふと目が覚めて気が付いた時。


私は疑問を抱きながらまだ暗い室内の中で、白い天井を見つめた。



「今の……なんだろう」



夢?二人の男女がいて、その二人に必死に手を伸ばしていたのは誰?



「……もしかして、あれが私?」



勢いよく起きあがろうとして、腕にピキッと痛みが走る。



「っ……、それよりっ」



腕を庇いながら引き出しを開け、そこからノートを取り出す。


簡易ライトを付けて、足元にあったテーブルを引き寄せて鉛筆を持った。



「え、っと……」



感情が昂って、心臓がうるさく鳴り響く。


もし、もしも。あれが私の記憶の一部なのだとしたら。


私にとってはとても重要なもの。


今見た夢の内容を忘れないうちに書こうと鉛筆を走らせる。



「あれ……?」



しかし、やはり夢だからか覚えているところと覚えていないところがあり。


ノートには断片的な内容しか書くことができなかった。


不完全燃焼な気持ちを抱えながらもノートを閉じて、ライトを消してから再びベッドに寝転がる。


まだ夜だし、もう一度寝たら同じ夢を見られるだろうか。……それは流石に無理か。


わかっていながらも期待をせずにはいられない。


いちかばちか。もう一度目を閉じて、夢の中へ沈んでみようと試みた。




「……寝れない」



しかし、目が冴えてしまって寝られそうもない。


仕方なくもう一度起き上がり、引き出しからノートを出してつい数分前に書いたページを開いた。


夢の中で見えたのは、ぼんやりとした男女の姿。


そして私らしき少女。


つまり第三者の視点から夢を見ていたわけだ。


その少女は二人の男女を"お父さん、お母さん"と呼んだ。


その顔を思い出したいのに、朧げな記憶ではそこまでははっきりとしない。


待って!と、何度も手を伸ばしていたのは覚えている。


立花さんも、私の両親は海外にいると言っていた。そこも夢と一致しているような気がする。



「……やっぱり、あれが昔の私……だったのかな……」



ぽつり、呟いてから、ノートを閉じた。





日が登って朝になってから、夢で見た話はすぐに立花さんに伝えた。


立花さんから東海林先生に伝えてくれたらしく、少し様子見してみようと言われたらしい。


少し昔の私に近付いた気がして、心臓がバクバクする。しかし頭の中ではまだ情報の整理が追いついておらず、放心状態が続いていた。



「奈々美ちゃん?」


「……ん?どうかした?」


「ううん。奈々美ちゃんこそ、ずっと考え事してるみたいだけど、なんかあった?」



美優ちゃんに不思議そうに見られて、慌てて笑って首を横に振った。



「大丈夫。外暑そうだなって思ってただけ」


「そうだねー。今日はお兄ちゃん、夏期講習だから来れないって言ってた」


「そうなんだ。そっか、夏休みでも学校あるのか……」



自分が高校に通っていた記憶が無いため、よくわからない。


心の中で頷きながら納得していると、美優ちゃんはがそういえば、と口を開いた。



「奈々美ちゃんの高校は?」


「え?」


「夏期講習とか、やっぱりあるの?」



聞かれて、一瞬返事に困って固まった。



「ていうか、そういえば奈々美ちゃんって高校どこなの?」


「え、っと……」


「私ね、お兄ちゃんと同じ高校行こうと思ってるの。そこね、陸上部がとっても強いんだ。だから私もそこで練習してみたくて」


「そ、そうなんだ……」


「うん。でもね、練習厳しいみたいでさぁ───」



内心、とても焦った。


美優ちゃんは私の高校のことなどどうでも良くなったのか、龍之介くんの通う高校の話から自分の中学の話、陸上部についての話とどんどん派生していく。


終いには



「あれ?何の話してたんだっけ?」



と明るく笑っており、私はそれに



「私も忘れちゃった」


と小さく笑った。




数日後。



「東海林先生から話は聞いています。カウンセリングと言ってもそこまで難しいことはしないから、安心してね。楽しくお話ししましょう」


「は、はい」



朝から緊張していた私は、立花さんと東海林先生に付き添われてとある個室にいた。


そこはカウンセラーが週に一度訪れて、様々な患者さんのカウンセリングをする場所。


私は今日、その初日だった。


私を担当してくれるのは、中原(ナカハラ)さんという女性のカウンセラー。


事前に立花さんにどんな人か聞き、穏やかな人だとは教えてもらっていたものの、やはり実際に会ってみるとそわそわしてしまう。



「ははっ、緊張してる?」


「はい……」


「無理もないよね。初めてのことばかりだものね」



その優しい笑顔に、私もつられて少し笑った。



中原さんとのカウンセリングは、本当にただのお話だったように思う。


特別なことは一切していない。


ただ、今日食べたものとか、昨日何をしていたかとか。リハビリはどんな感じかとか、美優ちゃんと龍之介くんと仲良くなれたこととか。


他愛無い話しかしていないものの、今日のカウンセリングはどうやら終わったようだ。


次回からは東海林先生の付き添いは無し。月に一度くらいの頻度で通うことになった。


病室に戻る途中に立花さんに聞いてみる。




「カウンセリングって、なんかこう……想像してたのと違ってびっくりした」


「カウンセリングって一口に言ってもいろいろあるからね。今日は初対面だったから、会話の中から奈々美ちゃんの性格とか話し方とか、そういうのを見てたんじゃないかな」


「あ、そういうこと?」


「私はそういうの専門じゃないからなんとも言えないけど、カウンセリングって患者の話を聞くことがメインだから、話したくなるような信頼関係が大切なんじゃないかな?まずは仲良くなることが第一なんだと思うよ」


「なるほど……」



確かに、信頼関係がなければ自分のことなんて話そうとも思わないだろう。


納得して頷いているうちに、病室にたどり着いた。



「おかえり奈々美ちゃん」


「ただいま。……あ、龍之介くん」


「おぉ、なんか久しぶりだな」


「本当だね」



そこには美優ちゃんと喋っている龍之介くんの姿があった。


ここのところずっと夏期講習で忙しかったらしく、ここには来ていなかった。


心なしか美優ちゃんも嬉しそうだ。



「じゃあ美優ちゃん、リハビリ行こうか」


「はーい。じゃあ二人とも、行ってくるね」


「行ってらっしゃい」



入れ違いにリハビリに向かう美優ちゃんを見送り、私は龍之介くんと二人になる。




「検査?」


「……カウンセリングに行ってきたの」


「カウンセリング?」



頷いて、ここ数日の出来事を話す。


引き出しにしまってあるノートを開き、いつだかと同じように龍之介くんに見せた。


実はあれから、毎日のように夢を見ていた。


それは決まって私らしき少女が、両親であろう男女に手を伸ばしては、空を切って置いて行かれてしまい泣き続けるというもの。



「結構しんどい夢でね、起きた時に泣いてる日もあるんだ」



朝起きると、目尻に涙が滲んでいることがある。


現に今朝もそうだった。


龍之介くんはノートのページをめくり、全て読み終わったのかそれを閉じた。



「この夢がもし、本当に奈々美の記憶なんだとしたら……さ。奈々美、そんなつらい記憶を本当に思い出したいのか?」


「え?」


「これ、どう考えてもいい思い出なんかじゃないだろ。夢で見るってことは、きっと脳裏に焼き付いてるんだ。それほど奈々美がショックを受けたことなんだと思う。もしかしたらそれ以上つらい記憶があるかもしれないのに。それでも、思い出したい?」



東海林先生と立花さんと同じ意見。


それほど、龍之介くんは私を心配してくれている。


視線を合わせると、とても切なそうな顔をしていた。




私は龍之介くんからノートを受け取り、パラパラとページを捲る。



「……思い出したいよ」


「……っ奈々美」


「だって、怖いから。何も知らないことの方が、私は怖いから」



ノートに、ポタリと雫が落ちた。


それは次第に一つ、二つ、とシミを作っていく。



「確かに、つらい記憶ばっかりかもしれない。苦しくて、忘れたい記憶ばっかりかもしれない。……だけど、それだけじゃないはずでしょ?家族との大切な記憶も、友達との大切な記憶も。たくさんあるはず。もしその中に幸せな記憶が一つでもあるのなら、私はそれを諦めたくない。ちゃんと思い出したいよ」



全てを思い出した時に、東海林先生の言う通り、私は受け止め切れないかもしれない。


思い出したことを、酷く後悔するかもしれない。


だからって、それを恐れていては何も始まらないから。



「……ごめん、奈々美。俺が無神経だった」



ポンと頭を撫でる手に、必死で首を横に振って否定する。



「力になるって言ったのは俺なのにな。本当ごめん」


「……っ、龍之介くんが謝る必要無いよ。私の方がごめんね。心配してくれてるのに強情で」


「気にすんな。奈々美は悪くない」



龍之介くんはそのまま私の頭を撫でてくれて、次第にその温かさに泣き始めた私の体をそっと引き寄せて、ふわりと抱きしめてくれた。


静かに涙を流す私が落ち着くまで、ずっと寄り添ってくれていた。




*****


「あれ?奈々美ちゃん、どうしたの?なんかあった?」



美優ちゃんがリハビリから戻ってくる前、私たちは自然と身体を離していた。


その頃には私の涙も落ち着いていて、龍之介くんが濡らしたハンカチを渡してくれて、それを目に当てていた。


ネイビーのハンカチは、どうやら龍之介くんのものらしい。


あんまりそういうものを持ち歩くタイプには見えなかったから、ちょっと意外だった。



「目がかゆかったみたいで擦って真っ赤になってたから冷やせってハンカチ貸してんの」



龍之介くんの頭の回転が本当に速い。


私が答える前にそれとなく話題を逸らしてくれる。



「あー、わかる!私もちょっと擦っただけで真っ赤になるよー。お兄ちゃんその度にハンカチ貸してくれるもんね」


「お前が持ち歩かないからだろ?」


「だって朝持つの忘れちゃうんだもん」


「……お前、学校のトイレでどうやって手拭いてんだよ」


「え?なにー?聞こえなーい」


「……はぁ」



わざとらしい美優ちゃんに、龍之介くんは大きくため息を吐く。


それを見て、美優ちゃんは面白そうに笑っていた。




「そういえば美優、これ。頼まれてたやつ」


「あ、ありがとう」


「受験すんのは勝手だけど、うち結構偏差値高いからな?ちゃんと勉強しないと受からねぇよ?」


「わかってるよ。でもどうしてもここの陸上部に入りたいんだもん。大会出れなかったからもう推薦も無理だろうし。勉強頑張るしかないから」



龍之介くんから渡された冊子を、美優ちゃはパラパラと捲る。どうやら龍之介くんが通っている高校のパンフレットらしい。


部活動紹介のページなのだろうか、「いいよねぇ……」と食い入るように見つめる姿に思わず微笑む。


龍之介くんはそんな姿を呆れたように腕を組んで見つめていた。



「どうせ時間あるんだから入院してる間に少し勉強すればいいんじゃないか?明日教科書持ってきてやろうか」


「本当!?ありがとお兄ちゃん。ついでに勉強のお供にキャンディとチョコレートもお願い!」



キラキラした目を向けた美優ちゃんに、龍之介くんは「はぁ?」と眉間に皺を寄せた。



「……それは却下。参考書とワークとルーズリーフなら持ってきてやる」


「……ケチ」


「馬鹿かお前は。そんなんじゃ落ちるぞ。ちゃんと勉強しろ」


「はーい」



美優ちゃんは不貞腐れたような声を出したけれど、その後も楽しそうにしばらくパンフレットを見つめていて。