「言いたいことは全部中原さんに言われてしまったよ。桐ヶ谷さん、少しだけ検査にも付き合ってもらえるかい?」
「っ、はい」
「お母さんはその間私と少しお話ししましょう」
「……はい。お願いします」
お母さんと離れて、涙を拭いて立ち上がる。
お母さんは中原さんと一緒に部屋を出て行って、二人で何かを話しに向かった。
「なに、心配することはないよ。ちょっと話があるだけだろうから」
「……はい」
東海林先生に頷いて検査に向かった。
異常が無いとわかると、しばらくはゆっくり生活するようにと言われて今日は帰ってもいいことになった。
エレベーターで一階に降りながらスマートフォンを見ると龍之介くんから連絡が来ており、お母さんに声をかけて少しだけ病院の外で会うことに。
「奈々美」
「龍之介くん」
「どうだった?」
「うん。検査も異常無いって」
「そっか、良かった」
頭を撫でてくれる龍之介くんは、私の後ろにいるお母さんに気が付いたらしく「はじめまして、乙坂 龍之介といいます」と綺麗に挨拶をした。
「あなたが龍之介くんね?はじめまして、奈々美の母です。あなたがずっと奈々美のそばにいてくれたのよね。本当にありがとう」
「いや、俺は別に……」
照れたようにそっぽを向いた龍之介くんにお母さんは優しく微笑む。
「良かったら、お家まで送っていくわ」
「そうだよ龍之介くん、乗ってって」
車で来たらしいお母さんの提案で
「じゃあ、お願いします」
龍之介くんと一緒に駐車場に向かった。
龍之介くんのお家は私の家からもそう遠くは無くて。車で十分もいかないくらいの距離らしい。
同じ高校に通っているのも頷ける。
後部座席に並んで乗り込み、私たちが仲良くなった経緯を説明していた。
「じゃあ、龍之介くんの妹さんと奈々美が同じ病室だったの?」
「そう。それで美優ちゃんのお見舞いに来た龍之介くんとも仲良くなって」
「そうだったの。その妹さんは?」
「もうすぐ退院する予定です」
「そう。良かったわ。その妹さんにも今度お礼を言わなきゃ」
「いや、あいつは難しいことあんまりわかってないので」
たじたじになっている龍之介くんも珍しい。
笑いを堪えていると龍之介くんはじとりとした目でこちらを見ていて。それもまた面白い。
「お母さん、美優ちゃんは受験生なの。うちの高校受けるんだって。龍之介くんも同じ学校だったの」
記憶が戻って、お母さんにしゃべりたいことがたくさんあった。
「あらそうなの?すごい偶然」
そんな話をしているうちに龍之介くんのお家に着き、「今日はありがとう」とお礼を告げた。
「だから気にすんなって。俺がしたくてしてるんだから。また連絡する。……送っていただいてありがとうございました」
「ふふっ、いいのよ。これからも奈々美のことよろしくね」
「ちょっとお母さん!?」
「はい。失礼します」
「龍之介くんまでっ……もう、バイバイ」
恥ずかしさに負けて手を振って別れる。車が見えなくなるまで龍之介くんは手を振ってくれていて、そんな些細なことが嬉しかった。
「奈々美にあんなに優しいお友達ができてたなんて、お母さん知らなかった」
「私も、こんなに仲良くなれるなんて思ってなかった」
「ふふっ、奈々美が好きになるのもわかるわ」
「……えっ!?」
「あら、違うの?」
「な、にをっ」
「お母さん、彼なら賛成するからね」
「お母さんってば!?何言ってるのよ……!?」
急に何を言い出すのだろう。お母さんは面白そうに笑いを堪えながらからかってきて。
それに否定できなかったのは、確かに私の心の中に淡い気持ちが芽生え始めていたからだった。
*****
その日から、目まぐるしく毎日が過ぎ去った。
帰ってきたお父さんにはキツくキツく抱きしめられた。
そして、"気付けなくてごめんな。不甲斐無い親で、ごめんな"と泣きながら何度も私に謝罪した。
すぐに同じ区内での引っ越しも済ませて、あのおばさんには何をどうしたのか、もう二度と私たち家族には近付かないことを約束させた。
おばさんからの謝罪を受けるかとお父さんに聞かれたけれど、私はもうおばさんの顔も見たくないし声も聞きたくないからお断りした。
両親も原因は自分達にあるから、とそれで済ませたらしい。
私ももう二度と会いたくなかったし、近付かないのならそれでいい。引っ越しもしたから生活圏も違うし、もう大丈夫だろう。
私が退院したと聞いた広瀬先生が部活の休みの日に合わせてわざわざ家までお見舞いに来てくれて、復学するのならとその手続きに関する説明をお母さんにしてくれた。
いろいろ考えて両親とも相談した結果、私はまた私立白河高等学校に復学することに決めた。
お母さんが復学を渋った理由は、そもそもの私の自殺未遂が学校に問題があるのではないかと疑ったかららしい。
あの学校が嫌いなわけじゃないし、いじめられていたとかトラブルがあったわけではない。むしろ友人たちは、皆私に優しくしてくれていた。驚かせてしまったことをむしろ謝るべきだ。
それに、何よりも新年度からは龍之介くんと同じ学年になる。
美優ちゃんも受験がうまくいけば、また三人で一緒にいられる。
今の同級生たちには気まずい思いをさせてしまうかもしれないけれど、それ以上に楽しみの方が大きかった。
お母さんは私がおばさんにされていたことの責任を一番感じていて、信じきっていたおばさんのことで少し精神的に疲れてしまい、私と同じで中原さんのカウンセリングを受けることになった。
私もこれからも定期的にカウンセリングしてもらう予定だ。
それから数日。美優ちゃんも無事に退院することができて、その日のうちに翼くんから告白されたらしい。
付き合うことになったんだと連絡してくれて、どちらもおめでとうと私まで嬉しくなった。
「次は奈々美ちゃんとお兄ちゃんだね?」
と言われ、
「美優ちゃんまで何言ってんの……!?」
と危うくスマートフォンを落としそうになる。
「え?だって奈々美ちゃん、お兄ちゃんのこと好きでしょ?」
「な、な……え?」
「え?もしかして気付いてない?」
心底不思議そうな声に、ごくりと唾を飲み込む。
「……いや、気付いてる。気付いてるよ。でも今まで誰かを好きになったことなんてないから、恥ずかしくて……」
あまりの恥ずかしさに顔を真っ赤にして下を向くと、美優ちゃんは電話の向こうで
「えぇ!お兄ちゃんが初恋なの!?えぇ!すごい!」
と興奮気味に叫んでいる。
どうしてバレてしまったんだろう。そんなに私、わかりやすかったのだろうか。もしや龍之介くんにもバレてる……!?
というか、ちょっと待ってよ、そこってお家だよね?龍之介くんいるんじゃないの?
今までの話を聞かれてたら、それはそれで恥ずかしすぎる!と慌てるものの、どうやら龍之介くんはおでかけしていたらしくバレずに済んだ。
「でも奈々美ちゃん。私、思ったんだ」
「なにを?」
「やっぱり、気持ちってちゃんと伝えないと相手には伝わらないんだなって」
「……うん」
「あと、人間いつ死ぬかわからないから。だからちゃんと思ってることはその都度伝えなきゃって」
「……そうだよね」
今回は奇跡的に一命を取り留めた。
もうあんなことはしないと心に誓ったけれど、美優ちゃんのように事故に遭ってしまう可能性もゼロではない。
そうなった時に、何も言わずに後悔だけはしたくない。
美優ちゃんの言葉の説得力に頷き、私も小さな決意を固めた。
それから、二週間の月日が流れて。
「奈々美」
「龍之介くん。おはよう」
「今日からか、復学」
「うん。ちょっと緊張してるけど、龍之介くんもいるし頑張ってくる」
私は今日から白河高校へ復学することになり、朝から職員室に向かうために早めに着いたのに。
昇降口で会った龍之介くんの姿に驚きつつも、すごく安心した。
「あぁ。なんか嫌なこと言われたら保健室に逃げとけ。それと俺にもちゃんと連絡入れること」
「うん。ありがと」
お互いが制服姿でこうして学校で出会うことが違和感でしかないものの、それも徐々に慣れていつしか当たり前のことに変わるだろう。
季節はすでに冬が間近に迫っている。
あと数ヶ月すれば、龍之介くんと同じ学年になる。
それなら四月から復学でも良かったものの、怪我も治っているのにずっと家にいるのも嫌で、立花さんからもらった制服の力も借りて少し頑張ってみることにしたのだ。
案の定龍之介くんと別れて職員室に向かうまでの道のりで視線をいくつか感じた。
でも、今度こそ学校生活を楽しむんだと決めたから、何も怖くない。
ガラリと開けた職員室の中。広瀬先生が泣きそうな笑顔で私を出迎えてくれて。
「おかえりなさい、桐ヶ谷さん」
「広瀬先生、いろいろありがとうございました。心配かけちゃってごめんなさい」
「ううん。私も何も気付かなくてごめんなさい。今桐ヶ谷さんの元気そうな顔が見られてるから、それでいいの。またここに戻ってきてくれてありがとうね」
「……ありがとうございます。また今日からよろしくお願いします」
頭を下げると、広瀬先生だけでなく周りの先生からも口々に「おかえり」と言ってもらえた。
それが嬉しくて、でも言葉に言い表せなくて無言で感激していると
「桐ヶ谷さん、そういう時はね、"ただいま"って言えばいいの」
と手招きした広瀬先生に小声で教えてもらう。
「……ただいま、です」
こぼすように言うと、柔らかな拍手が私を包み込んでくれた。
教室に案内され、そのまま始まったホームルームで軽く私の復学の紹介をしてもらう。
広瀬先生のように笑顔を向けてくれる子もいれば、痛々しいものを見る視線を送ってくる子もいた。
でも、私はそれに笑顔を返す。
「お久しぶりです。今日から復学しました。迷惑かけちゃってごめんなさい。残り短い期間ですが、よろしくお願いします」
声なんて返ってこない前提での挨拶だったものの、なぜかパラパラと「おかえり」という声が聞こえて顔を上げた。
「おかえり、桐ヶ谷さん」
「大変だったね、怪我は治った?」
「元気そうで安心したよ」
「何かあったらいつでも言ってね?」
教室中から聞こえてくる声は、優しさに満ち溢れていた。
「……皆、ありがとう。ただいま」
その優しさに感動してしまい、朝から泣きそうになった。
放課後。復学初日を終えた私を、昇降口で龍之介くんが待ってくれていた。
「よ、奈々美」
「龍之介くん。待っててくれたの?」
「あぁ。初日で疲れてるんじゃないかと思って」
なんてことないように私の鞄を取って持ってくれる姿に胸がときめく。
「もう怪我も治ったんだから自分で持てるよ」
「知ってる。でも俺がそうしたいだけだから」
「ふふ、龍之介くんは本当優しいね」
「……バーカ。こんなことするの奈々美にだけに決まってんだろ」
「え?」
「ほら、行くぞ」
「ちょ、ちょっと待って」
今のは、いったいどういう意味?
私の数歩先を歩く龍之介くんを追いかけるように歩く私に気付いたのか、龍之介くんは
「悪い、歩くの早すぎたな」
と言ってスピードを緩めてくれた。
もう私の足は大丈夫だから謝る必要なんてないのに。
二人で並んで歩く帰り道は、他の生徒ももちろんいるわけで。
「ねぇ、あれって───」
「うそ、先輩って今日から復帰したんじゃなかったっけ」
「え、じゃああの二人いつから───」
「え?乙坂くんじゃん。え?うそ───」
「まじ?」
パラパラと聞こえる声は、私たちを見て驚いているものが多かった。
私は全く気にしていなかったものの、龍之介くんは少し耳障りだったのか
「……行くぞ」
と言って私の手を引く。