"わたし"が死んで、"私"が生まれた日。




*****


「え?どういうこと?」


「私のこと知ってるみたいで、ドアを何回も叩いてきて、"開けろ"って言ってて。急に怖くなっちゃって……」


「そう、そんなことがあったの。……ってことは、その人モニターに映ってるのよね?」


「う、うん……」



あの女の人の話しをお母さんにすると、怪訝そうに私から一度離れてインターホンのモニターを見に行く。


そこの履歴を開いて、お母さんも動きを止めた。



「……そう、その人。その人が何回もドア叩いてきたの」


「……本当に、この人が?」



昨日までの履歴もチェックしているお母さんは、そのまま言葉を止めた。



「うん。……お母さんも、知ってる人?」



待ちきれずに問いかけると、お母さんはゆっくりとこちらを振り向いて。



「知ってるも何も……」



その続きを聞いて、私は。



「───この人、今までずっと奈々美を預かってくれてた二軒隣のおばさんよ……?」



動揺しているお母さんの顔を、目を見開いて見つめる。



「二軒隣の、おばさん……?」



復唱した瞬間、私は頭を何か硬いもので殴られたような錯覚がして。



「奈々美!?奈々美……!───!?」



そのまま倒れるように意識を失った。












真実は、時に残酷だ。












─────
───



「あら、あなたが奈々美ちゃんね?こんにちは。ついこの間までこーんな小さい赤ちゃんだったと思ったけど。ちょっと見ない間にすごく大きくなったわねぇ」


「……あの、本当によろしいのですか?」


「気にしないで。孫ができたと思って可愛がらせてもらうわ。だから心配しないでね」


「本当になんとお礼を言っていいものか……」


「いいのよ。お仕事じゃ仕方ないもの。連れて行くわけにもいかないものね。そういう時は年配者に任せて」



いつもと違うお家。


見上げた先にいた一人のおばさん。その人に、私は



「はじめまして。ななみです……」



とたどたどしく挨拶をした。



「あらぁー。人見知りしなくていい子ねぇ。お母さんがお仕事の間、おばさんが一緒に遊んであげるからね奈々美ちゃん。ほら、行こうか」


「申し訳ありませんが、よろしくお願いします。なるべく早く帰りますので!」


「急ぎすぎて事故にでも遭ったら大変なんだから落ち着いて。ゆっくりでいいから気をつけて行ってらっしゃい」


「それもそうですね。すみません、よろしくお願いいたします」


「気を付けてね。ほら、奈々美ちゃんも。お母さんに行ってらっしゃいは?」


「……いってらっしゃい、おかあさん」



寂しさをグッと堪えて、手を振った。





……あれ、これはなんだろう。


記憶?私が忘れている、昔のことだろうか。


このおばさんは……あぁ、そうだ。インターホンをしつこく鳴らす、あの女性だ。


こんな優しい喋り方をする人だったんだ。


そして……そうだ。この人が、昔から私を預かってくれていた二軒隣の……。






そこまで気が付いて。急にぐるんっ!と変わった場面。








「おかあさん!」


「ただいま奈々美」


「おかえりなさい」


「……本当にありがとうございました。何か娘がご迷惑をおかけしませんでしたか……?」


「大丈夫よ。とーってもいい子だったわ。こっちが心配になるくらいに聞き分けが良くて。びっくりしちゃった」



帰ってきたお母さんに抱きつく私と、そんな私の頭を撫でるおばさんのしわしわの手。



「おばさんとね!いーっぱいおりがみしたの!あとね、おえかきと、ねんどと、しゃぼんだま!」


「まぁ、そんなにたくさん!」


「あとでおかあさんに、しゅりけんつくってあげるね!」


「ありがとう奈々美。楽しみにしてるわ。……本当に、ありがとうございました」



何度もおばさんにお礼を告げるお母さんと、お母さんから離れたくなくてずっとくっついている私。




……そうだ。私は定期的に、あのおばさんの家に預けられていた。


お父さんはこの時から海外出張が増えて。


お母さんも仕事が忙しく帰ってこられない日や地方へ向かうことが増えて。


そのたびに、私はおばさんの家に預けられていた。



最初は良かったんだ。けれど、途中から私はそれが嫌で嫌でたまらなくて。




「おかあさん、つぎにとおくにいくときは、わたしもつれてって!」



そう何度も懇願した。


しかし、



「ごめんね。一緒に行きたいのは山々なんだけど、お仕事だから連れて行けないのよ。それに向こうはとても危ないところなの」



日本でも、海外でも。見知らぬ土地にまだ幼い子どもを連れて行くことはとても危険で怖いことだろう。


当たり前のことなのに、当時の私には何も分からなくて。



置いて行かれる。そればかり考えていたんだ───






*****


「……あれ……?」


「奈々美!奈々美!?」


「……お、かあさん……?」


「奈々美!良かった……」



目を開けた時、一番に飛び込んできたのはお母さんの泣きそうな表情だった。



「先生呼ばなきゃ……!」



お母さんがそう言って慌てたように視界からいなくなり、何度か瞬きするとなんだか見慣れた白い天井が見えた。


起きあがろうとすると頭が痛み、それを手で抑えながらどうにかゆっくりと上半身を起こす。


どうやらここは入院していたあの病院で、点滴などはしておらずただベッドに寝かされていたらしい。



「桐ヶ谷さん、目が覚めたって?」



おそらくお母さんが呼んだのだろう、二週間ぶりの東海林先生が優しく微笑んでいた。



「全く君は。退院したばかりでまた戻ってくるなんて」


「ははは……」


「すみません、私が気が動転してしまって」


「いやいやお母さん、ただの冗談です。気にしないで」



意地悪く笑った東海林先生は、私に向き直ると聴診器で診察をする。



「……うん。問題は無さそうだ。具合の悪いところは?」


「頭痛が、少し」


「鎮痛剤はいるかい?」


「そこまでじゃないので、大丈夫です」


「わかったよ。少し休んだら今日は帰っていいからね。次は健診の日に会いましょう」


「はい。ありがとうございます」



冗談混じりで笑った東海林先生と入れ替わるように入ってきた立花さんが、



「桐ヶ谷さん、お手数ですがお会計は受付で……」



とお母さんに事務的な話をしている。




お母さんはそれに何度も頷きながら頭を下げて、



「ごめんね奈々美。お母さん、パニックになっちゃって救急車まで呼んじゃって」



と眉を下げた。


まさか救急車で運ばれていただなんて思わなかったため、落ち込んでいるお母さんに「ううん、ありがとう」と笑って答える。


どうやら私はお母さんからあのおばさんの話を聞いて、ショックで倒れてしまったらしい。


頭は打っていなかったらしく、パニックになったお母さんによって救急車で運ばれはしたもののただ気を失っていただけで、今の今までずっと私が起きるのをお母さんはそばで待っていてくれたようだった。


時刻はすでに夜中に差し掛かっており、明日もお母さんは仕事で忙しいはずなのに迷惑をかけてしまった、と今度は私が落ち込む番だった。


しかしお母さんは



「明日は仕事休みなの。おばさんのこと、どうにかしないといけないし。……それに、明日は奈々美にサプライズがあるのよ」


「……サプライズ?」



首を傾げる私に、お母さんは嬉しそうに微笑んだ。





サプライズ。


その言葉通り、次の日の朝。私は自宅リビングで驚いて言葉を失っていた。



「……奈々美。大きくなったな」


「……お、とう、さん?」


「あぁ。奈々美は優しいな。何年もお前を置いて仕事ばかりになってしまった俺を、まだお父さんって呼んでくれるのかい?」


「だ、って。お父さんは私にとって一人しかいないから……」


「……奈々美」



目の前の光景が信じられなかった。


夢で見た、お父さんがそこにいた。


白髪が混じる短い髪の毛は、仕事帰りなのか綺麗に分けた状態でムースで固められているらしく、"仕事ができる人"なのだろうと容易に想像ができる。


実はお父さんはまだ海外勤務の任期はあったらしいものの、今後のキャリアを捨てて私のために日本に帰ってきてくれたのだ。



「今まで、本当にすまなかった。入院中も一度も見舞いに行けなくて、本当にすまない」


「……うん」


「でも、お父さんは奈々美を愛していないわけじゃないんだ。自分勝手なのはわかっているが、それだけは誤解しないでほしい」


「うん。わかってるよ」



夢で見た両親はすごく仲が良くて。


私も、お父さんのことが大好きで。


きっと、私のためにお仕事を頑張ってくれていたのだろう。




「私、お父さんのことも夢で見たの。私を遊園地に連れて行ってくれるって言ってた夢……」


「そんなこともあったなあ。懐かしいよ。思えばあの頃が一番奈々美と一緒にいたかもしれないな」


「……うん」


「でも、これからはずっと一緒にいるから。遊園地もまた一緒に行こう。他にも奈々美が行きたいところにはどこでも連れて行ってあげるよ」



記憶は完全には戻っていないけれど、お父さんの顔を見ていると胸の奥からいろいろな感情が溢れてくる。



「……ううん。遊園地も行かなくていい。どこにも行かなくていいから、もう私を置いて遠くへ行かないで」



涙を堪える私に、両手を広げる。



「もちろんだ。今までのことは謝って許されるわけじゃない。だからこそ、これからはもうお前を一人にしないよ」


「……お父さん」



その胸に勢い良く飛び込むのはなんだか少し恥ずかしくて。


ゆっくりと近付いて、そして腕の中に閉じ込めてもらう。


力強くて、温かい。



「奈々美。生きててくれて、本当に良かった」



懐かしい香水の香りがして、また涙が滲んだ。




そんな親子の再会を果たしてから、一時間後。



「奈々美。覚えていることを教えて欲しいんだ」



お母さんからおばさんの話を聞いていたらしいお父さんの鋭い視線に、私は一つ頷いてから話し始めた。



「二週間くらい前から、急にインターホンが鳴るようになって、ドア開けようとしたり叩いたり。モニター見たら、そのおばさんが映ってて。私、怖くなって震えが止まんなくて……」



私の説明でモニターをもう一度確認したお父さんは、難しい顔をして私の元へ戻る。



「二週間も一人で耐えてたのか……?」


「うん。でも、毎日じゃなかったから。ただいつまた来るかがわからなくて、怖くて家からは出られなかったの」


「そうだったのか……」



今までなんの疑いも無く私を預けていたおばさんの奇行に、両親は言葉を無くす。


龍之介くんから聞いた話もすると、お父さんとお母さんは二人でおばさんの元を訪ねようかと話し合っていた。


そんな時だった。


インターホンが、今日も鳴り始めたのだ。


モニターを見ると、おばさんの姿。


それを見て私はまた身体がガタガタと震え出す。


そんな私を見かねて、お母さんが私を抱きしめてお父さんが玄関へ向かった。


何度目かのインターホンが鳴った時。


お父さんが玄関ドアを開けた音とともに、



「もう奈々美ちゃん!あんたって子はまったく……っえ!?」



驚きに満ちたおばさんの声が聞こえた。