子供は親が生を授けるものだ。親の創造物であり、親が所有者ともいえる。僕はそれに従順だった。でも所有者が死んだ。だから僕は、ようやく自分の人生を歩めるのだと思った。そして、人生最後のプロジェクトを始めることにした。
 会社はやめる。七年勤めた会社もスパッと退職することにした。日曜夜の忌まわしき番組“ちびまる子ちゃん”が始まりそうな時間だが、この憂鬱に打ち勝って今まで会社員を続けてきた。でも、この瞬間を逃したら、また元通り、エンドレスの会社員生活が続くことを確信した。だから、今やめるしかない。
 思えば病的だ。自分が会社で家電の営業担当だからと言って、まる子がご飯を食べているだけで、炊飯器を想起し、仕事を連想し、鬱になる。これは“ちびまる子ちゃん”に限らない現象なので、テレビはほとんど見られなくなった。仕方なく処分した。家電は目にすると仕事を思い出してしまうので、極力捨てた。炊飯器も捨てて、米は土鍋で炊いている。洗濯機も捨ててコインランドリーに変えた。今残っているのは、レンジ、冷蔵庫、パソコン、エアコン、スマホだ。まだこんなにある。つくづく、電機メーカーに就職したことを後悔する。公わたしを完全に切り分けることができない。女性用下着メーカーとかに就職すれば、公わたしを区別できたのに。いやでも大人のビデオを見るたびに仕事を思い出してしまうか。仕事選びって難しい。
 でも、もう気にしなくていい。ちょうど貯金も一千万円を超え、キリも良い。明日まで有休をとってあるから、退職代行サービスを利用して、会社はやめる。
 そして、僕はノートを取り出した。表紙に“やりたいことリスト100”と書いてある。やりたいことを100個やって人生を駆け抜ける。もうやりたいことしかやらない。思えば人生はいかに長く生きるかではなく、何をやったかだ。人類はその大切なことを忘れてしまった。ただ長生きするのが善という価値観には賛同しかねる。やりたいことをすべてやれたら、もうフィニッシュだ。ベルトコンベアに乗せられて百歳のゴールテープを切るより、駆け抜けて真っ先にゴールテープを切ったほうが幸せだ。