「うそ。彼氏が浮気しやがってさ、腹いせにキャッシュカード盗んで金をすべて下ろして、パチンコで溶かしてやったの。二万しかなかったからもう終わっちゃうよ。ハハッ」
 リアクションができなかった。いつからこの国はカップルの痴話喧嘩が犯罪じみてきたのだろうか。
「びっくりした?でも今まで散々勝手に金下ろされてきたから、少しくらい仕返ししてもいいでしょ?」
 いつからこの国は目には目を的な風潮になったのだろうか。
「引かないでよ。で、何の用なの?」急に本題を振られた。
「お金払うんで、僕のお願いを聞いてくれませんか?」
「もちろんいいよ! ってか、もうお金もらってるけど。いくらで?」
「十万で」
「十万? すごっ。嬉しい。十万なら何でもする。でもセックスはダメよ」
 釘を刺された。完全に体目当てだと思われていた自分を呪いながら、勇気を持って口に出す。
「札束で思い切り人を叩いてみたいんです」声に出してみたら、どぎつい響きだった。他人のキャッシュを引き出す奴をとやかく言える人間ではなかった。でもリストに入れてしまったのだから、やるしかない。
「札束で? 変な性癖ね。ヘッドロックしたまま添い寝してほしいとか、太ももで顔面挟んでほしいとかならあるけど。札束はないね」
 するとえみはゆっくり立ち上がり、入り口へと歩き出した。
「外でやるわよ」
 僕もその後を追い、入り口を出て正面にある植木付近で立ち止まった。
「さ、来なさい」
 向かい合って立つと、えみは僕より身長が少し高かった。僕も一七六あるから、かなりデカい。ヘッドロックされたい気持ちもわかった。
 僕は札束を取り出した。九十万ほどの札束。思ったより厚みがある。素振りはなしだ。
「思いっきり来なさい」えみが眼鏡をとって仁王立ちをした。
 僕は構えに入る。サイドスローのイメージで顔面に突撃だ。腰の振りと手首のスナップを意識しながら、思い切り振りかぶる。
「悪霊退散!」
 振りぬいた僕の札束はえみの頬を掠った。しまった、と思った。生来の運動神経のなさがここでも出た。ほとんど叩けなかった。身じろいだ僕に対して、笑みが思い切り振りかぶる。
「何が悪霊よ!」