「そんなことありませんわ! お兄様の威光をかたちにしたような、素晴らしい命名だと、わたくし思います!」
フウカが鼻息荒く主張した。エルダーリッチはそれに続けるように、
「君の街だ、いずれ慣れなきゃいけない。いっそ開き直りたまえ」
一理あるから悔しい。思い切って、言ってしまおう。
「ソラリオンは王国の東にあるわけだけれど、『魔術師の町』は更に東、国境の近くにある町だ」
市長が地図の写しに、赤い丸をつけてくれている。地図を眺めながら、フェリスが言った。
「やはり以前のように、ホエルに乗っていくのか?」
攫われたサレンを取り戻しに、王都に向かったときの話だ。
「任せて~」
ホエルは笑顔を送ってくれたけれど、俺は首を振った。
「いや、今回は派手な登場はよそう。住民を怯えさせることにもなりかねないし、そうすると無用な衝突を招くことになる」
なんでもかんでも、威圧すればいいというものではない。敵の戦意を挫くのとは、わけが違う。
「友好関係を築くために行くわけだから、ある程度この国の文化に合わせないとな」
俺の言葉に、リュカがふむふむと頷いた。
「つまり、人間の姿になって歩いていくってこと?」
「そうするにしては、結構距離があるんだ」
「みゅ! イッパイアルク! コンジョウ!」
ミュウがイスの上でぽいんぽいん跳ねる。こいつも、新しい旅にワクワクしているらしい。
「いや、使者が来ている以上、あまりゆっくりしていても失礼にあたるんじゃないかな」
サレンが頷いた。
「となると、馬ね」
魔王をやっていたわけだから、サレンにはそういった〝外の世界の常識〟を心得ている。そういう意味ではエルダーリッチもそうなのだけれど、彼女の何百年も世界から姿を消していたわけだから、ジェネレーションギャップはけっこうなものがあるだろう。
「俺もそう思ってる」
しかし、問題があった。
「この街は馬が足りないんだ」
急速に発展したソラリオンは、他の町との交流も増えている。こちらから使者を飛ばしたり、商人に貸し出したりして、馬はすっかり出払っていた。行商人から馬を仕入れ続けてはいるのだけれど、それでも足りない状況だ。
「市長の話だと、いま使えるのは、ロバ二頭だけらしい」
「となると、ロバに車を牽かせるしかないな」
エルダーリッチは、ハーブティーをひと口飲んだ。ハーブは彼女の指導のもと、みんなで栽培している。
「それが馬車も出払ってて……まあ、これは俺が錬金術でなんとかするよ」
俺は再び地図に目を向けた。
「じゃあ、ルートを決めようか。最初は山沿いを進む。ここは道が悪いらしいんだけれど、そもそも『魔術師の町』と『東の村』を行き来することなんて殆どなかっただろうから、これは仕方ないな」
『ここは悪路』『下り坂注意』『魔物多し』など、市長がいろいろと書き込んでくれている。その地図上の道を、俺は指で辿っていった。
「で、ありがたいことに、その先には街道が走ってるみたいだ。えーと、なになに」
街道の名前は。
「……ポワレ街道」
エルダーリッチがハーブティーを吹き出した。みんなが一斉に彼女を見る。
ヴァージニア・エル=ポワレ。彼女の本名だ。
「ぐ、偶然だろう、そんな」
彼女には珍しく、テーブルから手をおろしてきょときょとしている。
「でも、『魔術師の町』に近づくほど、増えてくるぞ。ポワレの森。ポワレ記念公園。あ、『魔術師の町』にも名前があるのか。えーと、ああ、『エル=ポワレ』……まんまだな」
「もうやめてくれ……」
エルダーリッチは、両手で顔を覆った。日頃からやり込められているだけに、ちょっといたずら心が芽生えてくる。
「まあ、自覚した方が良いんじゃないかな、自分が希代の大魔術師だってことを。ね、ヴァージニア・エル=ポワレさん」
彼女は顔を隠した指の間から、片目を見せた。
「覚えていたまえ、私は今日という日を忘れない」
ちょっと怖いことを言われてしまった。でも耳まで真っ赤になったエルダーリッチは、ちょっと珍しく可愛い。
「まあ……ともかくそのポワレ街道をまっすぐ行って、途中でポワレ記念公園を突っ切って行けば着くらしい。ポワレの大樹というのがあるらしいから、それを目印に曲がれば大丈夫みたいだ」
「………………」
みんな地図ではなく、エルダーリッチを見ている。
「もう……ほんとにやめてくれ……」
彼女は長い髪をテーブルに垂らして、頭を抱えていた。
「仕方ないだろ、地図に書いてあるんだから」
そんなこんなで、道順と行き方が決まった。
俺はミュウだけ連れて役所に行き、錬金術で馬車を造った。食料その他の旅道具は、職員さんが積み込んでくれる手筈になった。
「ポワレ! ポワレ! エル=ポワレ!」
ミュウは言葉の響きが気に入ったらしく、ぽいんぽいん跳ねながらポワレを繰り返している。
「それ、絶対エルダーリッチの前でやるなよ」
「ウン!」
次にからかったら、呪い殺されるかもしれない。
* * *
翌日、俺たちは百貨店にラーメンを食べに行った。
「しばらく食べられないからな。食べ治めだ」
「ソラ、馬車に鍋を積んだら、作れないの?」
リュカは無邪気にそんな質問をする。
「それは難しいかな。時間も手間もかかる料理だから……」
そう答えつつも、俺は前からいろいろと実験を繰り返していた。旅に役立てばいいんだけれど。
みんな無邪気にラーメンを啜っている。箸の持ち方がいちばん上手いのがエルダーリッチで、逆にいちばん下手なのはサレン。箸がX字になってしまっている。
「いつかマスターしてみせる……」
「ミュウ、オハシ、ツカエル!」
なぜかミュウはそこそこ上手に箸を持つ、というか体内に半分埋め込んで器用に食べていた。
満腹になった俺たちは、役所に行った。俺が作った馬車とロバを見て、フェリスがひとこと。
「これを、その生き物が牽けるのか?」
七人乗りということと、旅道具を積むことを考えると、少し大きなものになってしまったのは否めない。
「ちっちゃなお城みたい~」
ホエルの微笑ましい感想をよそに、
「君のデザインセンスは相変わらずだな。これじゃ動く魔王城だ」
エルダーリッチの手厳しいお言葉。確かに、全体的に黒を基調にしているし、ちょっと尖ってたりする部分がないではない。しかしさすがに魔王城というのは――。
「私の城も、こんな感じだった」
「……そうか」
魔王のサレンがそう言うのだから、イメージとしては妥当なのかもしれない。
「でも、こう見えてかなり軽く造ってあるんだ。かなり簡素な構造になってる」
「ほんとだ~」
と、ホエルが片手で馬車を持ち上げた。
「おやめなさい! あなたなら、鉄の塊でも一緒ですわ!」
フウカが咎めると、ホエルは馬車をドサッと降ろした。丈夫に造ったつもりではあるけれど、ちょっとドキドキさせられる。俺はロバを連れてきて、軛に繋いだ。動物の扱いは初めてだが、大人しいやつらで助かった。問題は、牽けるかだ。
「さあみんな、乗り込んでくれ、あと個人の荷物も……エルダーリッチ、君の荷物はそれだけでいいのか?」
エルダーリッチは小さな革のバッグを抱いて微笑んだ。
「空間制御魔法を利用した鞄だ。中身はどっさりだよ。おそらく技術交換が為されるだろうからね。こちらもいろいろと用意していかなくてはなるまい」
そう言って、鞄からアイテムを次々と取り出した。
「サンダーを封じ込めた雷水晶に、ファイアを封じ込めた炎水晶、それらの制御装置、他にもいろいろと各種魔法アイテムが詰め込んである。君の考案した転移水晶加工装置もだ。それについては、さすがにミニチュアのレプリカだけれどもね」
まるで四次元のポケットのアレだ。俺は物理法則の狂った巨大迷宮を思い返した。あの技術は、いつか教わりたいものだ。
「さすが気が利くね」
「専門分野で恥はかけないからね」
そう言って彼女はウィンクを飛ばし、馬車の最後に乗り込んだ。
「それじゃ、出発だ!」
俺は馭者台に座る。ミュウが膝の上に乗った。
「シュッパツ、シンコー!」
鞭を入れずとも、ロバは歩き始めた。街の人たちが見送ってくれる。
「行ってらっしゃいませ、ソラ様!」
「お気をつけて!」
みんなにも声がかかる。
「リュカ署長! フェリス署長! ソラリオンの秩序は任されたであります!」
「ホエルせんせー! いってらっしゃーい!」
「フウカさん! サレンさん! 次回作『錬金術師VSサメ2』を楽しみにしててください! 今度のサメは飛びますよ!」
「ミュウ公! 新しい石像を楽しみにな!」
街のみんなの声を背に受けて、俺たちはソラリオンを出た。
しばらくは行商人がよく使っている平坦な道を進み、そこから山沿いへと下っていく。ロバは馬みたいに、ぐんぐん進まないけれど、それなりに良い感じだ。
「しかし揺れるな……」
案の定、道はお世辞にも良いとは言えなかった。膝の上に乗ったミュウが、まるで水を入れた風船のようにボインボインと跳ねる。しかし進めない、というほどではない。
旅は順調に進むかのように思えた。小一時間ほど進んで、ちょっとロバを休憩させようと思い、手綱を引いた。そして立ち上がろうとした瞬間、それは来た。
「痛っ!」
道が悪くて、やけに揺れるなとは思っていたが、そのダメージが尻に来ていたらしい。やれやれ馭者ってのは大変だ、と思っていると。
「ソラ……」
みんなが、ふらふらしながら馬車から降りてきた。リュカが涙目でこぼす。
「ソラ……お尻痛い……」
馬車の中でも、振動はひどかったらしい。
「私も……限界だ……」
フェリスも腰をさすっている。
「私は平気だよ~」
ひとり平然としているホエルに、フウカが噛みついた。
「あなたはスキルでお尻が浮いてたでしょう! ずるいですわ! あ、いたたた!」
サレンとエルダーリッチも、青ざめているということは、やはり尻をやられたのだろう。
「ボク、ヘイキ!」
「お前は俺の膝にいたし、スライムだし」
「ミラクルスライム!」
この先何十キロもこの調子で進むのは、ちょっと難しい。旅の安全は守れても、尻の安全は守れそうにない。
「馬車を改造するしかないな……」
俺は自分の尻をさすりながら馬車の下を覗き込んだ。
「サスペンションか何かを取り付けるか……少しでも振動を……」
「少しいいか、ソラ」
痛みに青ざめた顔で、エルダーリッチが歩いてきた。
「ロバの足もとを見たまえ」
俺は車軸から顔を上げると、小石を掻いているロバの蹄を見た。
「マズいな……蹄鉄が外れかけてる」
ソラリオンの職人の腕に間違いはない。この道が、どれだけ悪いかということだ。
俺は歪んだ蹄鉄と釘に《鍛造》を使って形を整え、再びロバの蹄に打ち込んだ。
そしてこの先遠く続いている、荒れた道を眺めた。
「馬車の乗り心地を改良しても、これ以上行くとロバが足を痛めるかもしれないな」
これはかなり頭を抱える事態だ。
「ソラ、ドウシタノ?」
ミュウは荒れた道もなんのそのだ。ぽいんぽいん跳ねながら、俺のすねにぶつかってきた。
「道が悪いとロバも大変だって話だよ」
ミュウは体をむにっと歪めて、なにか考えているようだ。するとまた、ぽいんっと跳ねた。
「ロバ、バシャニ、ノセタラ、ダイジョウブ!」
「ミュウ、それじゃ馬車が進まないよ……ん?」
そこで俺は、ふとひらめいた。
「そうだ……何もロバに牽かせる必要はないんだ……」
俺がいた世界では、最もポピュラーな移動手段。そうだ、その手があった。
「よし、自動車を造るぞ!」
「ジドウシャ……ですの?」
初めて聞く言葉に、フウカがきょとんと首を傾げる。
「自分で走る馬車みたいなもんだよ」
問題は動力だ。
俺がまず考えたのは、リュカの【獄炎焦熱】とフェリスの【絶対零度】を利用した蒸気機関。氷を溶かして蒸発させ、それでタービンを回して動力にする。
しかしこれには問題があった。出力のコントロールだ。
フェリスの【絶対零度】で生成される氷は、かなりの熱を与えないと溶けない。しかし水が溶けると、今度はリュカの【獄炎焦熱】の威力を速やかに、かつ繊細に落とさなければ、突沸を起こしてしまう。
そうなれば自動車は、ギヤが壊れるか、大暴走するか、下手をすればタンクが爆発する。蒸気機関は、エネルギー=推進力になってしまうので、鍋でスープを作るほど簡単じゃない。コンロのようにツマミで火力を調節する装置や、バルブは多分用意できるけれど、内部圧力や【絶対零度】と【獄炎焦熱】の温度差による爆発を恐れながら、ツマミや圧力計と睨めっこする旅は、快適とは言えないだろう。
仮に、大きな内圧に耐えうる丈夫なタンクを造ったとしよう。そうなると、当然重量が大きくなる。そうなれば推進に必要な圧力が増え、タンクは更に頑丈にしなければならない。更に頑丈なタンクは更に重量が大きくなり――というジレンマに陥る。
となれば。
「出力の安定したエネルギー源……そうだ!」
これまでは、あらゆる問題に対して錬金術やスキルを使って向き合ってきた。
しかし今の俺には、拙くとも使える力がある。
魔法だ。
「エルダーリッチ、確か《サンダー》を封じ込めた水晶があったよな?」
「このバッグに入っている。これを使うのかい」
彼女が取り出した水晶の中では、雷が渦巻いている。
「これを動力源にするんだ」
俺は馬車に積んだ銅のインゴットを外に出した。道中で手に入らないであろう材料は、少しずつ持ってきている。錬金術は材料が命だ。悪魔の森の洞窟で採取した、金属資源を使う。
「ネオジム……鉄……ホウ素……」
《合成》
これで筒状のネオジム磁石を造る。錆を防ぐために、亜鉛メッキも施しておく。
ここからだ。
フレミングの右手の法則、左手の法則、アラゴの円盤。一時期ニコラ・テスラに憧れていて、いろいろと調べたのだ。まさか役に立つ日が訪れようとは。
「次は何を造るつもりなのかね」
エルダーリッチが、興味深げに尋ねてきた。
「交流モーターさ」
仕組みは複雑だが、単純な直流モーターよりも却って堅牢なのだ。
次に鉄のローターを造り、ネオジム磁石でできたステーターと共に、ホエルの【天衣無縫】で宙に浮かせる。次はローターに《サンダー》を流して動作テストだ。
だがこれは、かなり高度な作業が要求される。
「エルダーリッチ、《サンダー》のための制御装置があったよな」
「ああ、これだね」
彼女が取り出したのは、文庫本くらいの木箱だ。
「かなり難しい要求をするんだけど」
俺は彼女の目を見て言った。
「今から雷水晶と俺と君とで、三発のサンダーを発動させる。制御装置を介して、それを1/60秒周期で小刻みに発射することはできるかな?」
「君の言う一ビョウというのは……確か8.263グラヴィだったな。それなら可能だ。私を舐めてもらっては困るよ」
エルダーリッチが木箱に手のひらを当てると、淡い紫色に光った。
「準備完了だ」
「ありがとう。じゃあ、せーの、で行こう」
せーの! 三つの電流が制御装置に注ぎ込まれ、そこから三相交流となった電流がローターを流れる。
――フィイイイイン
風を切る、音。
「よっしゃ、回った! テスト成功だ!」
サンダーが、パッと空中で弾けた。ローターは慣性で回り続けている。
「よし、動力はこれでバッチリだ!」
俺たちがそんなことをしている間、馬車の横で問答が繰り広げられていた。
「結局、元の姿に戻った私に、乗っていくのがいちばん速いのよ」
尻の痛みも治まってきて、リュカがそんなことを言った。
「お前の背中は鱗が硬すぎる。前に乗ったときも、乗り心地は馬車よりはマシ、くらいだった」
フェリスは、なんでもないふうに髪を指で漉く。
「私の毛並みに跨れば、ソラは気づけば眠ってしまうだろう」
「それを言うなら、わたくしの羽毛もなかなかのものでしてよ!」
フウカが胸を張る。
「私に乗るとね~広くていいよ~」
ホエルの言葉に、皆がうむむ、と黙り込む。確かにホエルの元の姿、巨大な白鯨の乗り心地は、悪いものではなかったのだ。
そこで、取り残されているのがひとり。それは、他の姿を持たないサレンだ。
「私の身体は、結構柔らかい……」
苦し紛れに、そんなことを言った。
「………………!」
みんなが一斉に振り向く。
「そうよ! 元の姿にこだわらなくても、人間の姿で上に乗ってもらえばいいんだわ! それなら私もふにふにだもの!」
リュカの言葉にフェリスが反論する。
「私だって、柔らかくて気持ちいいはずだ」
ホエルはニコニコしながら。
「たぶんね~私がいちばんふわふわかな~」
「お肉のつきかたで勝負が決まるわけではありませんわ!」
「同意だな」
フェリスはフウカの肩を持った。
「薄い脂肪の下にある筋肉のしなやかさも、乗り心地の良さには重要だ」
リュカはそんなフェリスの裾を引っ張って、馬車に連れ込む。
「だったら試してみようじゃない!」
そう言ってフェリスを押し倒した。
「ほら、私の、身体の方が、柔らかいでしょ!」
「バカか、いま乗られてるのは私だ」
「じゃあ交代よ!」
馬車がギッシギッシと揺れる。
「さて、次は馬車を改造して車体を……って、なにやってんの?」
馬車の中でリュカとフェリスが抱き合って、衣服の乱れるのも構わずに転げまわっている。
「ソラ、私に乗って!」
「いいや、ソラが跨るのは私だ」
「それならまずわたくしに!」
「また私に乗る~?」