兵士は息を切らせつつも、真っ青な顔で震えている。脂汗が、真っ赤な絨毯にシミを作った。
「ご……報告……申し……上げます……!」
「よいから、はよう言わんか」
「魔王の残党を追っていたところ……まったく正体不明の魔物に襲撃され……部隊が全滅……いたしました……!!」
謁見の間がざわめいた。
「全滅!? どういうことだ!? 何に遭遇したのだ!?」
兵士から詳しく話を聞くと、王は〈魔女〉に【遠隔透視魔法】を使うことを命じた。
【遠隔透視魔法は】念じた場所に〈眼〉を飛ばし、その場の風景を映し出すことができる、上級魔法だ。
「お任せですー!」
「まあ、どんな魔物でも俺たちで行きゃあ、秒だけどな!」
〈魔女〉が片目をつむると、玉座の横にある垂れ幕に、スライムがでーんと映し出された。
「なんだ……こんなものを相手にどうして我が精鋭が……」
――ぱくんっ
視界がスライムに包み込まれ、映像がパリンと割れた。
「ミギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
〈魔女〉は片目を押さえながら、絨毯の上に仰向けに倒れた。悲鳴を上げながら転げ回る。
「おい、マジかよ……大丈夫かよ……」
この状況を見て、大丈夫だと言える人間はいないだろう。〈聖女〉が慌てて【ヒール】を使ったが、目覚める様子はない。
「これは……まさかこんなものが……実在するとは……!」
グルーエルの顔が蒼白になった。
「なんなのだ!? なんなのだいまの怪物は!?」
「はっ! 神に選ばれし魔法の使い手〈魔女〉の魔法が、あのように破られることを……鑑みますと……やはり結論は……」
王冠の隙間から、汗が流れ落ちた。
「魔王を超える……〈Sランク〉に相当する……怪物かと思われます……!!」
「S……ランク……だと……この世に……そんなものが……!!」
「現に……〈魔女〉は……」
ヒイヒイと涙を流し続ける〈魔女〉は、側近たちの手で医務室に運ばれていった。
「この世の……終わりが来るのか……」
先ほどのお祭りムードは一転し、王の絶望が謁見の間を満たした。
* * *
「数百年見ないうちに、世界は変わったな。ただの道に石が敷いてある」
俺たちは、のんびりと石畳の道を歩いていた。このまま行けば、町にでも着くのだろうか。どれだけ遠いかはわからないけれど、体力には自信がある。さっきミュウが助けた女の子は、俺が肩車していた。
この先、いったい何が待っているのだろう。ワクワクしつつも、ちょっと怖くはある。
「何を不安げな顔をしているのだ。安心しろ、お前は世界一の錬金術師だ」
エルダーリッチは、俺の肩をポンと叩いた。
「そうだといいんだけどね……」
まあ、何があろうと、みんなの力があれば乗り越えられるだろう。
「お腹空いてないか?」
女の子に尋ねてみる。
「少し……空いてます……」
「ホエル、豆のパンを出してやってくれるか?」
「は~い」
そんなやり取りをしながらミュウを見ると、何やらむしゃむしゃと食べている。
「さっそく何か見つけたか?」
「ヨクワカラナイケド、タベタ!」
「相変わらずだな、お前は」
ミュウは、嬉しそうにぽいんぽいんと跳ねている。
「みゅ! ソトノセカイ、タノシイ!」
「そうだな。森になかったものが、いっぱい食べられるといいな」
俺たちの旅は、いったいどこへ続くのか。今は誰にもわからない。
でもきっと、わからないから、面白いのだ。
俺もずいぶん成長した。
名前:如月 空
年齢:20
性別:男
称号:悪魔の森を統べる王
レベル:2000
【HP】120000
【MP】140000
【攻撃力】64000
【防御力】55000
【耐久力】58000
【精神力】72000
【素早さ】57000
【器用さ】72000
【運】68000
スキル:【錬金術】【豪力】【阿修羅】【暴風】【共鳴】
【獄炎焦熱】【絶対零度】【疾風迅雷】【天衣無縫】
【食いしんぼう】【完全擬態】【永久機関】【破壊光線】
ユニーク合成スキル:【界面爆轟】
これで、やっていけないってことはないだろう。
俺たちは靴音高く、丘にうねる道を歩いて行った。
最初は、なんて馬鹿な奴だろうと思っていた。
人間の少女に似た姿をしているとはいえ、頭には角が生えているのだ。
この世界にいる者なら、誰だってその存在を知っているだろう。
魔王、であると。
しかしあいつは、私の角を気にも留めない。
なんて馬鹿な奴だろう。
聞くところによると、世界は酸い物と苦い物と甘い物でできているという。
苦みはもう散々だ。
なにが酸いのかは、長く生きていてもよくわからない。
必要なのは甘い思いをすること。
そのために他者を利用する。
すべての生き物が、そうしているように。
あいつはなかなかの実力を備えている強者だ。
利用すれば、少しばかり甘い思いもできようかと、私はそんな考えでいた。
少しばかりの甘い思い。
そこから野望を膨らませて、私は再び魔物の王へと返り咲く。
ひとつ計算違いがあったとすれば、それはあいつがあまりにも甘すぎたこと。
私が求めていたよりも、ずっと、ずっと――ソラという男は甘かった。
* * *
俺の肩の上で豆のパンを食べながら、おずおずといった様子で少女は答える。
角について尋ねたかったが、体のことでもあるし気が引ける。なので状況について尋ねることにした。
「サレン。君はどうして、兵士に追われていたんだ? お父さんやお母さんは?」
「……わからない」
「ソラ」
呼んだのはエルダーリッチだ。黒い髪を風にそよがせて、何百年ぶりかの外を味わっている。
「あとでふたりきりで話がある」
「サレンのことでしょう? いま話せばいいじゃない」
口を挟んだのはリュカ。彼女の正体は、悪魔の森を治めていた獄炎竜リンドヴルムだ。人間のかたちをとっている今も、その瞳には赤い炎が宿っているように見える。
「内緒話でこそこそなにかを決めるのは、陰険だわ」
「お前は直情過ぎる」
次はフェリス。またの名を蒼氷狼フェンリル。かつては悪魔の森のなわばりをリュカと争っていた。それでも今ではすっかり仲良く――。
「陰険だろうがなんだろうが、ソラにとって最善の策を採るべきだ」
「そうやってソラが自分のことばかり考えてたら、私たちはついてきてないでしょう? 大切なのはプライドを持つことよ」
「そんなものを大事にして生きていけるほど、外の世界が甘いといいな」
「どんな世界であれ、生き方は貫くべきよ!」
「独りよがりは相変わらずか」
「なんですって!? 私はソラのことを考えて……!」
――まあ、多少の摩擦はある。
「それならわたくしも話がございますわ、お兄さま」
メガネをクイッと上げて言った彼女はフウカ。小さな女の子だが、その正体は雷を操る不死鳥だ。
「わたくしが考えるに、サレンは外で最初に出会った相手ではありますけれど、他の人間に追われている身でもあるようですし、かばい立てすればこちらに累が及ばないとも限りませんわ、ここは安全策を採って……」
フウカの話は、基本的に終わらない。
「みんなお話するの好きだね~」
このぽやぁっとした女の子はホエル。こう見えても世界最大の魔物である白鯨なのだ。
「ボク、サレン、タスケタ! ダカラ、イッショニ、イク!」
足下でぽいんぽいんっと跳ねる小さな相棒、ミラクルスライムのミュウ。
というわけで、全員で会議をするような感じになってしまった。
サレンの目の前でできない話も出てくるだろう。俺はサレンを肩から下ろした。
「ほら、あそこにお花畑がある。ちょっと遊んでおいで。大事なお話があるからね」
俺はこんな子供だましの言葉しか思いつかなかった。しかしサレンは、
「……わかった」
素直に俺の言葉を受け入れて、花畑へと入っていった。
「迷子にならないようになー!」
振り向くと、ミュウとホエルを除いた四人が深刻そうな顔で俺を見ていた。
最初に口を開いたのは、エルダーリッチだ。
「ソラ、注意しておけ。あの女の子は魔物だ」
「魔物に対して偏見があるみたいね」
リュカが口を挟む。
「でも、エルダーリッチの言うとおりだわ。においでわかる」
「あの子には俺たちをどうこうできる力はないよ」
実はあの子を最初に見たとき、俺は《鑑定》を使っていたのだ。
「レベル12の吸血鬼だ。こう言っちゃなんだけれど、敵じゃない」
「ソラ、レベルだけで敵を判断するな」
フェリスが真っ直ぐ俺を見据える。フウカもそこに言葉を重ねた。
「そうですわお兄さま。いくらレベルが低くても、策を弄する相手であれば、油断はできません。謀殺、毒殺、崖から突き落とす、さらにはお兄さまを寝床に引き込んで閨房術を仕掛けてくるとも限らず、優しいお兄さまはそんなことをつゆ知らず、魔の手に引き込まれてその挙げ句……」
やっぱりフウカの話は終わらない。
「私はそもそも、外の世界に住んでいた人間だ。ある程度のことはわかる。しかし何百年も時が経過したいま、その知識がどこまで通用するかは未知数だ。大切なのは、なにが危険で、なにが安全かを知ることだ。それは悪魔の森で生き抜いてきたソラにもわかることだろう」
エルダーリッチの言うことはもっともだ。
「私はね~可愛いからいいんじゃないかと思うよ~」
いまこの中で、ホエルだけが微笑みを浮かべていた。
「ソラ、ヤサシイ、アノコ、ツレテイク!」
俺のすねにぽいんっと体をぶつけてくるのはミュウだ。そもそもサレンを助けたのはミュウだった。
というわけで議論が紛糾してきた。
「こんな話を、いつまで続けるつもりだ」
と言ったのはフェリスだ。
「私たちは“原初の五柱”としてソラを王と認めたのだ。決断すべきはソラだ」
「それは確かに……そうね」
リュカの言葉で、みんなの視線が俺に向く。俺としては、答えは決まっていた。
「サレンを連れていく」
もちろん理由はある。
「俺たちは、外の世界のことをまだなにも知らない。やはり案内役は必要だ。それに」
俺は悪魔の森での生活を思い返しながら言った。
「ここでサレンを見捨てるような俺たちなら、いまここにいないはずだ」
みんなが頷いた。
「ソラがそう決めたのなら、それでいいわ」
「しかし警戒は怠るなよ、ソラ」
「そんなことを言って、リュカさんもフェリスさんも、競争率が上がるのを怖れているのではありませんの?」
フウカがニヤリと笑う。
「そんなわけないでしょ!」
「ゲスの勘ぐりだ」
こんなときは、リュカとフェリスも息が合うらしい。俺たちは花畑に向かって歩き始めた。
「ソラ」
エルダーリッチが言った。
「本来、吸血鬼という種族は角を持たない。サレンが特殊な存在であることは確かだ。フェリスの尻馬に乗るわけではないが、注意は怠らないように」
「わかってるよ。君たちに危険を冒させるようなことはしないつもりだ」
「ソラ~」
ホエルが、俺の首をきゅっと抱きしめる。大きくて柔らかいものが二の腕に当たる。これにはなかなか慣れない。
「ソラはね~そういう優しいところ大事にするといいよ~」
「その、なんだ、ありがとう……」
そうしているうちに、サレンが花を摘んでいるところへと辿り着く。
「……なにか、決まったの?」
「ああ、決まったよ」
俺はサレンに言った。
「君は、どこか行きたい場所があるのかな?」
「……べつにないわ」
「それなら、俺たちと一緒に来て欲しい。俺たちは田舎者でね、あまりこの辺りのことに詳しくないんだ」
「……わかった。また豆のパンをくれるなら、いいよ」
「決まりだな、これからよろしく」
俺はサレンの、小さな手を握った。
* * *
あっという間に兵士を蹴散らしたあのスライムには驚いた。
だが様子を見るに、ソラとかいう男もその取り巻きの女たちも、それ相応の実力を備えているらしい。
これは思わぬ収穫だ。
私が力を取り戻すのに、大いに役立ってくれるだろう。
さっそくだが、私は小さくてもいいから拠点を築きたかった。
「ソラ、あの先に小さな村があるよ」
私は声をかけてみる。
「そうなのか。食料の調達ができそうだな」
やはりだ、ソラは村を襲う気だ。実力を見る良い機会が訪れたらしい。
* * *
俺は腕を組んで考え込んだ。
「さっき兵士を倒したばかりだ、争いは避けたいな。村の様子を知れたらいいんだが」
「マカセテ!」
ミュウがぷるぷるっと震えると、ぽんっと黒くて丸いものが頭から飛び出した。
黒くて小さいタピオカのようなものが、フワフワと宙に浮いている。
「ミュウ、これは?」
「テイサツ、スル!」
黒いタピオカは、サレンが指さした方向へと飛んでいった。すると、俺たちのすぐ近くにスクリーンのようなものが現れて、映像を映し出した。これは、あのタピオカから見えているものらしい。俺はスクリーンに《鑑定》を使ってみる。
《遠隔透視魔法》
「ほんとに、どこでなにを食べたのやら……」
我が相棒ながら、ミュウはほんとに不思議なやつだ。
やがてスクリーンに、村が映し出された。中世を舞台にしたゲームで見るような、木の柵で囲われた素朴な村だ。しかし。
「若い人間が少ないな……」
呟いたのはエルダーリッチだ。
彼女の言うとおり、村は老人と子供ばかりだった。老人たちは、暗い顔で畑で作物を収穫している。子供はその手伝いをしていた。老人も子供も、みな痩せていた。
細い根菜を引き抜いては、カゴに入れていく。どう見ても豊作には見えない。
「俺たちに食料を分けるような余裕はなさそうだな」
「そういうときこそ、錬金術の出番ではないかな」
エルダーリッチは続ける。
「もちろんそれは君の力だ。使い道は君が決めるべきだろう」
「………………」
仮に村の人々を助けるとして、俺たちは魔物の一行だ。受け入れてくれるだろうか。
スクリーンには、変わらず痩せた老人と子供の暗い顔が映し出されている。彼らを俺の力で救えるのであれば、それ以上のことはない。
「悩んでいるのか? ソラ」
フェリスが言った。
「ソラには力がある。拒まれれば押し通せるし、敵対されれば跳ね飛ばせる。ソラはソラのやりたいことをやるべきだ」
「そうですわお兄さま! わからない相手にはガツーンと一発キメてさしあげれば、誰だって立場というものがわかるものでしてよ!」
俺はフェリスとフウカの言葉に、苦笑いする。
「そんな乱暴なことをするつもりはないよ。ただ俺は……」
「あの村の人たちを~助けたいんだよね~?」
ホエルが言った。その言葉を継ぐようにリュカが、
「そうよ、ソラは困っている相手を見捨てないもの!」
悪魔の森での体験を、リュカは思い返しているのかもしれない。
「君は本当にわかりやすい男だ。そして根っからのお人好しだな」
エルダーリッチが言った。
「君は、君の思うところを為せ」
「わかったよ。さあ、行こう! ……と、その前にだ」
俺は近くの林にある、木の蔓を《分解》して《生成》した。
「サレン、これを被って」
即席の麦わら帽子みたいなものだ。村の人々を少しでも怖れさせないためにも、角は隠した方がいいだろう。
「……わかった」
サレンは素直に俺の作った帽子を被った。
しばらく歩くと、ミュウがスクリーンに映し出していた村に辿り着いた。
映像どおり、ひどい有様だ。
崩れかけた家、乾いた畑、村の人々のボロボロの服。
「みゅ!」
「ひいっ!」
畑を耕していた老人や子供は、ミュウを見るなり、鋤を放り出して村の奥に逃げ込んだ。
「やはり歓迎は……されないか」
村の入り口でしばらく考え込んでいると、さっきとはまた別の老人が現れた。
おそるおそる、と言った様子で近づいてくる。
「わしは……ここの村長じゃ……」
恐怖をこらえるようにして、村長は言った。
「わしらのようなもんは、煮ようが焼いて食おうが構わん……しかし子供達だけは……子供達だけはどうか見逃してはくれまいか……」
そう言って、村長は地面に手をついた。よほど、俺たちが凶悪に見えているらしい。ミュウを連れているだけでこの有様だから、よほど魔物というものが怖れられているのだろう。
「顔を上げてください」
俺はなるべく村長を刺激しないように言った。
「この村がどういう状況か、ある程度は把握しています」
「わしらを襲いに来たわけでは……」
「俺たちは、あなたがたの力になりたいんです」
その言葉を皮切りに、隠れていた村の人たちが次々と姿を現した。
「力になる……というと?」
「まずはそうですね、ご飯かな」
俺はうち捨てられたカゴからこぼれた、痩せた根菜を手に取った。
《鑑定》
〈ホクホクカブ〉
俺はさらに《鑑定》を試みて、それが何でできているか、どのような養分によって成長するのかを確かめた。
「必要なのは窒素、リン酸、カリウム……」
無数の物質を、洗い出していく。
「そして光合成で生成されるデンプンにショ糖、それから水分……」
俺はそれら必要な物質を大地から《抽出》し、痩せたホクホクカブの表面に定着させる。そして再び《合成》を行う。
すると。
「おおっ……!」
村の人たちからどよめきが起こった。ホクホクカブが、どんどん膨らんでいく。つややかでずっしりとした白い輝きを放ち始める。俺はそれを村長に手渡した。
「こんなホクホクカブを見たのは何年ぶりじゃろう……いったいどうやって……」
「俺は錬金術師です。これくらいのことはできます」
「そなたは錬金術師であったか……錬金術師がまさか、こんな村に来てくださるとは……!」
村長は涙まで流し始める。
そのままかぶりつこうとする村長を、俺は止めた。
「せっかくですから、消化の良いスープにしましょう」
おそらく村の人々は、長いことまともな食事を取っていない。そこでいきなり生の野菜をたっぷり食べたら、消化不良を起こすかもしれない。