バスが揺れる。見知った街中からだんだん離れ、高速道路に乗ってやっと到着したのは、大きなグラウンドだった。
 インターハイに出場するサッカー部の応援に、学校が有志を募ってM県にまで応援に来たのだ。今回は学校の応援団がサッカー部に行けることになったので、わたしたちもそれに混ぜてもらう形で、一緒に参加することになったんだ。

「すごいね、滝くん二年連続インハイにレギュラーで出場するんでしょう!?」
「今回はスカウトの人も来てるんだって!」
「すっごい!!」

 わたしたちと同じく応援団に混ざっている滝くんのファンの声はけたたましく、思わず沙羅ちゃんを見たけれど、沙羅ちゃんは苦笑して首を振っているだけだった。あの子たちに目を付けられないよう、わたしと蝉川くんの件で滝くんと交流を持つようになった今でも、沙羅ちゃんと滝くんはよきクラスメイトのままだった。

「沙羅ちゃん、いいの?」
「別にいいよー。こういうのって、私ひとりでどうこうできるものでもないし。それより、泉ちゃんは蝉川くんに渡したいものあるんでしょう? ちゃんと持ってきてる?」
「うん……持ってきてるけど、渡せるタイミングあるのかなあ」

 わたしは持ってきている鞄をぎゅっと抱き締めながら背中を丸める。持ってきているのは神社で買ってきた【必勝祈願】のお守り。ふたつも持ってきてもしょうがないよねと、ひとつだけ持ってきた。
 ゴミ捨て場で、するつもりもなかった告白をしてから、インターハイまで、特にそれらしいことはなかった。
 夏休みに入っちゃったんだから、学校には用事がないと行かない。蝉川くんはサッカー部の練習があるし、わたしはわたしで夏休みの貸し出し期間中の当番に出ていたけれど、全然会わなかった。
 ただ好きと言っただけ。向こうもそうだったと答えただけ。
 そもそもわたしには「付き合ってください」と言えるような度胸はなかったし、試合前だから追い込みの練習が増えて忙しい蝉川くんにそれ以上なにも言うことはできずに、今日を迎えてしまった。
 辿り着いたグラウンドの周りも、応援に来た人や物見遊山でサッカーを見に来た人、地元テレビ局やスポーツ紙のカメラを持った人たちで溢れている。それらを横目で見ながら、わたしはきょろきょろとした。
 まだ試合までに時間があるけれど、それまでにお守りを渡さないと意味がない。
 絵美ちゃんはわたしの挙動不審さに笑いながら肩を叩く。

「大丈夫だって。お守り渡すくらいのタイミングはあるからさ。今はアップのためにグラウンドの周りを走ってる頃じゃないかな。もうそろそろ戻ってくるから、そのときにでも渡しなよ」

 新聞部でいつに取材に行けば大丈夫か事前に打ち合わせしているんだろう。絵美ちゃんは本当に詳しい。わたしは頷きながら待っていたら、だんだん見慣れたユニフォームの集団が走ってくるのが見えてきた。
 知っている顔も多いけれど、試合前のせいなのか集中していて、皆顔が真剣そのものだ。その空気を壊してしまいそうで、なかなか声をかけづらい。わたしがひるんでいる間に、絵美ちゃんがぐいっとわたしの腕を取って、その集団のほうへと歩いて行った。

「はあい、新聞部でーす。試合前に突撃インタビューに来ましたんでよろしくお願いしまーす」
「え、絵美ちゃんってば……!」

 新聞部がぎょろっとこちらに視線を合わせるのに、わたしは必死で唇を噛んで悲鳴をこらえる。怖い怖い怖い、試合前のピリピリしている男子、本当に怖いっ。
 わたしがプルプルと震えている中、見慣れた金髪が揺れてひょっこりと顔を出した。

「あーっ、泉! 応援来てくれたんだ。わざわざM県までありがとうなっ」
「えっと……うん、言わなくってごめんなさい……応援団に入れたから、そこでバスに乗せてもらって……」
「そっかそっか」

 蝉川くんがにこにこしながら頷くのに、わたしはたまりかねて縮こまる中、絵美ちゃんはキャプテンさんにインタビューに行く前に、どんと背中を大きく叩いた。
 向こうのほうでは苦笑して沙羅ちゃんが待っている。多分本当は絵美ちゃんに着いていって、ひと言くらい滝くんに応援の言葉をかけたいところだろうけど、これだけギャラリーたくさんいる上に、滝くんのファンの子たちが黄色い声上げている中で行くのは難しいんだろう。さっきから滝くんに対して黄色い声が上がっているけれど、それを当の本人は無視している。
 絵美ちゃんはインタビュー用にボイスレコーダーのスイッチを入れながらすれ違い様にわたしに言う。

「ほら、沙羅と違ってあんたはちゃんと言えるんだから、ちゃんと言うの。あと渡すもんちゃんと渡しなさい。もうすぐ試合なんだから」
「は、はい……」

 そのままキャプテンさんと話し込みはじめた絵美ちゃんをよそに、わたしは縮こまりながら蝉川くんと向かい合っていた。

「えっと……この間神社に行ってきて、買ってきたの……」
「へえ?」

 きょとんとしながら蝉川くんがこちらに向いてくるのに縮こまる。
 も、もう時間だってないし、監督さんやマネージャーさんも時間を気にしはじめたし、わたしひとりがうじうじしていてもしょうがない。
 意を決して鞄に手を突っ込むと、お守りを紙袋ごと差し出した。

「あ、あの……これ……受け取って……!」
「えっ……これってお守り?」

 これ以上は恥ずかし過ぎて、わたしはしゃべることもできずに首を縦に振ること以外できなかった。
 ただ蝉川くんは、わたしの差し出したお守りを受け取ると、満面の笑みを浮かべるのだ。

「ありがとうな、絶対に勝つ」
「う、うん……」

 途端にサッカー部から口笛が飛び、わたしはますますいたたまれなくなって、そのまま沙羅ちゃんのほうへと逃げ出してしまった。こちらに蝉川くんはにこにこしながら手を振ってるものの、わたしは小さく振り返すことしかできなかった。
 取材も済んだ絵美ちゃんは、さっさとわたしたちのほうに戻ってきて、一緒に応援団のほうへと移動する。
 絵美ちゃんは意外そうな顔でわたしのほうを見ていた。

「あらら、いつの間に泉、蝉川から呼び捨てされるようになってたの?」
「えっと……ちょっと前から……」
「ふうん。あんたも名前で呼んであげればいいのに。ちょっと前までは「レンくん」「レンくん」と呼んでて、最初はいったいどんな罰ゲームさせられてるんだろうと思ってたけど、見てたらなあんか微笑ましかったからねえ」
「やめて絵美ちゃん。それはわたしの黒歴史」

 いたたまれなくなって、タオルでボスンと顔を隠す。日当たりがいいから、試合観戦中は絶対にタオルを首から外すなと言われている。
 今日も炎天下だから、観戦中もペットボトルのドリンクは欠かせない。この中で試合に出るんだから、サッカー部の皆も大変だ。
 ……毎朝毎朝、それこそテスト期間中以外はずっと練習してたんだから。勝って欲しいなあ。お守りが効くとか効かないとか関係なく。
 わたしたちがそれぞれ席に座り、応援団の人に応援の説明を受けている間に、ホイッスルが鳴り響く。
 試合がはじまったんだ。

****

 よりによって初戦で去年の優勝校に当たったもんだから、いったいどうなるのかなんて、最後の最後まで試合の行方はわからなかった。最終的にはPK戦になってしまったけれど、結果的に軍配が上がったのはうちの学校だった。
 声が枯れるまで応援して、点が入ったときは一生懸命手を叩いて応援していたので、最後の最後に勝ったときは、皆で抱き合って喜び合っていた。
 いっつもネット越しだったから、試合がどうなっているのかわかりづらかったけれど、今日はグラウンドで少し高めの位置から応援できたのもよかった。上から見たほうが、ちょっと遠くって応援が届いているのかわからないけれど、試合の様子はよく見える。
 蝉川くんはボールを繋ぐポジションで、ストライカーの滝くんまでボールを届ける役割だけれど、あっちこっちからやってくる妨害を綺麗に避けてボールを繋いでいくのは、見ながらハラハラしていた。
 いつもお調子者で、その場を明るくする彼しか知らなかったわたしにとって、こんなに格好いい彼のことを、誰も知らないんだなあと、ほんのりと寂しく思ってしまった。
 選手は宿を取っているからいいけれど、バスで応援に来た組はそろそろ帰らないといけない。帰り際に少しでも声をかけられないかなと思っていたら、試合が終わったサッカー部がぞろぞろとグラウンド裏に出てきたのが見えた。
 わたしがそわそわしているのに、沙羅ちゃんは苦笑して言う。

「ちょっとくらいだったら大丈夫だよ。バスがそろそろ動くってなったら連絡するから、早く言っておいで」
「うん……あの……沙羅ちゃんは大丈夫?」

 向こうのほうでいつもの仏頂面で滝くんが蝉川くんとなにやらしゃべっているのが見えたので、わたしは言ってみる。途端に沙羅ちゃんは顔を真っ赤にして首を横に振る。

「こんなところで声をかけたら、きっと迷惑になっちゃうから、止めとく」
「そう? じゃあちょっと行ってくるね」

 人気者を好きになると、大変だなあ。わたしはそう思いながら、走っていった。

「せ、蝉川くん……!」

 震える声で呼んだら、蝉川くんはぱっとこちらを向いて、他のサッカー部員に手を振ってこっちまで走ってきた。

「おう、勝ったぞ!」
「あ、あの……おめでとう! すっごく、本当にすっごくって……!」

 一生懸命褒めようとしているのに、興奮しているのかちっとも言葉にならない。わたしがふがふがとしていると、蝉川くんはすっと笑顔になり、わたしの頭を掻き混ぜた。
 今、汗かいてるから、頭なんて触って欲しくないのに。

「あ、あの……! わたし、汗かいてるから……!」
「いや、俺もさっきまで試合してたんだから、汗無茶苦茶かいてんぞ。まだシャワーも浴びてねえし」
「べ、別に気にしてないけど、でも……」
「うん、ありがとな。泉。見に来てんのに格好悪いところなんて見せられなかったし」

 そうしみじみと言う蝉川くんに、わたしはされるがままになりながら、きょとんとする。
 本当に見ているだけだったのに、それだけでも蝉川くんの力になれてたんだったら、それは嬉しいことだな。そう思っていたら、なんとなく口に出ていた。

「あ、あの……もし、次も勝てたら、わたしでよかったら、なにかひとつくらいは叶えるよ?」
「え」

 そこで蝉川くんは止まる。そしてきょろきょろと辺りを見回してから、もう一度わたしのほうに視線を向ける。
 え……わたし、なにか変なこと言ったっけ。そう思っていたら、さっきまでいつもよりも大人っぽい顔をしていた蝉川くんは、どっと顔を火照らせていた。

「ばっ……馬鹿……っ、お前、本当に迂闊というかなんというか……もうちょっと自分を大事に……」
「え? 蝉川くん、わたしに変なことするの?」
「し、しないけど……! あーうーうー……」

 蝉川くんは口をふがふがとさせたあと、観念したようにひとつだけ言う。

「……じゃあ、せめて。次の試合で勝ったら、その蝉川くんってもう辞めろよ。前みたいにレンでいいよ」
「……え」
「一応さ、俺らも付き合ってるんだし……俺も試合のせいで、なかなかそれっぽいことできないけどさ。なんか他人行儀みたいでやだ」
「え……」

 わたしが固まっているのに、蝉川くんはわたしの目の前でひらひらと手を振る。

「おーい、泉?」
「……えっと、わたしたち、付き合っているってこと、なんだよね?」
「この間、告白したじゃん!」

 ゴミ捨て場のあれを思い出して、わたしはますますいたたまれなくなって、縮こまる。
 ちゃんと、伝わってたんだと、今更ながら思いながら、小さく頷いた。

「わ……かった……名前、練習しておく」
「照れるなよぉ、俺だって泉にそんな顔されたら、こっちにも移るからぁ」

 ふたり揃って、顔を真っ赤にさせて、なにをやってるんだろうと思っていたら、流れを断ち切るようにわたしのスマホが鳴った。
 メッセージアプリで、沙羅ちゃんから【そろそろバス出発するよ】と入っていたので、我に返って蝉川くんに頭を下げる。

「ご、ごめん。もうすぐバス出ちゃうから!」
「お、おう。泉。明日な」

 明日、試合に勝ったら名前を呼ばないといけないんだ。
 ……勝って欲しいなと思うけれど、ちゃんと名前を呼ぶことができるのかな。わたしは蝉川くんに小さく手を振ってから、バスの停まっている駐車場まで走っていった。