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 わたしは読書が趣味の文系女子だし、スポーツ大会で花形になり、朝礼のときに表彰状を授与されている人たちとは無縁だと思っていた。
 身長が大きいし、声は大きいし、ひとりっこで男子に慣れていないわたしにはどうしてもガサツに思えて怖い。小学校の頃から持っていた苦手意識は、年を追うごとに隔たりになって、気付けば同じクラスにいる違う人種というくらいにまで、自分とは関わりのない人認定をしてしまっていた。
 だから一学期早々、委員を決める投票を見たとき、ものすごく青い顔になったことを、ようやく思い出した。
 黒板に書かれている正の字。
 図書委員の候補者で、圧倒的に多いのはわたしの名前の下。わたしが去年も図書委員をしていたのを知っていた子たちがこぞって入れたんだろうと、納得できたけれど。
 問題は男子。男子は押し付け合いをしたかったのか、候補に挙がった子は多かったけれど票がばらばら。でも明らかに組織票が働いている男子が、わずかに他の男子の票の数を上回っていたんだ。

「うわあ、誰だよ! 俺に票を入れた奴!!」

 そう頭を抱えて声を上げる男子を見て、わたしは小さく震えていた。
 髪は金髪だし、身長こそ沙羅ちゃんと同じくらいだけれど、それでもわたしよりは充分高い。声が大きいし、明るすぎる。別にわたしは根暗というわけではないけれど、テンションが違い過ぎる人は、どうしても怖いと思ってしまうんだ。
 蝉川くんに票を集中投下したのは、案の定サッカー部の男子たちだった。

「やあ、だってお前だって俺らに票入れただろ。練習時間減るじゃん」
「そうだけどさ! でもよりによって図書委員って! 俺が本を読むように思う訳!?」
「そりゃ入れるだろ。お前やかましいんだから、もうちょっと静けさを覚えろ」
「どんな説得!?」

 サッカー部の男子たちがギャーギャー言い合っているのを、わたしは縮こまって見守っていた。
 沙羅ちゃんは困ったようにわたしのほうに寄ってきて、わたしが震えているのに絵美ちゃんが抱きついてくる。

「ごめん、泉ちゃん。去年も図書委員だったし、楽しそうだったから、今年も泉ちゃんに票入れたんだけれど……」
「せめて滝だったらよかったのにねえ、よりによって蝉川かあ。蝉のようにけたたましいじゃん」
「う、ううん。いいよ。きっと部活が忙しいから、委員の当番はわたしに押し付けるだろうし……」
「こら、そこは「サボるな!」と抗議すべきところでしょ!」
「だって……どう言えばいいのか、全然わからないんだもん……」

 沙羅ちゃんと絵美ちゃんにさんざん慰められたものの、わたしはひとりで震えていた。
 サッカー部は去年、滝くんが入部してから絶好調で、他校からも女の子のファンがやってきたり、ときどきサッカー雑誌が取材に来ているのは知っている。去年は沙羅ちゃんの付き添いでインターハイを見に行ったくらいだから、サッカー部は真面目に真面目にサッカーをやっているという事実はわかってはいる。いるんだけれど……。
 滝くんは女の子にモテているにも関わらず、誰とも噂が流れないくらいに硬派だし、無口なほうだから、図書委員で一緒になっても大丈夫だろうなとは思っていたけれど。
 蝉川くんはテンションがわたしと全然違うし、背が小さいけど金髪で典型的な体育会系だ。いったいどう接すればいいのかわからないと、ついつい気後れしてしまう。
 同じ委員に決まった時点では、彼への印象が全然変わるとは想像だってしていなかった。

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「これ全部本棚に片付ければいいんだな?」
「うん……でもこれ重いから、カート使ってもいいよ?」
「いいっていいって! それは間宮が使えよ」

 意外だ。と思ったのは、あれだけ練習に行きたいを連呼していた蝉川くんは、当番をわたしだけに押し付けることがなかったことだ。たしかに練習試合で学校にいないときもあったけれど、そのときは事前に謝りに来てくれたし、当番のときだってしっかりと仕事をしてくれている。
 今日も先生が返却した分厚い専門書を何冊も持って、本棚に片付けに行ってくれている。
 重くないかなとハラハラしながら、わたしはカートに生徒から返却のあった小説を棚に片付ける。
 だいたい返したけれど、最後の一冊は台に乘らないと片付けることができない。
 わたしはきょろきょろしながら台を探していて「あちゃあ」と口の中でつぶやいた。
 本を立ち読みしていた子が、そこに座り込んで読書に没頭してしまっている。でもあと一冊で終わりなのに。わたしは困ってうろうろしていたら、既に手ぶらになった蝉川くんがきょとんとした目でこちらを見てきた。

「あれ、間宮返却終わった?」
「えっと……最後の一冊片付けられなくって……」
「ええ、台なかったか?」
「あるけど……」

 わたしはちらっちらっと奥を見る。すると蝉川くんは屈託なく、読書してしまっている子に「ごめんっ! ちょっと台使うからどいてくれない!?」と手を合わせて声をかけてしまった。わたしは思わず肩をビクンッと跳ねさせていたけれど、その子はびっくりしたように本を持って閲覧席のほうへと移動してくれた。
 それを見送り、蝉川くんはこちらのほうへ笑う。

「ほら、空いたから使えって」
「う、うん……ありがとう」

 わたしが台のほうに昇り、最後の一冊を片付け終えたら、カートを押してカウンターへと帰っていった。
 蝉川くんはにこにこしている。

「うん、ひと仕事終えたし!」
「えっと、さっきはありがとう」
「え、なに?」

 蝉川くんはあまりに屈託なく言うので、わたしはどもる。彼の中の普通は、わたしにはなかなかできないことだから。

「えっと……台を、出してくれたから……」
「別に、そんなの普通だろ?」

 彼のことを最初はあんなに怖がっていたのに、気付いたら彼に頼ることも、目で追っていることも増えていった。

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 中学時代のときから、運動部の子たちは「練習があるから、任せた!」とすぐにそれ以外の子に掃除当番を押し付けてしまうし、わたしは何回も何回も押し付けられていたから、残念だけれどそんな子たちなんだと思っていた。
 でも蝉川くんを目で追うようになってから、そんなことは人に寄るという事実を知った。

「ジャンケンポーン! 負けたぁ! ダッシュでゴミ捨ててくる!」
「おう、行ってこい行ってこい。終わったら練習場まで走りな」
「おーっす」

 蝉川くんはサッカー部の皆と一緒に掃除をしたら、ジャンケンでゴミ当番を決めて、走って練習に向かっているのが目に入った。
 わたしは不思議そうな顔で蝉川くんを見ていたら、絵美ちゃんが「サッカー部見過ぎぃー」と顎を肩に乗っけてきたので、わたしはビクンと背筋を伸ばす。

「い、いやぁ……掃除、普通にしてるなあと」
「あー。部活優先するために押し付ける奴多いもんねえ。サッカー部って遠征で授業抜けたりするの多いじゃない? だから普段からきっちりやることやってなかったら、抜けた部分のノートとか貸してもらえないから、普段から意外とやることやってるんだよねえ」
「そうだったんだ……」

 そういえば、滝くんは女子が好き好んでノートを貸してあげたりしているけれど、他の男子も意外と赤点なかったりするのは、日頃の行いのたまものだったんだなと、当たり前なことに気が付いた。 
 蝉川くんは普段から女子とも男子とも壁なくしゃべっているし友達も多いけれど、身長が運動部にしては低いせいなのか、それとも近くに滝くんみたいな格好いい人がいるせいなのか、いまいち女子にはもてない。でも本人はそれをあまり気にしてないみたい。
 怖くってあんまり関わってなかったタイプの人も、こうして見てみると、わたしたちとあまり変わらないんだなと、当たり前なことを知る。
 これで声が大きくなかったらなあ……。わたしはそう思って見ていた。別に声が大きいからといって、なにもおかしなことはされたことないけれど、小心者には大きな声は必要以上に委縮してしまうものなんだ。
 しゃべるたびに、わたしが勝手に肩を震わせているのに気付いたのか、ある日の図書委員の当番のとき、本当に唐突に蝉川くんに聞かれた。

「俺さあ、間宮になにかした?」
「え?」
「うーん……間宮と何故か全然目が合ったことないから。怖がらせるようなことってしたっけって」

 そう聞かれて、口をへの字に曲げられてしまい、わたしはどっと顔に熱を持たせた。
 変だと思われた。わたしが挙動不審だから。どうにかして蝉川くんが悪くないと、わたしはどうにか顔を真っ赤にしたまま、手をパタパタさせて言い繕う。

「いや、本当に、蝉川くんは悪くないよ? ただ……わたしが、変だから?」
「え? 別に間宮が変だとは思ってないけど」
「そ、そうじゃなくってね……わたしが勝手に怖がっているだけで……」
「いや。怖い理由がなにって聞いているんだけど」
「声……」
「え?」

 蝉川くんはあまりに屈託なく返事をするからか、わたしはぽろっと言ってしまう。

「声、大きいと、小心者は、勝手に委縮するんです……」
「ああ、それか!!」

 それでわたしが勝手に肩を跳ねさせるのに、「ああ、ごめんごめん」と蝉川くんは声を抑えて謝ってくれる。

「そっかあ、悪い。なんか間宮が怖がってるの見てたら、こっちがいじめてるみたいに感じてさあ。じゃあ今度から気を付けるからさ」
「い、いじめられているとは、思ってない、よ? い、いっつも、助けてくれるのは、蝉川くんだから……」

 わたしの言葉は、最後のほうになったらごにょごにょと小さくすぼまってしまって、みっともなくなってしまったけれど、蝉川くんは「そっかそっか」と繰り返す。

「お前うるさいとはずっと言われ続けてたけど、まさかそれが原因で女子を怖がらせてるとは思わなかったしなあ。理由もわかったし、ありがとうな」

 そう屈託なく笑うのに、わたしはまたも頬がどっと熱を持つことに気付く。
 どうにかして返事をしないとと思ったけれど、上手く言葉が出てこず、わたしは「どういたしまして……」と小さく小さく言うことしか、できなかった。

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 新聞部の部室は、いつもインクの匂いがしている。
 コンクールに出品する記事以外に、学校で貼り出す新聞だったり、文化祭に貼り出す新聞だったりをつくっているせいだろう。
 そこで手をインクまみれにして、絵美ちゃんは振り返った。校正作業を行っている新聞には、赤ペンでびっしりとなにやら書かれている。

「えっ、サッカー部の練習を見に行きたいの?」
「う、うん……サッカー部って、今どこで練習しているのか全然知らないし……わたしひとりで行っても、浮くから……」

 前は放課後で練習していたけれど、外部からもファンが見に来たり、他の学校が偵察に来たりするから、一度部員と見学者でトラブルがあったらしい。それ以降は外のグラウンドで練習しているとは聞いていたけれど、そこがどこかはわたしは知らなかった。新聞部だったら取材に行ったりするから知らないかなと思ったんだけれど。
 絵美ちゃんは「うーん」と声を伸ばす。

「なんか滝のファンがトラブル起こして以来、サッカー部も見学するの厳しくなったしねえ。でもわざわざ外の練習見に行くよりもさあ、朝練見に行ったほうがいいと思うよ? 朝だったら基礎練しかしてないから、偵察に来られてもファンがうるさくっても問題ないみたいだし、うちの学校のグラウンドで練習してるから」
「そうだったの?」
「あはは……普段学校にはギリギリで来るから、朝練してたことは知らないかあ」

 絵美ちゃんはニヤニヤと笑ってわたしを見るのに、思わず「な、なに……?」と聞く。それに絵美ちゃんは「いやあ」と笑う。

「沙羅に続いて、泉までサッカー部に落とされたかあと思ってさあ」
「だ、誰に落とされたの……!?」

 どっと顔を火照らせて、わたしは抗議するけれど、絵美ちゃんのニヤニヤ笑いは止まらない。
 沙羅ちゃんが滝くんを気にしているけれど、滝くんは普段からサッカー部員かファンの女の子たちに取り囲まれているし、本人も不愛想が過ぎる。だから同じクラスになった今でも話しかけるタイミングもなく、遠巻きに見つめているので精一杯なのは知っている。
 ……と、そこで思いついた。

「じゃあ、朝練のとき、一緒に見に行ってもいいかな。沙羅ちゃんも誘って」
「まあ、それくらいだったらサッカー部も文句は言わないと思うよ。ファンも割とキャーキャー言って朝から見てるからねえ」

 わたしが住んでいる場所は校区ギリギリなせいで、登校はどうしても予鈴が鳴る直前になってしまうけれど、早起きすれば見に行けるかな。
 見に行ってなにがしたいわけでもないけれど、いつも蝉川くんが目をキラキラさせているものがなんなのか知りたかった。
 サッカーのルールは体育の授業でやったものくらいしか知らないけれど、それで大丈夫かなあ。
 わたしはそうぼんやりと思った。