家に帰ってから、テスト範囲の暗記のノルマをどうにか終えると、休憩がてらにスマホを弄っていた。
調べてみたのは、記憶喪失に関するエピソード。
ドラマや小説のエピソードもたくさん拾えたけれど、実際にあった出来事もそれなりに拾える。最も、それは玉石混合で、本当のことなのか嘘八百なのかは、知識が足りな過ぎて判別ができない。
記憶喪失になったのは本当に一瞬で、十分間だけ一年間の記憶が全部飛んでしまって、お医者さんに年齢を聞かれたときに一歳若く答えてしまったという話。
病院に運ばれた際にに自分がどこの誰だかわからなくなったものの、身分証明できるものもなにひとつ持っていなかったせいで、警察に保護されて家族を探す羽目になったという話。
記憶喪失というものは、一過性のものと、慢性的なものにわけられるというのがわかった。
ひと月以上忘れていたら慢性的なものにカウントされ、わたしの事故の前後の記憶が抜けてしまっているのは、慢性的にカウントされるらしい。
わたしはそれに、「ふう……」と息を吐いた。
一過性のものはさておいて、慢性的なものは記憶を取り戻すことが滅多にないらしく、気になる記述があるので、そこをタップしてじっくりと読み返した。
慢性的なものは、大きなストレスを抱えることで発症してしまうことがある。そのストレスに耐え切れなくなったときに、肉体的な衝撃を受けた際に一緒にリセットボタンを押してしまうことがあると。
わたしの場合は、慢性的なものだけれど、事故の前後の記憶が飛んでしまっている以外はなにもない。つまりは、わたしが事故に遭った際に、なにかがあったということになる。
学校ではなにがあったっけか。
わたしはカレンダーをめくって、そのときの出来事を思い返そうとする。中間テストのあとに入院したんだから、普通に学校に通っていたはずだ。
時間割とカレンダーを見比べていたとき、わたしは「あれ?」とひとつ記憶にない記述が書いてあることに気が付いた。
わたしが入院していた週ではなく、テストが終了した週の日曜日、【神社】と書いてある。わたしが入院した週の日曜日には【節間グラウンド】とも。たしか節間グラウンドはスポーツや野外ライブの会場になることもある場所だ。名前は知っていても、そんな場所に足を運んだことなんて一度もないはずなのに……あのときのわたしは、ここに行こうとしていた……?
すぐにスマホで節間グラウンドについて検索をかけ、その週の行事スケジュールの確認をする。
【H県高校サッカー大会決勝】
あれ。つまりは……。
ここまで読んで、わたしは思わず頭を抑える。
サッカー部の応援に行こうとしていた、ってことで合っているよね。でも、なんでだろう……?
沙羅ちゃんが滝くんの応援をしたいから、それの付き添い? でも、もしそうだったら、沙羅ちゃんはわたしにその話題をしてもいいはずなのに、彼女からはサッカー部の話題はされない。
いや……そういえばわたし、退院してから、一度もサッカー部の話題を沙羅ちゃんからも絵美ちゃんからもされてないよ? 沙羅ちゃんは滝くんに気があるはずなのに、こんな不自然なことってある?
それに……。
この神社ってなに?
【節間グラウンド】の前の週に書かれている【神社】の字に、わたしは軽く指を滑らせる。
近所には、たしかに神社がある。土日にしか宮司さんがいないから、その日じゃないとお守りもおみくじも買えないような小さな神社だ。そこにカレンダーにまで書いていたってことは行ったんだろうけれど……。
わたしはちらっと時計を見る。まだ八時にもなってないし、今からだったらコンビニに行くとでも言えば、自転車で走ってすぐに帰ってこられる。
わたしはお母さんに「コンビニにジュース買いに行くけど、他に買ってくるものあるー?」と言いに行った。
お母さんは「テスト勉強は?」と渋い顔をしたものの、「今日は暗記だから、覚えたものは帰ってきてから問題集解いてみる」と言って誤魔化した。
****
ジリジリと鳴る虫の音を聞きながら、自転車を漕いで十分。外灯で朱い鳥居が照らされているのが見えて、すぐに鳥居の脇に自転車を停めた。
多分宮司さんはそろそろ帰っていると思うんだけれど。わたしは汗ばむのをTシャツをパタパタさせて待っていたところで、「あれ?」と声をかけられて振り返る。
スーツ姿で、ジャケットは脱いで脇に挟んでいる。一見すると一介のサラリーマンに見えるけれど、近所に住んでいるわたしは、この人がここの宮司さんだと知っている。宮司さんは平日はどこかで働いていると聞いたけれど、詳しいことは知らない。わたしが宮司さんに頭を下げると、宮司さんも「こんばんは」と返してくれた。
「この間のお守り、渡せましたか?」
そう話しかけられ、わたしはビクッと肩を跳ねさせる。……なにかお祈りにでも来ていたのかなと思っていたけれど、お守りを買いに来ていたんだ。
宮司さんもお祭りのとき以外は人が来ないから、わたしがここに来たことを覚えていたらしく、にこにこと笑いながら聞いてくれる。
わたしが少しだけ考えると、首を振った。
「どうも、落としちゃったらしくって……そのときのお守り、もう一度買いたいんですけれど」
「あー、それは残念でしたね。ちょっと待ってくださいね」
突然押しかけて来たのに、ありがたくも宮司さんはすぐに神社の社務所のほうに入ると、そこからお守りを差し出してくれた。
「たしか、これでしたね」
「あ、はい!」
わたしはそれを見て、目を見開く。
【必勝祈願】。
サッカー部の優勝祈願でお祈りに来たんじゃなくって、お守りを渡すつもりだったんだ。
わたしは宮司さんに尋ねる。
「あの、宮司さん」
「はい?」
「わたし、ひとりでここに来たんですよね?」
宮司さんは少しだけ驚いた顔をしたものの、「そうですよ。一生懸命お守りを選んで、これを買って帰りましたよねえ」と答えてくれた。
わたしは、お守りのお金を支払って、ひとまずポケットにしまい込んだ。
自転車を漕いで、風を前面で受けながら考える。
サッカー部の応援に行ったのは、てっきり滝くんの応援に行きたい沙羅ちゃんの付き添いとか、絵美ちゃんの取材の付き合いだと思っていた。でもこれじゃあ、わたしが自主的にサッカー部の応援に行こうとしていたみたいじゃないか。
てっきり、わたしが忘れていたのは、交通事故前後の記憶だけだと思っていたのに。
そんなことまで忘れていたなんて……。
図書館で読んだ本によれば、矛盾が生じてしまっても、無意識のうちにつじつま合わせをしてしまうから、忘れていても全く気にならないらしい。
なんでだろう。どうして忘れちゃっていたんだろう。
そう思い返してみても、同時にスマホで見た記事のことが頭にちらつく。
ストレスになることが原因で、衝撃と同時に記憶を手放すスイッチを押してしまうという奴。
思い出したとき、わたしは大丈夫なんだろうか。それとも、思い出さないと駄目なんだろうか。
聞いてみたくっても、誰に聞けばいいのかわからない。どうしたいのかって聞かれても、わからないとしか言えない。
わたしは、コンビニでお母さんに頼まれた牛乳を買うと、家に戻って、それを渡した。
そのあと、わたしは自分の鞄を漁りはじめた。
学校に教科書を置いて帰っているから、鞄の中にはノートや筆記用具、問題集や図書室で借りた本ばかり入っていると思っていたけれど。
わたしは鞄の中身を全部引っくり返して、ひとつひとつ確認して「あ」と気付く。
ちょうど神社で宮司さんに渡されたお守りが、神社の封に入ったまま出てきたのだ。
だとしたら……事故の前に、サッカー部の人にお守りを渡すつもりだったんだ。でも、誰に?
滝くんという線は、ない。事故に遭ってからしゃべることが増えたけれど、同時に沙羅ちゃんとの接点も増えているから。でも……運動部の人が苦手なわたしがしゃべれる相手が、他にいるの?
一瞬レンくんのことが頭によぎったけれど、首を振る。
見えない男の子に、どうやって渡せるの。だって触れもしないじゃない。
思い出そうとしても、なにか靄がかかったように、ちっとも思い出せない。サッカー部の知り合いは、彼以外に思いつかないんだ。
調べてみたのは、記憶喪失に関するエピソード。
ドラマや小説のエピソードもたくさん拾えたけれど、実際にあった出来事もそれなりに拾える。最も、それは玉石混合で、本当のことなのか嘘八百なのかは、知識が足りな過ぎて判別ができない。
記憶喪失になったのは本当に一瞬で、十分間だけ一年間の記憶が全部飛んでしまって、お医者さんに年齢を聞かれたときに一歳若く答えてしまったという話。
病院に運ばれた際にに自分がどこの誰だかわからなくなったものの、身分証明できるものもなにひとつ持っていなかったせいで、警察に保護されて家族を探す羽目になったという話。
記憶喪失というものは、一過性のものと、慢性的なものにわけられるというのがわかった。
ひと月以上忘れていたら慢性的なものにカウントされ、わたしの事故の前後の記憶が抜けてしまっているのは、慢性的にカウントされるらしい。
わたしはそれに、「ふう……」と息を吐いた。
一過性のものはさておいて、慢性的なものは記憶を取り戻すことが滅多にないらしく、気になる記述があるので、そこをタップしてじっくりと読み返した。
慢性的なものは、大きなストレスを抱えることで発症してしまうことがある。そのストレスに耐え切れなくなったときに、肉体的な衝撃を受けた際に一緒にリセットボタンを押してしまうことがあると。
わたしの場合は、慢性的なものだけれど、事故の前後の記憶が飛んでしまっている以外はなにもない。つまりは、わたしが事故に遭った際に、なにかがあったということになる。
学校ではなにがあったっけか。
わたしはカレンダーをめくって、そのときの出来事を思い返そうとする。中間テストのあとに入院したんだから、普通に学校に通っていたはずだ。
時間割とカレンダーを見比べていたとき、わたしは「あれ?」とひとつ記憶にない記述が書いてあることに気が付いた。
わたしが入院していた週ではなく、テストが終了した週の日曜日、【神社】と書いてある。わたしが入院した週の日曜日には【節間グラウンド】とも。たしか節間グラウンドはスポーツや野外ライブの会場になることもある場所だ。名前は知っていても、そんな場所に足を運んだことなんて一度もないはずなのに……あのときのわたしは、ここに行こうとしていた……?
すぐにスマホで節間グラウンドについて検索をかけ、その週の行事スケジュールの確認をする。
【H県高校サッカー大会決勝】
あれ。つまりは……。
ここまで読んで、わたしは思わず頭を抑える。
サッカー部の応援に行こうとしていた、ってことで合っているよね。でも、なんでだろう……?
沙羅ちゃんが滝くんの応援をしたいから、それの付き添い? でも、もしそうだったら、沙羅ちゃんはわたしにその話題をしてもいいはずなのに、彼女からはサッカー部の話題はされない。
いや……そういえばわたし、退院してから、一度もサッカー部の話題を沙羅ちゃんからも絵美ちゃんからもされてないよ? 沙羅ちゃんは滝くんに気があるはずなのに、こんな不自然なことってある?
それに……。
この神社ってなに?
【節間グラウンド】の前の週に書かれている【神社】の字に、わたしは軽く指を滑らせる。
近所には、たしかに神社がある。土日にしか宮司さんがいないから、その日じゃないとお守りもおみくじも買えないような小さな神社だ。そこにカレンダーにまで書いていたってことは行ったんだろうけれど……。
わたしはちらっと時計を見る。まだ八時にもなってないし、今からだったらコンビニに行くとでも言えば、自転車で走ってすぐに帰ってこられる。
わたしはお母さんに「コンビニにジュース買いに行くけど、他に買ってくるものあるー?」と言いに行った。
お母さんは「テスト勉強は?」と渋い顔をしたものの、「今日は暗記だから、覚えたものは帰ってきてから問題集解いてみる」と言って誤魔化した。
****
ジリジリと鳴る虫の音を聞きながら、自転車を漕いで十分。外灯で朱い鳥居が照らされているのが見えて、すぐに鳥居の脇に自転車を停めた。
多分宮司さんはそろそろ帰っていると思うんだけれど。わたしは汗ばむのをTシャツをパタパタさせて待っていたところで、「あれ?」と声をかけられて振り返る。
スーツ姿で、ジャケットは脱いで脇に挟んでいる。一見すると一介のサラリーマンに見えるけれど、近所に住んでいるわたしは、この人がここの宮司さんだと知っている。宮司さんは平日はどこかで働いていると聞いたけれど、詳しいことは知らない。わたしが宮司さんに頭を下げると、宮司さんも「こんばんは」と返してくれた。
「この間のお守り、渡せましたか?」
そう話しかけられ、わたしはビクッと肩を跳ねさせる。……なにかお祈りにでも来ていたのかなと思っていたけれど、お守りを買いに来ていたんだ。
宮司さんもお祭りのとき以外は人が来ないから、わたしがここに来たことを覚えていたらしく、にこにこと笑いながら聞いてくれる。
わたしが少しだけ考えると、首を振った。
「どうも、落としちゃったらしくって……そのときのお守り、もう一度買いたいんですけれど」
「あー、それは残念でしたね。ちょっと待ってくださいね」
突然押しかけて来たのに、ありがたくも宮司さんはすぐに神社の社務所のほうに入ると、そこからお守りを差し出してくれた。
「たしか、これでしたね」
「あ、はい!」
わたしはそれを見て、目を見開く。
【必勝祈願】。
サッカー部の優勝祈願でお祈りに来たんじゃなくって、お守りを渡すつもりだったんだ。
わたしは宮司さんに尋ねる。
「あの、宮司さん」
「はい?」
「わたし、ひとりでここに来たんですよね?」
宮司さんは少しだけ驚いた顔をしたものの、「そうですよ。一生懸命お守りを選んで、これを買って帰りましたよねえ」と答えてくれた。
わたしは、お守りのお金を支払って、ひとまずポケットにしまい込んだ。
自転車を漕いで、風を前面で受けながら考える。
サッカー部の応援に行ったのは、てっきり滝くんの応援に行きたい沙羅ちゃんの付き添いとか、絵美ちゃんの取材の付き合いだと思っていた。でもこれじゃあ、わたしが自主的にサッカー部の応援に行こうとしていたみたいじゃないか。
てっきり、わたしが忘れていたのは、交通事故前後の記憶だけだと思っていたのに。
そんなことまで忘れていたなんて……。
図書館で読んだ本によれば、矛盾が生じてしまっても、無意識のうちにつじつま合わせをしてしまうから、忘れていても全く気にならないらしい。
なんでだろう。どうして忘れちゃっていたんだろう。
そう思い返してみても、同時にスマホで見た記事のことが頭にちらつく。
ストレスになることが原因で、衝撃と同時に記憶を手放すスイッチを押してしまうという奴。
思い出したとき、わたしは大丈夫なんだろうか。それとも、思い出さないと駄目なんだろうか。
聞いてみたくっても、誰に聞けばいいのかわからない。どうしたいのかって聞かれても、わからないとしか言えない。
わたしは、コンビニでお母さんに頼まれた牛乳を買うと、家に戻って、それを渡した。
そのあと、わたしは自分の鞄を漁りはじめた。
学校に教科書を置いて帰っているから、鞄の中にはノートや筆記用具、問題集や図書室で借りた本ばかり入っていると思っていたけれど。
わたしは鞄の中身を全部引っくり返して、ひとつひとつ確認して「あ」と気付く。
ちょうど神社で宮司さんに渡されたお守りが、神社の封に入ったまま出てきたのだ。
だとしたら……事故の前に、サッカー部の人にお守りを渡すつもりだったんだ。でも、誰に?
滝くんという線は、ない。事故に遭ってからしゃべることが増えたけれど、同時に沙羅ちゃんとの接点も増えているから。でも……運動部の人が苦手なわたしがしゃべれる相手が、他にいるの?
一瞬レンくんのことが頭によぎったけれど、首を振る。
見えない男の子に、どうやって渡せるの。だって触れもしないじゃない。
思い出そうとしても、なにか靄がかかったように、ちっとも思い出せない。サッカー部の知り合いは、彼以外に思いつかないんだ。