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 授業が終わり、図書館で勉強するか、そのまま家で勉強するかで考え込む。
 相変わらず絵美ちゃんは部室で勉強しているし、沙羅ちゃんはさっさと家に帰ってしまうし。
 でもなあ……図書館のカウンターで勉強していたら、レンくんに会うのかもしれない。いるのかどうかわからないけれど、一緒にいると落ち着かないし、いるのかもしれないしいないのかもしれないとそわそわしていたら、勉強に集中できない。
 仕方ないから家に帰ろうかなあ。そう思って廊下に出ていたとき。
 意外な組み合わせが立ち話しているのが見えて、思わず角に身を寄せてしまった。
 しゃべっているのは、沙羅ちゃんと滝くんだ。
 沙羅ちゃんは滝くんに気があるけれど、滝くんがなにを考えているのかはいまいちわからない。
 ふたりの接点なんて、せいぜい同級生くらいだ。何故か事故に遭ったあとからわたしに対してはいろいろ声をかけてくれるときもあるけれど、沙羅ちゃんとなにかあったのかなんて、はじめて知った。
 いつの間にふたりは世間話するくらいの関係になったんだろう? 思い返してみても、沙羅ちゃんは滝くんと話をする際にわたしを盾にしてしゃべっていて、まともにふたりだけでしゃべることはなかったと思うんだけれど。

「それで、間宮は大丈夫そうか?」

 滝くんはいつものぼそぼそとした口調で言う。何故わたしの話題なんだろう。テスト前なんだから、テストの話でもすればいいのに、自分に気のある女子の前で他の子の話をしなくってもいいのに。
 思わずむっとしてしまったけれど、対する沙羅ちゃんはショックを受けている様子もなく、返事をしている。

「うん……相変わらず、だけどね」

 沙羅ちゃんはいつものおっとりとした声で、そう言う。
 滝くんは形のいい眉にあからさまに皺を寄せる。

「一応聞くけど、具合は本当になんにもないんだな? ときどき保健室に行っていたみたいだが」
「うん、最初は声が聞こえ過ぎてパニック起こしてたみたいだけれど、ひと月経ってからは落ち着いてる」
「そうか」

 ふたりの話を聞いていると、どうにも落ち着かない。どうしてわたしの体調の話題をしているんだろう。わたしをネタにせずとも、他に話題はあると思うんだけどなあ。
 立ち聞きしているのも難だから、このまま立ち去ろうと思って踵を返したところで、滝くんの声がボソリと聞こえた。

「あいつのこともか?」
「……滝くんには悪いけれど、私は許せそうもないよ」

 そこであからさまに沙羅ちゃんの声に棘が入り混じったことに、わたしは思わず足を止めた。
 前にもそんなときがあったと思い返す……そうだ、沙羅ちゃんが誰かとしゃべっているとき、あからさまにしゃべってた相手に対して怒っていたんだ。
 ちょっと待って。その怒っている誰かとわたしが、どうして結びつくの。
 思わずそのまま聞き耳を立てていたけれど、沙羅ちゃんの言葉に対して、あからさまにしょげたような滝くんの声が聞こえるだけだ。

「すまん……」
「あ、本当に滝くんには怒ってないんだよ? 本当だよ」
「だが、あいつは人がよすぎるから」
「人がいいのと、調子がいいっていうのは全然違うよ……ごめん、ちょっと言い過ぎた気がするね」
「いや、すまん。本当に」
「滝くんは、本当に謝らなくっていいと思うの……!」

 沙羅ちゃんが吐いた毒にショックを受けているらしい滝くんを、沙羅ちゃんは必死でフォローしようとする会話に切り替わったところで、わたしはようやく廊下をあとにした。
 いったい、どういうことなんだろう……? なにかを隠されているような気がするけれど、今までは気付かないふりをしていた。でも、そろそろ向き合わないといけないのかもしれない。
 学校を出るまで、不定期に声をかけてくるレンくんの声は、聞こえなかった。何気なくスマホをかざして辺りを見てみたけれど、やっぱりいなかった。
 ……うん、レンくんがいつもわたしの近くにいるわけじゃない。でもそのことについては、もうちょっと考えたほうがいいのかもしれない。

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 テスト勉強をどうしようと考えあぐねて、遅れてしまった化学の暗記をしないといけないと、心を鬼にしてやってきたのは、近所の市立図書館に設置されている自習室だった。
 そこは大学受験生や試験勉強に使っている人しかいないし、図書館の中にあるものだから、コンビニやハンバーガー屋みたいにしゃべりまくる人もいない。
 わたしはそこで化学の暗記に躍起になり、問題集をひとつひとつ解いていく。
 問題集の答え合わせをして、どうにか赤点は免れそうだなとほっとひと息ついたところで、隣の女の子が本を読んでいることに気が付いた。どうもその子もテスト勉強のために自習室に来たけれど、ノルマが終わったから図書館のほうから本を借りてきたみたいだ。
 自分へのご褒美として、本を借りに行くのもいいなあ。そうゆるゆるとしたご褒美を求めて、わたしも図書館に行く。
 夕方で、人が程よくはけた図書館で、新刊コーナーを漁る。面白そうな本はないかなと思ってあれこれ手に取っては読み、手に取っては読みを繰り返していたところで、司書さんが返却本を積んで本棚に立てているのが目に留まった。
 その本の一冊を見て、思わず目を見張る。

【脳の全て】

 普段だったらわたしは物語以外の本にはあまり興味がなく、スルーしているものだったけれど、どうしても目が離せなくなった。

「あの、この本って読んでも大丈夫ですか?」

 わたしは作業をしている司書さんに声をかけて、本を指さすと、当然ながら司書さんは不思議そうな顔をした。

「もちろんかまいませんが……こちらで大丈夫ですか?」
「はい!」
「もし返却する場合はカウンターまでお持ちくださいね」

 司書さんが差し出してくれたのにわたしは頭を下げてから、いそいそと閲覧席へと持っていった。
 その本は生物の授業で見たような脳の構造からはじまって、脳の機能の低下によって起こる病気や現象によってあれこれと書かれている。
 授業でちょっとだけ先生が触れたことあるなあと思いながらパラパラとめくっていたところで、【記憶喪失によって起こる現象】とタイトルの付けられた章に、目が留まった。
 これだと思って、わたしは慌てて文に上から下まで順番に目を通す。
 脳が衝撃を受けた際に、保存していた記憶を失うことがある。怖いものだったら脳に損傷が起こって、人生を送っていく中で覚えていく人間的活動の方法まで忘れてしまうという恐ろしいものもあったけれど、他にも見逃され勝ちな問題として挙げられているものがあった。
 記憶を失っていても、それに全く気付かないものというのが書かれている。
 人間の脳というものは本当に人間にとって都合よくできていて、忘れていて矛盾が発生しても、無自覚の内にそれのつじつまを合わせてしまうことで、忘れていることに気付かないということがあると。
 わたしは今自分の身の上で起こっていることを思い返しながら、ようやくわたしは図書館を出る決心をした。
 カウンターに本を返し、貸してくれた司書さんにお礼を言うと、わたしは図書館をあとにした。
 病院で行っても、やっぱりわたしの後遺症らしいものは見つからない。先生もわたしの体にはなにも問題ないとしか言わない。
 でも……未だに思い出せない事故当時の記憶。
 わたし、本当に大事なことを忘れてない?
 なにも忘れてないんだったら問題ないけれど、なにか忘れているのかもしれないというのは、ずるずるとわたしの影にくっついてくる。後ろめたいと思ってしまうのは、大事なことを見落としていないかと不安に駆られてしまうからだ。
 わたしは、いい加減このことについて向き直らないといけないんじゃないだろうか。
 それが正しいのかなんて、わからないけれど。