****

 土曜日は、天気予報でも梅雨の中休みだと説明され、じめっと湿気は溜まっていたけれど、雨だけは降りそうもなかった。
 久しぶりにいい天気な中、わたしはどうにかして可愛い服を探し出していた。
 デニム地のワンピースは、季節が中途半端だったために真夏に着るには暑すぎて、でも春先だと寒すぎてしまい込んでいたけれど、今日だったら着られそうと引っ張り出してきたものだ。靴は可愛いスニーカーを引っ張り出してきて、それを履いた。
 わたしは全然見えないのに、レンくんが声をかけてくれるような格好じゃなかったらどうしようと、そう気を揉みながら矢下公園を目指した。約束の時間までまだ三十分はあったけれど、人を待たせるよりも待つほうがマシだと思って早めに移動を済ませてしまう。
 紫陽花が植えられて、それを眺めながらベンチに座る。じめっとした空気だけれど、晴れていたせいかベンチに水は溜まっていなかった。そしてグラウンドのほうを眺めて「しまったなあ……」とぼんやりと思った。
 グラウンドのほうでは、見慣れたユニフォームが走り回っているのが見えたからだ。うちの学校の名前が入ったサッカーユニフォームで、今は紅白試合をしているらしく、ビブスの色で組み分けして激しいボールの奪い合いを繰り広げている。
 ここは普段学校の授業で使うことはあっても、休みの日まで足を伸ばすことはなかったから、部活でまで使っていることは知らなかった。ましてやサッカー部なんて情報規制がかかっているせいで、休みの日はどこで練習しているのかさえ知らなかった。これって学校の人たちにわたしが挙動不審になっているのを目撃されるんじゃあ。
 どうしよう、ここでひとりで待ってていいのかなと、わたしはきょろきょろと辺りを見回そうとしたとき、タイミング悪くボールが転がってきた。距離が遠かったせいで、ボールの勢いは弱まり、わたしの足元まで転がったときには運動神経が鈍いわたしでも取れる程度の勢いになってくれていた。
 それで慌ててこちらまで走って来る人がいた。滝くんだ。

「ああ、間宮。悪い」
「え、うん。はい」

 滝くんはいつもの不愛想な表情のまま、わたしが持ち上げたボールを受け取ると、わたしの格好をちらっと見る。
 休みの日だったらTシャツとジーンズでうろうろしていると思う。一日制服を着てくたびれているのに、出かける日でもないとわざわざ可愛い服なんて着ない。男の子はそれがわかるんだろうか。わかったらわかったで気まずいんだけれど。
 わたしは表情の読めない滝くんの視線に縮こまっていたら、彼はいつものぼそぼそとした口調で言葉を紡ぐ。

「デートか?」

 その言葉に、わたしは思わずベンチから飛び上がりそうになり、ぶんぶんと必死で首を振る。

「さ、んぽです!!」

 自分でも、あまりにもひどい言い訳だとは思うけれど、他に言いようがないから困る。わたしが必死で取り繕う様に、滝くんは「ふうん」とだけ言ってから、ちらっとグラウンドのほうを見た。
 そしてボソリと言う。

「頑張れ」

 なにを頑張るんですか、とはわたしは言えず、「滝くんも部活頑張って」とだけ言ってお茶を濁そうとしたら、意外と生真面目な口調で「今日は監督の用事があるから、昼まで」とだけ言い残して、そのままグラウンドのほうまで走っていってしまった。
 はあ……。思わずわたしは肩を落とす。滝くんは顔がいいだけでなく、言葉数が少ないだけで、そこまで悪い人ではないのかもしれない。変人扱いされているわたしにも態度を変えないんだから。
 それにしても。わたしは紅白試合を観戦しながらぼんやりと思う。
 昼練で終わりということは、ちょうどわたしがレンくんと散歩の約束をしている時間に終了なのかな。
 サッカー部の人たちに、わたしがひとりで挙動不審な行動を取っているのを見られるのかと思うと、少し気恥ずかしいと思うけれど。滝くんは私が退院してから、謎のフォローをしてくれているから、大丈夫なのかな。わたしは気を取り直して待っていたら、ちょうど紅白試合は終わったみたいだ。
 それぞれが解散していくのを見計らっていたら、「間宮!」と息を切らした声が耳に飛び込んできて、わたしは視線をそろそろとさまよわせる。
 見えないはずだけれど、レンくんの声だからだ。

「レンくん?」
「ごめん、待たせて! まさかこんなに早く待ってるとは思ってなかった」
「いや、気にしないで? 今日は本当に暇だったから」
「あー……よかったあ。じゃあどこ行く? 牛丼屋? ファミレス?」
「ええっと……」

 ご飯屋さんばっかりだけれど、そもそもセルフサービスの店じゃなかったら、不審者扱いされるような気がする。
 この辺りの店で、セルフサービスの店で、そこまで人の混んでない店……。さんざん考えて、「あ」とひらめいた。

「あの、行きたい店があるんだけど」
「え、どこどこ?」

****

 ひとりで入っても差し障りがなくて、セルフサービスで、見えないけれど男の子が入っても問題なさそうな、できるだけ静かでレンくんの言葉が聞き取れる店。
 今日は土曜日だし、なかなか難しいと思ったけれど、ひらめいた店は落ち着いていて、ゆったりとした洋楽が流れていても問題ない店だった。
 創作アメリカ料理の店で、お小遣いでも行ける程度にはリーズナブルな店だった。お客のターゲットは大学生で、普段は男子大学生で混雑している店だけれど、今日は土曜のせいか空いている。
 わたしはカウンターで「ハンバーガーセットひとつください。ドリンクは烏龍茶で」と言うと、「はいよ」と店長が頷いて、会計をしてくれた。どう見ても純日本人にも関わらず、肩を出した筋肉隆々な腕といい、店内のあちこちに貼られた地図や写真といい、アメリカかぶれしてしまっている店長が早速調理に取り掛かっているのを眺めていたら、レンくんは興味ありそうに「へえ」と声を上げた。

「こんな店があったんだ。よく知ってたなあ」
「うん、よくこの店の前を通るし、試しに入ったこともあるから。普段は大学生の人ばっかりで、あんまり入れないから、今日だったら入れるかなと思ったの」
「へえ!」

 カウンター越しに見えるキッチンからは、ソースの焦げる匂いやポテトの揚がる音が響いて、自然とお腹を減らしてくれる。
 それにレンくんは「すっげえ!」と声を上げているのを見ながら、わたしは「そういえば」と気が付いた。

「ええっと……レンくんは食べられるんだよね?」
「え? 食うよ」
「そうなの?」
「おう」

 どうやって食べるんだろうと思ったけれど、よくよく考えたら図書館でもどうやってか本を取ったり片付けたりしてくれているから、わたしがわからないだけで食べられるのかもしれない。
 そう判断していたら、店長がわたしたちのほうに「できたよ」と声をかけてくれたので、取りに行く。
 ボリュームのあるハンバーガーは、ときどきだけれど食べたくなる。それをはむりと食べていたら、向かいから「うめえ」と声が届いた。わたしは思わずハンバーガーを見てしまう。
 ……本当にどうやって食べているんだろう? わたしが思わず声の聞こえるほうをまじまじと見てしまうけれど、やっぱりなにも映らない。
 わたしが困っているのに気付いたのか、レンくんはふっと笑う。

「そんな顔すんなって。ほら食べろ食べろ。美味いのに冷めたらもったいないって」
「ええっと……うん」

 気を取り直してはむはむとハンバーガーを食べる。店内は今日は人が閑散としていて、来ているのは繁華街まで遊びに行く女の子たちがなにやらしゃべっているのが目に留まるくらいだ。こちらに関して生温かい視線を向けてくることもなければ、変人を見るような怪訝な目を向けてくることもないのがありがたい。
 わたしが手についた油をウェットティッシュで拭き取っているときに「あのさ、間宮」と声をかけられて、わたしは顔を上げる。

「なに?」
「ゲーセンって、お前苦手か?」
「ええっと……たまには行くけどさ、どうして?」
「うん、ちょっと入ってみたいなあと思ったんだけど。お前が苦手だったらいいけどさ」
「駄目じゃないけど……でもわたし、ゲームセンターに行ったらレンくんの声を聞き取れるか自信がないよ?」

 ゲームセンターはいろんなゲーム音が充満しているから、ただでさえ声でしかレンくんの存在を把握できないわたしは、彼とはぐれてしまうような気がする。見えないっていうのは本当に厄介だ。
 前は、どうにか声をかけないでほしい、いないことにしたいって思っていたはずなのに、今はいなくなってほしくないのほうが、強くなってしまっている気がする。
 わたしが思わず脅えているのに、レンくんは「ふはっ」と笑った。

「そこまで怖がるなって。ダイジョブダイジョブ。ちょっと試したいことがあるだけだからさ」
「試したいことって……」
「あー、ごちそうさん。それじゃ行こっか」
「え? うん」

 レンくんの意図が掴めないまま、わたしはカウンターにプレートを返却してから、ゲームセンターまで出かけることにした。