新調の洋服を着る楽しさ、髪を弄ることの楽しさ、鏡の前に座って顔を見ているだけで、わたしはこの上もなく幸せになる。髪型を変えてみたり、ヘアピースをつけてみたり、瞳を大きく見開いてみたり、笑ってみたり、横顔を見たり、眠そうな顔をしてみたり、ニコラス・レイ監督の『理由なき反抗』の少年ジムを演じたジェームズ・バイロン・ディーンを真似て反抗的な上目遣いをしてみたりしながら、わたしは何時間でも鏡の前に座っていることがよくある。『ギリシャ神話』のナルキッソスは美少年で、男のナルシシストには背徳の臭いがするが、女のナルシシストは当たり前のことだから、『ギリシャ神話』にもない。女の美意識が、どれほど高いものか男たちは分かっていない。
下着を汚し、体調不良に見舞われ、情緒を滅茶苦茶にする生理は女にとって、ハインリヒ4世のカノッサの屈辱以上に、この上もない屈辱だけど、モノそのものとしての美しさは、女の特権。サンドロ・ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』、ラファエロ・サンティの『小椅子の聖母』と『システィーナの聖母』、ティツィアーノまたはジョルジョーネの『田園の合奏』、ティントレットの『胸を露わにする女性の肖像』、ルーベンスの『パリスの審判』と『聖母子』、ブーシェの『水浴のディアナ』、ダヴィットの『レカミエ夫人』、アングルの『泉』、・・・枚挙に遑がない、およそ名画と言われるものの多くは、女性を描いたもの。『美は乱調にあり』という瀬戸内寂聴の美は、この美ではない。谷崎潤一郎の耽美主義の美も、川端康成や三島由紀夫の唯美主義の美も、この美ではない。ここで言う美とは、ただそこにあるだけで美と云う存在になりえることを意味している。人間の創った観念の中で、絶対のものは、神と美しかない。女は、その美を先天的に持っている。わたしは、そのことをどれほど幸福に感じたことだろう。
下着を汚し、体調不良に見舞われ、情緒を滅茶苦茶にする生理は女にとって、ハインリヒ4世のカノッサの屈辱以上に、この上もない屈辱だけど、モノそのものとしての美しさは、女の特権。サンドロ・ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』、ラファエロ・サンティの『小椅子の聖母』と『システィーナの聖母』、ティツィアーノまたはジョルジョーネの『田園の合奏』、ティントレットの『胸を露わにする女性の肖像』、ルーベンスの『パリスの審判』と『聖母子』、ブーシェの『水浴のディアナ』、ダヴィットの『レカミエ夫人』、アングルの『泉』、・・・枚挙に遑がない、およそ名画と言われるものの多くは、女性を描いたもの。『美は乱調にあり』という瀬戸内寂聴の美は、この美ではない。谷崎潤一郎の耽美主義の美も、川端康成や三島由紀夫の唯美主義の美も、この美ではない。ここで言う美とは、ただそこにあるだけで美と云う存在になりえることを意味している。人間の創った観念の中で、絶対のものは、神と美しかない。女は、その美を先天的に持っている。わたしは、そのことをどれほど幸福に感じたことだろう。


