千鶴子の歌謡日記

  嘘を纏った君の微笑みの翳り

  きらびやかな暁の
  めくるめく炎のように
   軽やかに舞うことすらも
  罅割れた優しさの
  蒼褪めたかけらのように
  煌めいて散ることすらも
    出来はしないふたりだと
    知ってはいたけれど
    君が去って行ってしまったとき
    揺らめく幻があるはずのない華やかさ
    色褪せていた君の微笑みの翳り

  戯れ言の嵩ばりを
  ひと束に燠火に入れて
   めらめらと燃やしてみても
  さんざめく呟きを
  ひと息に胸に吸い込み
   絶ゆ間なく繰り返しても
    何が虚しい拘りか
    知らずに過ごしてた
    君が去って行ってしまったとき
    いてつく想い出が見たこともない雪模様
    凍りついてた君の微笑みの翳り


九月二十四日

 今日、日記を書くのは、紛れもなく、一人の男との出会いに触発されたため。
 わたしは、今日まで、フランツ・カフカの『変身』のグレゴール・ザムザのようにモノとして生きてきたと思う。新陳代謝の命ずるままに、食事をし、惰眠を貪り、生理を繰り返してきた。そこにはわたしは存在せず、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『ファウスト』が悪魔に魂を売り渡したように、何もかも外部の事物に売り渡して生きている水原千鶴子という一人の女の生命の現象の過程があるだけだった。シモーヌ・ド・ボーヴォワールが『第二の性』で言っているように、わたしは女に生まれたのではなく、女になることを生まれてから後に強要されたのだ。そしてわたしは、同調圧力にめげて、そうあることに半ば満足させられて生きてきた。