千鶴子の歌謡日記

 光線と絵の具の関係は美しい肉体と、それを表現しようとする言葉の関係に似ている。わたしは今、感動を通り越して、一つの恐懼を覚える。あれほど美しい人を知ってしまったことは、きっとわたしにおぞましい何か不吉なことを齎すに違いない。蜜蝋で固めた翼で自由自在に飛翔する能力を得たイーカロスが、太陽に接近し過ぎたことで蝋が溶けて翼がなくなり、墜落して死を迎えたように、美の権化の恒星太陽のフレアを見続けた人間が、そのめくるめくような光のシンフォニーの美しさのために、谷崎潤一郎の『春琴抄』の丁稚の佐助が自らめしいになるように、完璧な美を持った人と邂逅したわたしは、夏目漱石の『明暗』すら識別できない全盲になってしまうのかもしれない。
 ああ、わたしにはいまだに信じられない。あれほど華麗な人が、この世に存在するなんて。いったい、あの人は誰だろう。
 この日記に、あの人の顔のことは一切書くまい。あの人の無窮の美しさを有限な紙片に、そしてあの人の一切の類型を許容しない峻厳な美の顕現を、高度の類型的な言葉に写し取って書くことは、美に対する冒涜以外のないものでもないのだから。でも、わたしは、矢張り書かずにはいられまい。