夜は、何もすることがないので、旅館から一晩五百円で麻雀牌を借りて、アルシャル麻雀を始めた。十時頃になると、隣の部屋で眠っている老夫婦が、麻雀の洗牌の響きに耐えかねて、嫌みたっぷりな、空の咳払いを交代でやり始めた。さすがに、四人とも気兼ねして、廊下の隅の四畳半の空き部屋に、紫檀のテーブルごと牌を運んで、また始めた。ところが十二時頃に突然白熱電球が消えた。はじめは、
「旅館がたまりかねて、電源を切ったのだろう」
と直満さんが推察したけれど、便所の豆電球しかつかないので、わたしは、
「停電じゃないのかしら」
と思った。真相はどうやら、旅館の電気が自家発電なので、電気の浪費を防ぐために、旅館が不要な部屋のブレーカーを下したらしい。
結果は、わたしの一人負け。どうせ、負けを支払う気もないし、金銭に執着しないわたしが負けるのはやる前から分っていたから、
「明日まで麻雀の牌をこのままにしておこう」
と言った祖父の言葉を無視して、わたしは、牌の山を滅茶苦茶にした。それから、真っ暗闇の中で、手探りで牌を片づけて部屋に戻ってから、布団を敷き直して寝た。
真夜中に一度、わたしの足を触る手の気配を感じたけれど、その手が寝がえりを打ったものなのか、それともわざとしたものなのか、そして誰の手なのかもわからなかった。朝になってみたら、わたしと直満さんは顔を向け合っていた。祖父と祖母は、わたしのからだの側面に足を向けていた。そして、わたしの浴衣の紐が、自然にか、故意にか、ほどけていた。
直満さんは高校を卒業した後、一度東京に出て、就職した。それから実家に不幸があって、四年もしないうちにUターンしてきた。東京で何があったのだろう。一度だけ、東京スカイツリーの展望台につきあったことがあった。夜空の漆黒に映った目元に薄らと涙があったように見えた。今は、庭に樅の木のある実家で農業をやっている。そこで、犬童球渓の『旅愁』のような歌が生まれる。
庭の樅に 別れを 告げて
家を出たのは 十年昔
お前もまた 都会へ 行くのか
風に泣いてた 老いた 樅の木
帰るには 帰られなくて
涙を堪えて 電話で 聞く声
庭で撮った 写真が 届く
父と母と 老いた 樅の木
淋しくって 故郷の ことを
想い出すたび 夜汽車が夢に
「旅館がたまりかねて、電源を切ったのだろう」
と直満さんが推察したけれど、便所の豆電球しかつかないので、わたしは、
「停電じゃないのかしら」
と思った。真相はどうやら、旅館の電気が自家発電なので、電気の浪費を防ぐために、旅館が不要な部屋のブレーカーを下したらしい。
結果は、わたしの一人負け。どうせ、負けを支払う気もないし、金銭に執着しないわたしが負けるのはやる前から分っていたから、
「明日まで麻雀の牌をこのままにしておこう」
と言った祖父の言葉を無視して、わたしは、牌の山を滅茶苦茶にした。それから、真っ暗闇の中で、手探りで牌を片づけて部屋に戻ってから、布団を敷き直して寝た。
真夜中に一度、わたしの足を触る手の気配を感じたけれど、その手が寝がえりを打ったものなのか、それともわざとしたものなのか、そして誰の手なのかもわからなかった。朝になってみたら、わたしと直満さんは顔を向け合っていた。祖父と祖母は、わたしのからだの側面に足を向けていた。そして、わたしの浴衣の紐が、自然にか、故意にか、ほどけていた。
直満さんは高校を卒業した後、一度東京に出て、就職した。それから実家に不幸があって、四年もしないうちにUターンしてきた。東京で何があったのだろう。一度だけ、東京スカイツリーの展望台につきあったことがあった。夜空の漆黒に映った目元に薄らと涙があったように見えた。今は、庭に樅の木のある実家で農業をやっている。そこで、犬童球渓の『旅愁』のような歌が生まれる。
庭の樅に 別れを 告げて
家を出たのは 十年昔
お前もまた 都会へ 行くのか
風に泣いてた 老いた 樅の木
帰るには 帰られなくて
涙を堪えて 電話で 聞く声
庭で撮った 写真が 届く
父と母と 老いた 樅の木
淋しくって 故郷の ことを
想い出すたび 夜汽車が夢に


