ドラクロア展を観終えて、鳩が群がる噴水の傍らを通り、前川國男が設計した東京文化会館を右に折れ、山手線に沿って、都営の蔦の絡まる駐車場のある急勾配の坂を下り、昔、東宝と上野松竹の映画の看板があったあたりを眺めながら、中央通りを上野広小路の方角に向い、永藤の先のごちゃごちゃしたところを左に曲がって、小さな趣のない喫茶店の一隅を2人で占めた。そこで、彼は、キリスト教の功罪を一時間ばかり述べた。どこかで聞いたような話ばかりだった。
彼はまず、自分はクリスチャンではないと予防線を張った。そして、
「宗教は今後ますます先細りになるだろうが、消して消滅することはないだろう」
と予言した。彼にすれば、宗教は科学と対立する。宗教の衰退と科学の進歩とは、軌を一にする。数千年前、自然の絶対に対して、智の相対として存在する人間は、智によって測り知ることのできないこと・・・たとえば、明日の天候、来年の収穫、運命、宇宙、疫病、死、およそ、人知の達しえないことすべてを解消するために、絶対知としての神を想像した。つまり神を創造することにより、現世のありとあらゆる不可思議を解決しようとした。したがって、人間の幸、不幸、運、不運はすべて神のあずかり知るところという命題が導き出され、帰納的に、神を奉れば、幸運を享受できるという考えが、全てに蔓延した。災害や疫病があれば、神の祟り、豊作があれば、神の恵み、そして、卑弥呼のように神を奉る音頭を取る人間が全権力を握った。逆に言えば、権力を掌握するということは神を奉る音頭を取るということを意味した。ゆえに、権力を掌握したい人間にとっては、政治的な側面から、一般大衆とは別の意味で神を祀ることが必要だった。神の力は、災難があればあるほど、アルベール・カミュの言う「不条理」があればあるほど、人々の頭の中に浸透した。特に、死後の世界は、エジプトの古王朝の以前から、ありとあらゆる人々にとって関心のあることでもあり、またウイリアム・シェイクスピアの『ハムレット』三幕一場で、
「一人の旅人も戻ったためしのない世界」
彼はまず、自分はクリスチャンではないと予防線を張った。そして、
「宗教は今後ますます先細りになるだろうが、消して消滅することはないだろう」
と予言した。彼にすれば、宗教は科学と対立する。宗教の衰退と科学の進歩とは、軌を一にする。数千年前、自然の絶対に対して、智の相対として存在する人間は、智によって測り知ることのできないこと・・・たとえば、明日の天候、来年の収穫、運命、宇宙、疫病、死、およそ、人知の達しえないことすべてを解消するために、絶対知としての神を想像した。つまり神を創造することにより、現世のありとあらゆる不可思議を解決しようとした。したがって、人間の幸、不幸、運、不運はすべて神のあずかり知るところという命題が導き出され、帰納的に、神を奉れば、幸運を享受できるという考えが、全てに蔓延した。災害や疫病があれば、神の祟り、豊作があれば、神の恵み、そして、卑弥呼のように神を奉る音頭を取る人間が全権力を握った。逆に言えば、権力を掌握するということは神を奉る音頭を取るということを意味した。ゆえに、権力を掌握したい人間にとっては、政治的な側面から、一般大衆とは別の意味で神を祀ることが必要だった。神の力は、災難があればあるほど、アルベール・カミュの言う「不条理」があればあるほど、人々の頭の中に浸透した。特に、死後の世界は、エジプトの古王朝の以前から、ありとあらゆる人々にとって関心のあることでもあり、またウイリアム・シェイクスピアの『ハムレット』三幕一場で、
「一人の旅人も戻ったためしのない世界」


