「僕は映画を見るといつもイライラする。何故って、映画の制作者は、ダブルベッドの中の男と女の心理を同時に分析する近世のフランスの三人称の心理小説(『失われた時を求めて』のプルーストは除く)と同じように、最後まで、その映像や画面がどのような角度から、どのような理由で、どのような統一性を持って撮られたものなのかが、一切説明されないから。ギリシャ劇場の舞台上の芝居を見ているという前提が二千年も続いている。僕が好きなのは、江戸川乱歩原作の『屋根裏の散歩者』という映画。あの映画では、主人公の目が、そのまま画面を構成していた。『椅子人間』もそうだ。カメラで映像を撮るのだから舞台上という制約を惰性で継承する必要はない」
 彼の精神は少し、アブノオマルな気がする。皆がそうしているから、それでいいのではないのかという同調圧力を一切感じない神経のようだ。