ガール・・・それは、新鮮なぱさぱさしたレタスのような味。よく笑うけれども、泣き虫で恥じらいもなくよく喋るんだけど、男の人の前では自意識の塊。前髪の形、洋装の映え、肌の艶、・・・そんなことばかり気にしている。たとえば目の開き具合は、どのくらいが一番可愛らしく見えるのか、前髪をどの程度、額に垂らしたら、愛らしく映るのか、顔の角度はどの方向が最も整っているように見えるのか、そして、唇の結び加減は、どのくらいが愛くるしく映るのか、家鴨口の方がいいのか・・・限りがない。男の人の前に出たとき、不図、俯いて赤くなることもあるけれど、これも計算のうち。普段は、あけっぴろげにしているけれど、いざとなると慎み深くなっちゃう。手を握られることを、さも恐れているかのように装うのも、ひと苦労。ダンスの時いかにも仕方がないといった風に何げなく手と手を重ねているけれど、映画館の暗闇で気持ちを込めて熱く握られると、声も立てずに処女を奪われるかのような大袈裟な驚き具合をみせる。これも演技の一つ。でも心は、まるで目隠しをしたギリシャ神話の女神テミスやローマ神話の女神ユスティティアが掲げている天秤の針のように敏感。相手の表情のちょっとした動き、言葉の抑揚、手の動作・・・そんなことにも地震計の針のように繊細に心を動かす。相手が何も企んではいないと察知すると、ちょっと落胆して、心の蕾をさっと開いてあげる。相手がちゃんとした恋人にしようとすると、嬉しいけれど急いで固く観音開きの扉に鍵をかけたがる。そう、ちょうど春の野で、
「夏になるまで咲いていたい!それまで摘まないで!」
と哀願する花に似て、もう少し自分の美しさを、多くの男の人の持っている湖水の鏡に、ナルシスのように映していたいと、周囲の人々に爽やかさを振り撒きたいと、そして、一人でも多くの男の人に慕われたいと、そうやって、
「でも、でも、でも・・・」