どこにでもある恋、あの道端にも、この街角にも。どこにでもあるということは、あってもなくても大差ないということ。海岸の砂粒など、どこにどの砂粒があっても大勢に影響はない。その中の一粒がなくなろうと、またもう一粒増えようと、そんなことはどうでもいいのだ。本人にとって重要であろうとも、外側から見ればどこにでもあるものなのだ。この感情と認識にギャップが大であればあるほど、わたしには滑稽に思えてならない。大いなる田舎芝居の舞台・・・それが恋の街角だ。
 わたしと彼は、泰明小学校の脇を通り、晴海通りに出た。それから銀座四丁目に向かってそぞろ歩き、四丁目の交差点を渡って、松坂屋の方に向かい、松坂屋の角を左折して、スエヒロの先の通りを右折して、マロンに行った。彼が行く喫茶店は、いつもマロン。きっと、その喫茶店しか知らないのに違いない。でもこの店は好き。二人掛けられる白いテーブルが中央に三つ。それぞれのボックスの境に狭隘なホンコンフラワーの花壇がある。四人着ける白いテーブルが、朽ち葉色の壁の周縁に三つ。窓際にも一つ。形はどれも矩形。大きな窓は通りに面していて、一枚板のガラスがはめ込まれている。その内側に白いレースのカーテン。花模様が波形に歪んでいて、いい感じ。入口の右側に濃紺の鉢に植えられた観葉植物がある。あの植物は、なんというのだろうか。猩々緋の唇形の花が頂に一つ咲いていた。そして、入口の左側にレジ台、傍らに山吹色のワンピースを着た女の人が立っていた。
「どう?おもしろかった?」
と腰を曲げながら彼が聞いてきた。わたしは答えずに、
「ん・・・」
と言ったきりだった。
 ああ、あなた、久忠君。もう、だめね、二人の仲は。
 あなた流にいうならば、二人の関わり合いは、必然性を完全に喪ったのよ。最後に、あなたに、トランプゲームのようなこの歌を贈る。

  哀れな 哀れな 哀れなジャック
  クラブの クラブの クラブのジャック
  あなたは彼女に火をつけられて
  めらめらめらと燃え尽きて逝く
   別れるときのあなたの切り札
   別れるときにあなたが贈れば
   彼女はなんにも できなかったのに
  哀れな 哀れな 哀れなジャック
  一人で恋するクラブのジャック
  あなたは彼女に弄ばれて 
  身も心もボロボロになる

  哀れな 哀れな 哀れなクウィン